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スペインの旅 編


3年前、1992年3月スペイン・ポルトガルにモロッコを加えた同ツアーに申し込み、 旅行一週間前大風邪で断念し、高いキャンセル料(22万円)を取られたが、今回やっと念願の ポルトガル/スヘ゜イン旅行を終え、やはりヨーロッパの中でもピレネー山脈を境にして、 イベリア半島は全く違う文化を形成していることを強く感じた。 キリスト文化/イスラム文化の混成文化というか、長い歴史の中で繰り返された支配統治 の影響は至る所に見られる。特に建造物には歴史の跡が歴然と残っている。 唯ただ感激すると言うか、唖然とさえする。 これが人間の造り上げたものかと驚きさえする。 ポルトガルからスペインへの国境検問所は、今は廃墟。2、3年前から自由に出入り 出来る様になった。スペインも南部アンダルシア地方に入ると流石に暑くなる。 バスは大型で我々ツアーの24ー5名では一人一席は確保でき、ゆったりと座れるが、冷房は 期待する程には効かず、ジットリと汗が滲む。
初日のバスドライブは比較的長く、19時過ぎやっとセビリアに到着した。19時と 言っても太陽は高く、陽射しも強い。22時頃になってやっと陽が沈む感じでこれからが夕方で、 所謂「晩」は夜中の2時頃までを指す。因みに「朝」とは日の登る7時頃から15時頃までで、 その後22時頃までが「昼」である。これがスペインでの生活リズムであり、我々には大いに 調子が狂う事になる。従って昼食は午後の2〜3時頃になり、ディナーは21時か22時頃から 深夜迄となっている。もっともシエスタという習慣があり、早い所では12時半頃から、一般的 には2時頃から4時頃まで、昼寝の時間があり、商店はシャッターを下ろして閉めてしまう。
  セビリアでは早めにホテルで夕食を取り、22時頃から近くの劇場(?)に<フラメンコショー を見に行った。本場セビリアでのフラメンコショーは流石に素晴らしく、迫力があり、 感動した。フラメンコは、15世紀頃アンダルシア地方に流れて来たジプシー達の歌や踊りが 起源とされ、踊り手は指の先まで神経を張り詰め、情熱的な動<きを見せる。 女性ダンサーは、何れも彫りの深い美形で色白の肉感的魅力を持っている。バックで歌を唄い、 掛け声、手拍子を取っている初老の男の迫力も凄い。ギターの音もよく響く・・。 舞台と観衆が一体となって、雰囲気が最高に盛り上がる。素晴らしい!!  また若い男のサバテアートと呼ばれる足踏みは熱がこもっていて、これが又迫力がある。 これは話にも聞いていないし、初めて見た!!・・。次から次に出る踊りは全く素晴らしい。
日本で公演される小松原庸子サンのフラメンコショーを見たが、やはり臨場感が全然違う 事に気が付いた。 ショーはフラッシュ撮影は許すが、ビデオカメラは、何故だか撮影禁止して おり黙って映していると、注意しに来る。だが後半は、先方も諦めたのか、文句を言わず撮影を 許してくれた。ショーが終わりホテルに帰ったのは夜中の0時を回っていた。 それでも翌朝は5時起床。午前中は、セビリアの市内観光。セビーリアは人口約65万人、 アンダルシア地方では一番、スペインでも四番目に大きな街である。「セビーリヤ・ マラビーリア」と言う言葉があるがセビーリアは素晴らしいと言う意味、だそうで、街は 奇麗で、大きな木も多く、落ち着いて感じが良く、保存された観光地ではなく、歴史の中に        人々が生き生きと生活しており、また美人も多く(?)、住んでみたいと思わせる。
スペイン広場にある半円形をした建物の壁には、スペイン各県の歴史が絵タイルで描か れて おり、色鮮やかで美しい。セビーリアでシンホ゛ル的な塔がヒラルタ゛の塔で高さが 98mある。 100年かけて建てられたカテドラル(大寺院)の鐘楼である。12世紀末にイスラム教徒により 建てられた。最上部には後にキリスト教徒により追築された、風見(ヒラルディヨといい、        この塔の名の由来)の役目をしている、高さ4mに及ぶ信仰を象徴する女性のブロンス゛像が ある。このカテドラルはスペインで一番大きく、ヨーロッパでは、ローマのサンヒ゜エトロ         寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次いで三番目の大きさを誇る建築物である。 中央礼拝堂の祭壇は世界最大で、80年の歳月をかけて完成したキリストとマリアの生涯を、 45の場面で刻んだ黄金の祭壇がある。これは見た瞬間、スゴーイ!! ウーンと唸って、 次の言葉が出なかったほどである。
また此処には、何故か有名なコロンブスの墓がある。本来コロンブスはイタリア人であるが、 時のイサベル女王の援助を受け、アメリカ大陸を発見し、大量の金や銀を南米からスペインへ もたらした。彼は、晩年は恵まれず54歳で亡くなったが、スペイン政府の要請で此処に祭った。
この他メリメの小説「カルメン」の主人公カルメンが女工として勤めていたとされるタバコ 工場を通りすがりにみた。原作では、此処でカルメンはドン・ホセと初めて逢うが、カルメンが 口にくわえていたのは、赤いバラではなく、白いアカシアの花であったそうだ。
昼食は、パエーリア。スペインを代表する名物料理で、スペインに来たら必ず一度は 食べロ!と言われている。平皿鍋にオリーフ゛油をタップリ入れ、海老や貝など魚貝類と野菜を         混ぜこみ、米を上からパラパラ振り掛け一緒に煮る。サフランのオシベの黄色い花粉を加えて 色味を出す。水分が無くなるまで煮るので、注文を受けてから45分位時間がかかる。 手の込んだ料理である。此処セビーリアで食べたパエリアは、魚貝類より鶏肉の細切れの様な 物が入っており、チョット焼き飯の様な感じのパエリアであった。多分日本人向けにアレンジ         された味付けと思われる。8年前バレンシア地方の片田舎で食べたパエーリアと全然違った物に チョットガッカリした。
スペインで最もポピュラーなお酒はワイン。ブドウ酒も最初の中は、赤、白共良く飲んで いたが、飲んだ後からどうも胸焼けがして調子が悪いので、途中からはサルベーサ即ちビール 専用にした。女性用の飲み物としては、赤ワインに果汁を加え、氷とレモンの薄切りを浮かべた サングリアが人気がある。
昼食後、バスはコスタ・デル・ソル(太陽の海岸)に向けて南下して行くが、途中ロンダと  言う山間の小さな町に立ち寄る。此処は近代闘牛の発祥の地として知られており、1785年に 造られたスペイン最古の闘牛場があり、今でも年四回開催されている。映画「カルメン」の         舞台にもなったそうだ。闘牛場の観覧席は、日陰の場所は料金高く、陽のあたる場所は格安に なっているのも面白い。この事は年間を通じて太陽の位置が変らないと言うことか?・・・ しかし今日は暑い!! 37℃を越している。
  地中海に面した太陽の海岸と言われるコスタデルソルは素晴らしい海水浴場だ。国際的な 観光地で、 アメリカ、ヨーロッパ各地からの観光客で賑わっている。光り輝く太陽とアフリカ へ続く紺碧の海、抜ける様な青い空・・・。こんな所でノンビリ過ごしてみたい!!          キット長生き出来るであろうと思わせる。ホテルの部屋は、9階の海辺に面したバルコニー 付きで最高の部屋であった。ズーッツと続く海辺では、20時頃でも沢山の人が泳いだり、 砂浜に寝そべって楽しんでいる。照明や休息ベンチ、シャワーなどの施設も充分に整っている。 夕食はホテルの中でビュフェスタイルでユックリ腹一杯食べた。
  翌朝は9時出発。ミハスへの移動のバスの中で、各自自己紹介をする。このツアーを選んだ 理由、今までの旅行で面白かったこと、これからの旅行計画、趣味などを加えて話す。丁度5日 目でメンバーの顔と名前がヤット判りかけた頃である。なかなか面白い。学校の先生、会社 役員OB、新婚サン、彫刻家、我々の様に会社現役、OBなど異業種の人達のそれぞれの人生観、 夫婦像などを垣間見ることが出来る。なかなか勉強になる。毎回の食事の時も自由に誰とでも 席を選ぶ事ができ、話をすることが出来る。これがツアーを組む楽しみでもある。
  ミハスは海岸から少し入った、ミハス山脈の山麓にある小さな町。輝く太陽の光の中、 アンダルシアらしい白壁の家が立ち並び、窓辺にはセ゛ラニュームの赤い花々が鮮やかに咲いて いる。振り返れば眼下には、真っ青い地中海が広がっている。観光案内書には必ずこの風景が 紹介されている。他の人達はロハ゛の馬車でボチボチ回っていたが、我々は一周2000PTS (1400\)で川崎サンと4人乗りの馬車を選び優雅に市内を散策した。スペインと言えば レンガ色の屋根に白い家壁になっているが、これは、この土地での土の性質によるもので、         焼くとレンガ色になるそうだ。又、白い壁は石灰を溶かして塗っているそうで、これが 普通の塗料を使うより、安く仕上げるためだそうだ。
また郊外に出ると、よく開墾された小高い丘の頂上まで一面にオリーブがギッシリと 植えられていることに驚く。これがアンダルシア地方の郊外風景だ。流石にオリーブの 生産量世界一だけはある。日射が強い上に降雨量が少ない土地で良くも枯れずに育つものだ と感心させられた。
  昼過ぎにグラナダに入り、昼食後、アルハンブラ宮殿を見学した。アルハンブラと 読んでいるが、スペイン語では、Hは発音しないので、正式にはアランブラとなる。     アランブラとはスペイン語で赤い城と言う意味で、小高い丘の上に広がる回教徒最後 の砦となったグラナダ王国のアランブラ宮殿である。アラブ建築独特の繊細で、 しかも しなやかな装飾や、巧みな光と水の使い方には感心させられる。1492年キリスト教徒に 城を明け渡すまでは、回教王国の首都だった。現世の享楽を刹那的に追い求める王宮で 22代続き、宮殿を拡張して、装飾を施して行った跡がみられる。王宮、天人花のパティオ、 コマーレスの塔、獅子のパティオなどが見所である。ガイドのパコさんは日本語がとても 上手で、時々冗談や洒落を言うくらいである。此処ではヘネラリーフェの庭園を含めて、 37℃を越す暑さの中で約4KMも歩きいささか草臥れた。王宮から見える向こうの丘の中腹 には、ジプシーの住処と言われる横穴蔵が点在していた。
コルドバは、756〜1031年まで回教王国の首都として栄えた。巨大なメスキータは当時の 繁栄振りを物語っている。回教寺院としてはメッカにある世界一の大きさを誇るカーバ 神殿の次に大きい。中に入ると850本の大理石の柱があり、各々が白い石と赤いレンガで 出来た馬蹄形の2重のアーチを形成している。何とも言えない美しさと荘厳さがある。 3世代に渡り拡張され、当時25,000人が礼拝出来たと言う。また2000年前のローマ時代に築 かれたローマ橋は今も健在で使用されているとは驚かされた。
トレドの全景が見れる展望台がある。眼下にまるで箱庭の様な感じでチマチマと建物が 密集している。忽然と広がる石造りの中世都市。橋を渡って町の中に入ると、狭い石畳の 道が、迷路のようになっている。かってはスペインの首都として、政治、文化、宗教とあら ゆる分野の中心として栄えた。トレドの文化は、回教、ユダヤ教、キリスト教の重層文化 であり、ヨーロッパで最も古い歴史を持つ都市の一つ。大寺院は90mの鐘楼が壮観だ。
名産は金銀の糸を織り込んで行く象眼細工が有名だ。1級、2級、3級とあり、1級品は名人級 が造り相当高価であるが3級品は練習生が造るため安価に売られている。ツアーの連中は、3級品 には目もくれず、1級品を買っていた。日本人は上得意様と言えよう。
  我々が泊まったホテルはトレドの街を見下ろせる対岸の小高い丘の上に建つていた。 周りはオリーブの木が植えてあり、ホテルの前庭にも数本植え、その木陰に駐車して暑さを 凌いでいる。ホテルは近年出来た風で、新しく、床は総大理石張りで奇麗なものであった。 大理石はスペイン南部で採石されるもので、郊外のオリーブ畑の所々に大きなクレーンが 立ち、そこで採石している。また特にトレドの街の夜景は、大寺院をクッキリと浮き上 がらせたスポットライト、街の路地や、家々の照明が、まるで真珠の玉をばら撒いた様に キラキラと輝きとても美しかった。ホテルの屋外にはBARがあり、夜景を見ながら生演奏を 聴き一杯飲み乍ら楽しめる様になっている。
  マドリッドには2泊した。一日目はプラド美術館見学とショッピンク゛。 プラド美術館は、パリのルーブル美術館、ロンドンの大英博物館、レニングラードの エルミタージュ美術館などと共に世界的に有名な美術館の一つ。丁度日曜日で午前のみ の開館。時間をかけてユックリ見たかったが残念! 主要な物に絞り、駆け足で見て回る。 収集された美術品は、現在、絵画6000点以上と言われており、展示されているのは、そのうち 3000点位。ゴヤ、ベラスケス、グレコなどスペイン作家のものが多い。ゴヤの「着衣のマハ」 「裸のマハ」の描かれた由来など、男まさりの日本人女性ガイど米(ヨネ)さんの説明は面白 かった。
二日目はOPツアーでセゴビヤ半日観光へ行く。マドリッドから北西90KMの街で、此処には、  ディズニーの「白雪姫」のお城のモデルになったアルカーサスがある。美しい城だ。 また2000年前のローマ時代の水道橋が残っている。建築はセメントや漆喰などの接着剤を 一切使わずに花崗岩を積み重ねただけと言うから、古代ローマ人の土木技術の高さに驚か される。ここ十数年前まで実際に利用されていたと言うから驚く。
  昼食には、名物料理の「子豚の丸焼き」に挑戦した。母豚の乳だけを飲んでいる生後20日 までの子豚で、大きな釜戸に180度の高温で塩のみの味付けをする。こんがりと焼きあがった 皮にとろけるような脂肪分の肉が美味しい。一匹で6人分。ナイフを使わず、お皿の淵で 切り裂く。天皇陛下が召し上がられたCANDIDOと言う有名な店で食べた。@6000¥程度、桂子 には子豚の足の部分が来た。皮はバリバリとして美味しく、肉は若鶏に似た感じであった。
  スペインに来てから、スリ、カッパライには充分気を付けろ、特にジプシーには油断 するなと言われて来たが、此処でツアー仲間の一人が被害に遭った。ジプシーの女性が レースのクロスを売りに近ずいて来て、顔前にレースを広げた瞬間、胸ポケットの小銭入れ を盗まれた。ハット気が付き女性の手中にあった財布を取り戻す事が出来、難は免れたが         ヒヤットした瞬間であった。危ない危ない・・・
  スペイン最後の訪問地は、バルセロナ。ガウディ、ミロ、ダリ、ピカソなどの近代巨匠達の 芸術に溢れ、商工業の中心地として栄えるスペイン第2の都市。マドリッドとは違い街全体に 活気がある。此処での見所は、聖家族教会、1882年から建築が始められ、1891年からガウディ に引き継がれた。しかし内部は、まだ吹き抜けの状態で、現在8本の塔が完成して いるが、 後10本建てる予定で現在も建設が続けられている。
石工の中に大分県出身の日本人が一人加わっているそうだ。全部完成するまでには、後200 年かかると言われている。「神様はお急ぎにならない」! 気の長い話しだ。これがスヘ゜イン スタイルと言うことか・・・スペイン人は働き嫌いで、短い人生を睡眠時間を割いて最大限  楽しんでいる。また近代スペインの代表的建築家、アントニオ・ガウディの建築群も目玉の 一つである。聖家族教会を初め市内の建築物であるカサ・ミラ、カサ・パトロ、など一見して それと判る風貌(?)をしている。
またグエル公園に行けば、モザイクを用いた公園のベンチ、多彩色のタイルにキラキラ         輝く建物、竜とトカゲの作り物、ドリス式の列柱などなど、沢山の作品を見ることが 出来る。やはり不思議な建築物である・・・これら沢山の逸品を残したガウディも、晩年は 恵まれず、72歳で電車に跳ねられた亡くなったが、浮浪者と見間違えられ、2ー3日身元が 判らなかったそうだ。
  昼食時ガイドの宮本さんと色々話したが、彼は8年在住で、住めば都と言っていた。 ただ消費税は7%、車、TV、背広などへ掛かる贅沢税は17%であり、日本の消費税 3%は低いと言っていた。収入はバルセロナオリンピック前は引く手数多でよかったが その後は横ばい、物価はオリンピック前後で1.5倍に跳ね上がったそうだ。ヴァケーシ ョンで南部海岸のアパートを一年借りても20万円程度で済むそうで日本では考えられない         安さである。
  ヴァルセロナから日本への直行便がオリンピック後は無くなり、西独のフランクフルト が中継地となる。明朝は、起床4:00。7:00出発で朝が早い。楽しみにしていた空港での免税 ショッピンク゛は出来ず残念。フランクフルトでの待ち4時間が全くモッタイナイ!・・・         日本まで11時間弱の最後の長旅だ。
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