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エジプトの旅 編

旅は良いものである。何時も新しい発見/新しい刺激がある。 カナディアンロッキー、スイスアルプス、グランドキャニオン・・など 大自然の美しさもよい。 だが今回の旅行ほど心に深く印象づけられた旅は無かった。 それは古代文明の原点、人類の歴史の一部を見て 感じることが余りにも多かった。 日本の歴史が始まる数千年前から文明が芽生え、その偉大な力に驚く・・
エジプトの旅 編 エジプト/カイロ市の最初の印象は、町全体が霞が掛かった様に砂ほこりっぽく、人が多いこと、 道路端に屯してクチャクチャ話している。尤もカイロ市の人口は1300万とも1500万人とも言われ、 東京の人口より多い。何を生産性として生きているのだろうか・・貧富の差が激しい。町中の喫茶店     (?)らしい所で水パイプをのんびりと燻らせている光景はエジプトらしい。また町の中には横断 歩道や信号もなく、渋滞で止まった車の間をスルリと身をかわしながら横切って行く。たとえ跳ね られて死亡しても運転手には一切責任はないそうで、被害者の泣き寝入り、全く車優先の交通 ルールだそうだ。我々が見ていてハラハラする場面が何度かあり、痩せ身の身軽な人間でないと生 きて行けないと言うことか・・
        また紙幣の汚いこと、手垢、油の滲んだヨレヨレで印字も掠れて見えないくらい。 持てば何だか黴菌が付いて来そうで、とても財布の中に入れようという気がしない。兎に角汚い のに驚いた。しかし一番感心したのは、子供達の笑顔の素晴らしさ、行き交う人に笑顔を持って 挨拶してくる。みんな眼がキラキラとして可愛い顔をしている。天使の顔と言うか心が洗われる感じ で強く印象に残った。
  市内のモハメッドアリモスクは高台にありよく目立つ。内部はシャンデリアとイタリアか ら取り寄せたステンドグラスで飾られて美しい。ハ゜リのコンコルド広場に聳え立つ一本        のオベリスク、パリを訪れた人は誰しも記憶に残っているだろうが、実はこのオベリスクは モハメッドアリがルクソール神殿の入り口にあるラムセス2世の建てた2本の内の一本を、時 のフランス国王に献上したもので、その時に御礼に貰った時計台がこのモハメッドアリモスク に設置されているが貰って以来この方一度も動いたことがないそうだ。
何処の国に行っても大きなモスクが立っており回教勢力の凄さが偲ばれる。回教徒は一日5回の お祈りをするそうで、その時刻は最初は、白黒の糸が見分けられる明るさの時、2度目は太陽が 真上に来た時、3回目は自分の影が2倍になった時、4回目は白黒の糸が判別出来なくなった時、 最後は寝る前と決められていたそうだ。時計を持っていなくても、誰でも何処でもお祈りの時 を知ることが出来る。しかし町中を歩いていると何処からともなくコーランが流れて来て知 ることが出来る。また今でも妻を4人まで持つことが法律的に許されている。しかし最近の若 い人は一人の妻を大事に守っているそうだ。
このモスクの入り口付近には物売りが多く、絵葉書や民芸品など日本人だと見ると、3枚10 00円・・と日本語で声を掛けて来る。それもしつこいのには閉口する。大体物の値段があって無い ようなもので、品物には値段が表示して無い。全て相手の顔を見て交渉の世界である。如何に相手を 騙して高く売るか・・大抵は最初に切り出した値段の半分から1/3位まで下がると見て大丈夫だ。 直ぐ買わずにいらないと拒否し立ち去る姿勢が大事で、絶対に買いたい素振りは見せない事、 たとえ欲しくてもいらないと言って立ち去れば必ず追い掛けて来て値段をドンドン下げて来る。 それでも要らないと言うと最後は幾らなら買うかと聞いて来る。無茶な値段を言って も最後は根負けして売ってくれる。この駆け引きがコツである。しかし絵葉書など10枚が1US $なら1枚10円程度で、よくこんな安い値段で売れるナーとさえ思う。Tシャツ4枚1000円など・・・
  ピラミッドは私には何となく期待外れで有った。物凄く大きな物との印象を持っていたの でそのせいかも知れない。とは言っても全高137mのものが砂漠の中に聳えたっており、これを 建てるために一日20万人の人が10年掛かったと言われているのだから凄いには違いない。 ヒ゜ラミッドの底辺の岩石など2m平方もあり、全部で250万個の石が漆喰もセメントも使 わず並べて組み込まれており、4500年前に造られたにしてはよくも崩れずに建てられたナーと構 造力学的な面での偉大さを感じないわけには行かない。このクフ王のピラミッドが出来る凡 そ130年前に建てられた段階ヒ゜ラミッドが近くのサッカラと言う町に残っている。これが世 界最古のピラミッドである。確かに建築技術も幼稚(?)で崩れ掛かっている。4段か5段に 積み上げて三角錘にしたもので、高さは60m。クフ王の様な綺麗な稜線にはなっていない。
カイロ付近で68個位のピラミッドがあったそうだが現在形として見れるものは18個位と 言われている。最も大きいクフ王のピラミッドは盗掘の時に掘られた穴を通って中心部の玄室に 行くことが出来た。高さが1m位の穴の中を背を屈めて入って行くのも結構しんどい、汗が出てくる。 暫く登った所に玄室があり石棺が残っていた。発見された時には中に埋葬されていたであろう金 銀財宝は何も無かったそうで、盗まれた財宝は今何処に・・
 近くの高台のパノラマビューから3つ4つ、遠くにサッカラの階段ピラミッドなど含 め5〜6個のピラミッドが一望出来る。This is pyramid の風景である。多分夕日に映える ピラミッドの雄姿は写真の良き題材になるだろうナーと思った。我々が宿泊したホテルから も部屋の窓を開ければ前方にに2つのピラミッドが眺望でき、エジプトを感じさせる。 このパノラマビューでは駱駝の試乗と言うか3エジプトポンド(約\900)で乗せてくれ、 近くの砂漠を一歩きすることが出来る。一寸乗ってみたい気もしたが、3ポンドは一寸高い 気もした。駱駝に乗り降りするときは気をつけていないと振り落とされる事故があるとか、 駱駝が立ち上がる時、屈むときその長い足が急に曲げられるので乗っている人は大きく前後に振 られる事になる。駱駝も近くで見ると大きな物で背中の高さは裕に2mを越えている。
ピラミッドは王様の墓、親しい側近は近くの地下に埋葬されている。地下20m位の所に石 棺を埋めた。石棺の周囲を堀りながら少しずつ沈めて行った。当時としてはクレーンもなく、重たい 大きな石棺を吊って下ろすことも出来ず、こんな原始的 (?)な方法しか無かったので有ろう。近く の墓の壁面には当時描かれた象形文字、絵が色付きで鮮明に残っている事に驚く。ナイル河で魚を 釣ったり、網ですくったりしている様子が、釣り針も4つ付いて現在使っている形状と殆ど変わ っていない。網で掬っているのも何等変わっていない。しかし今は見られなくなった魚もチャンと 描かれている。税金を納めている光景なども描かれている・・・よくもマアーと感心させられる。
  また特別サービスとして普段はコースに入っていない「聖牛の墓」を見る事が出来た。砂漠の 地下に降りていくと、通路の両側に幅3m、長さ5mの大きな石棺が6〜7列並んでいた。石の蓋 も厚さ5~60cmもある大理石の一枚岩である。こんな石棺をどうやって運んだのであろう。牛も鄭重に 扱われていたことを想像する。ミイラとなった牛はエジプト考古学博物館に並べられているとか。
 ピラミッドを一寸東に下りた所にスフィンクスがある。身体はライオン、頭部は人間の形を した石像だが、これがスフィンクスかと、大きなヒ゜ラミット゛を見てきた後では一寸ガッカ リする。それでも高さは20m全長57m位あるのだが、顔は崩れて目鼻の形はない。ナポレ オンが大砲で撃ち落としたとか言われているが真偽の程は? しかし顎髭は現在英国の大英博物 しては貴重な遺産ゆえ返還を申し出ているそうだ。この他にも大英博物館に陳列されているそう で、エジプトと館には沢山のエジプトの遺産が陳列されていたが、中でもミイラはエ ジプト考古学博物館の収蔵物を上回る貴重な物が沢山あった様に記憶している。やはりエ ジプトにあってこそ当時の文化が偲ばれる様に思う。
        今回の旅行を通じてつくづく感じるのに本や写真で、或いは日本でのエジプト展など見 ても、その時感じるものと現地/現場で見て感じるものと物凄く大きなギャップがあることを 痛感した。その環境その風土の中で見て、初めてその文化が理解出来ると言うことではなかろうか・・・ これら多くのエジプトの遺産は19世紀までは外国の学者により発掘され、そのまま海外に持ち 去られていたとか、残念なことである。
 エジプト考古学博物館には沢山の遺物が陳列されている。2階建で1階は時代順に、2階は 種類別に展示されており、展示室は100以上ありゆっくり見て歩くには数日を要する。中でも 圧巻は若きツタンカーメンの王墓の埋葬品である。盗掘されてなく殆ど完全な状態で発見されたと言う。 4重にも重ねられた箱の中にあの黄金のマスクをつけたミイラが眠っていた。マスクには象形文字 がギッシリ刻み込まれており、何かを語り掛けている。今から3360年前、日本の歴史が始まる 1300年も前に僅か18才の若さで亡くなった王様である。その当時にこれだけの金銀宝石の細工 が出来ていたこと、それだけの文化が芽生えていたことに驚かされる。壷とか器の焼き物など 7000年も前の物が並べられている。
また世界で最も古い木像がある。ちょっと西郷さんに似ている顔だ。 その木像の眼球はなんと青銅で出来ていた。今から3500年前の物である。 この他物差し、おりたたみ傘、扇風機、ベッド、枕、ふんどし・・などの原点となるべき物が見 られる。紀元前2000〜3000年〜5000年前の物が残っている。アルファベットの原点である象形 文字も解読されている。古代文明の謎が次々と解き明かされている。その度に人間の偉大さをつくづく 感じさせてくれる。文明発祥の地だけに限りなく興味が湧く・・・
  ペーパーの語源となったパピルス この植物から紙が出来た。紙を造ることを考えた。 細い竹の様な植物で、もっぱら根を食用にしていたが皮はあみ籠にも使い、中の繊維をスライスして ローラで薄く延ばし水につけ、それを張り合わせて一週間石の重しをして乾燥させると、一枚の紙 が出来る。これに文字や絵を描いて残していた。現在では当時の絵を描いたパピルスがみや げ物屋で売られている。最近はバナナの繊維で作った偽パピルスが出ているが、この方は 値段も安い。
  ルクソールにある王家の谷に死者が埋葬されている。古代の王様の墓で砂漠の谷に縦横に掘ら れて埋葬されている。古代エジプト人は太陽の沈む西の彼方に死者の世界があると信じていた ため西の砂漠地帯を墓地に選んだ。ナイル河を挟んで東岸は神殿、西岸は墓地。ツタンカーメンの 墓もこの王家の谷で1922年イギリス人のハワードカーターによって発見された。数十あ る墓の中で未だ名前が分からないものから分かっている王様の墓が未だ発見されていないものなど、 あの広大な砂漠の中に埋もれており、今現在でも探索/発掘作業が続けられている。
日本からは早稲田大学(吉村作治教授)の発掘隊の宿舎も有った。赤い砂岩の山の中、奥深く入って 行き見学するのも、容赦なく照りつける太陽と影になる木一本ない、地面からの照り返しなどで生 きている人間がミイラになりそうな暑さにはほとほと閉口した。汗も身体から出尽くした感じで大変 なところであった。しかし王墓に通じる入り口の壁面には素晴らしい彫刻画が残されていた。当時の 人びとの生活の絵とそれを説明している象形文字がギッシリと彫り刻まれている。一部には土地の 人間が住み込んで焚き火を焚き煤けた所もあった。
  ツタンカーメンの墓にも行ってみたが意外に小さく、狭い所に、あのエジプト考古学博物 館で見た4重の棺桶、財宝などがよくも入っていたナーと感じた。入場料は10ホ゜ント゛(\300) 取られた。ビデオ撮影は一切禁止で残念であった。この王家の谷にはまだまだ発掘されてい ない王墓も数多く、永遠の謎を秘めている。
  東岸にはカルナック神殿、ルクソール神殿など見るべきものが沢山ある。紀元前2400年から紀 元前7世紀にアッシリア人によって廃墟にされるまで1400年の間古代エジプト時代の都 として栄えていた。一番印象深かったのはカルナック神殿で、古代の神殿としてはその規模は世 界最大である。ナポレオンが入ってきた200年前には屋根も崩れ、柱も倒れて見る影も無かっ たそうで、その後少しずつ修復され、今でもなお修復作業が続けられている。当時を偲べば物凄 く大きな神殿であったと容易に想像出来る。直径3〜4m高さ20数mの石柱が数十本聳えたっ ている。その柱一本一本に象形文字が刻まれており、上方の棟の梁には青色の彩色がそのままに 残っており当時の華麗さを思わせる。
着工から完成まで凡そ100年掛かったと言われている。神殿の入り口から奥まで百数十mあろうか、 とてつもない大きな神殿である。さらに進むと保存状態が最もよいと言われるハトシェプト女王の オベリスクが立っている、高さ31m重量320tonの花崗岩の一枚岩は数100キロ離れたアスワンの 石切り場からナイル河を下り運ばれて来たと言われているが、一体どうやってこの320tもの石を運ん だのであろう。また垂直に立てる時にどうやったのであろうか全く想像を絶する。 しかも台座の石の上に固定もしないでチョンと置いているだけで倒れもしない・・・。 エジプトは驚く事が余りにも多すぎる。自然の美しさも良いが、エジプトは人工の遺産(古代文明) と言う面での素晴らしさを感じる。
最近はオプションでカルナック神殿「音と光のショー」を毎夜2回やっている。言語別に   時間を決めている。昼間見た光景と全く違った世界を楽しむことが出来る。真っ暗い中スホ゜ッ トライトに浮き上がった神殿音楽とナレーション、神殿を造った王達の物語を語り、まるで数千 年前の時代に吸い込まれた様な臨場感があり素晴らしい。今までは英語、フランス語、独逸 語・・等日本語は無かった様だが最近の観光客の増加で昨年から日本語が入る様になったそう だ。やはり日本語でないと本当の感動は得<られないだろう。本当に素晴らしい2時間のショーで あった。
 ルクソール神殿はカルナック神殿と違ってやや小さく、付属の神殿として建てられた。神殿 の入り口には2本のオベルスクがあったが今は1本しか残っていない。欠けた1本はパリ のコンコルド広場に建てられている。全体にはこじんまり纏まった神殿であるが、ただ残念に 思うのは建物の2階部分にモスクが増築されていることで全体の古代観の中に一際バランスを 欠いた建物に見える事である。歴史的な事実なので如何ともし難いが・・。
此処には保存状態のよいアレキサンダー大王の様子を描いた壁画が残されている。当時の様子 を身近に感じることが出来素晴らしい。またルクソールはナイル河クルーズの観光船の発着の町 でもあり、河辺は綺麗な町並である。更に南下してアスワンに行く。アスワンは本来リゾート地 であるが赤道に近いだけ陽射しも厳しい。3月と言うのに36〜37℃である。ここでは観光のベスト   シーズンは12月〜2月頃であって、一般に言われている6月〜9月は40℃を越す物凄い暑さで地獄だ そうだ。それを知らずして来る観光客が日射病、脱水症状を起こして倒れると言う話しを聞いた。
 アスワンで有名なのはアスワンハイダムで全長500km、日本で最大の黒四ダムの4倍の規模、 人造で出来たナセル湖は琵琶湖の8倍の広さと言うから如何に大きいか想像出来よう。これによって エジプト全土に電力を供給している。若しダムが崩壊すれば下流は水の下に沈没する。大 したダムを造ったものだ。エジプトを訪れた世界の要人が必ず見学して帰ると言われ、 我々が行っている時も大統領のお通りで交通遮断され待ちぼうけを食った。
  我々が宿泊したホテルはこの地で一番大きく、ナイル河の中州に建てられホテルの前後はナイル河が 流れている。ホテルに着後夕涼みがてらにファルーカーと言う小さな帆掛け船に乗り1時間半ば かりナイル河クルーズをした。船上では初めて今回のツアーメンバーの自己紹介(8組夫婦、 添乗員、現地ガイト゛)をやり、それぞれに旅への思い入れを聞き、最後は船頭の持ち唄 “アヤナーレ”を太鼓と手拍子で聞くことが出来楽しい一時を過ごした。
  此処まで順調に来ていた旅行も、この晩思いもしないハプニングが起こった。ホテルでの夕食 途中より桂子の体調がおかしくなり、腹痛、下痢、嘔吐が数時間に亘り続き、大変な状態になり、 急遽真夜中に医者を呼ぶ事になった。脱水症状で点滴を2本打ってやっと収まったが昼間の観光 で行った赤道直下のアブシンベル神殿の38℃の猛暑の中、水を補給せずに歩いた疲れが一気 に出たもので、血圧も70位まで下がり、意識も朦朧として来て、も少し遅かったら大変なことになっ ていただろう。異国の地で病気になる位不安なことはない。何とか翌朝には体調を取り戻し、 半日遅れでみんなに合流出来たのは、不幸中の幸いであった。
  エジプトの最南端にあるアブシンベル神殿 此処はアスワンハイダムが建設される 時遺跡が湖底に沈むと言うことで、世界的な遺産を守れとユネスコが中心となって遺跡救済キャ ンベーンをやり、世界の学者が色々案を出し、その中のスウェーデン案が採用され、遺跡 を分割し、65m高い現在の場所に移設復元されたものである。ドームを造りその中に寸分違 わない位置に完全に復元している。小さな山ほどある遺跡を1036個のブロックに切断し たのである。全く驚くことをやっている。移設には1963年から再生された1972年までおよそ1 0年以上掛かったと言われている。神殿入り口には20mもあるラムセス2世の4体の座像が見 事に立っている。ラムセス2世は67年間に亘りエジプトを治めた王様で建築王とも言われ 至るところに建築物を残している。
ちなみに7人の妃を持ち100人の子供がいたと言われている。     神殿の中の壁面一杯に描かれた絵は素晴らしい状態で復元されていた。また奥の至聖所に並ん     だラムセス2世の像には一年に2回日の出の光が一直線に差し込むと言う不思議な現象が起こ る。冬至と夏至である。天文学的にも考えられていた。人間の力は素晴らしいものだとつく ずく感じさせられる。この大神殿の横に一回り小さい、王妃の小神殿があるが、小さいながら も美しい神殿である。それにしても本当に暑い一日であった。アブシンベル空港はこの神殿 観光のためにだけ出来た空港で僅か数時間の観光のために世界中の人がやって来る。見るだけ の価値は充分にある。飛行機で空港に降りる寸前左側下方にアブシンベル神殿を瞬間見る ことが出来た。
 アスワンからカイロに帰り、エジプトを発つ最後の昼食に、ハマームマシュウイと言う 鳩のバーベキューとエイシーと言う平たい丸パン、ちまきの様な米を蒸したものを葉っ ぱで包んだもの・・など土地の料理を食べることが出来た。鳩のバーベキューは小振りで 小骨はあるが肉はなかなかに美味。またエイシーは丁度インドのナンの様なもので少しずつ 千切ってはタヒーナと言うゴマのペーストを付けて食べるものでこれも中々に美味しかった。 ちまきは店によって多少味が異なる様で、この店の物は変な匂い/味でなく美味しく食べられた。 屋外の庭園の中にテーブルが並べられて食事が出来る様になっていた。給仕が自分の時計と 交換してくれとせがんで来たのには驚いた。
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