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トルコの旅 編
トルコの旅 総括
トルコについての認識は甚だ乏しく、西洋文化と東洋文化の接点にある国、シルクロードの終点、
大して大きくはない国、シシカバブーぐらいで、実は日本の国土の3倍も広いとか、歴史的にも
かなり古くから文明が発達した国だと言うことを知らなかった。紀元前2000年頃北方民族の
ヒッタイト人によって制圧され紀元前1800年頃には王朝を築いていた。また紀元前1300年頃には
エジプトの例の建築王ラクマス2世とシリア支配を巡って争っていたこと、戦争は引き分けに終わ
ったが、この事実はエジプトのカルナック神殿の壁に象形文字で刻まれているそうだ。製鉄と騎馬
の文化を引き継ぎ、象形文字と楔形文字を残している。
近年は1923年アタチュルク(本名ムスタクマ・ケマル)によりトルコ共和国が樹立され、首都は
イスタンブールからアンカラに移された。アタチュルクは建国の父として1938年に亡くなる迄の
15年間に輝かしい改革を行っている。政教分離、アラビア文字の廃止とローマ字の採用、女性が
顔を覆う黒いヴェールの禁止、一夫多妻の廃止、婦人参政権・・など先見の明がある。現在アン
カラにはトルコ全人口の僅か6%しか住んでいない。
やはりトルコでの見所はカッパドキア地方の奇岩であろう。アンカラから340km、車で約4時間位
走った所にある。太古にエルジャシュ山の火山活動により数百メートルの火山灰が積もり、後にそれが
固まり厚い凝灰岩となり、長い年月かかって雨風に侵食され、現在の奇岩となったもので自然が造
り出したもので驚異を感じる。箱庭に見る小人のお家の様にトンガリ帽子の屋根、松茸の様な岩・・
等。昔は多くのキリスト教徒が住んでいたが7世紀頃イスラム教勢力が強くなり、彼らの攻撃を避
けるために、これらの岩を掘ってキリスト教の礼拝所や修道院を造った。また巨大な地下都市を造
って隠れ住んだと言われている。
カッパドキアの奇岩地帯は本や写真で見たものより遥かにスケールが大きく、丁度アメリカのグラ
ンドキャニオンを思い起こさせる感じであった。トンガリ帽子の小山、砂丘の風紋の様な柔らかい
波面状の小山、種々な形状が一面に広がっている。その小山をくり貫いて人が住んでいたとか、中に
入ると宗教フラスコ画が壁面、天井に描かれており、赤色の塗料がまだ綺麗に残っている。
その時代により以前描かれた絵を消したり、上書きしたりしている。赤の塗料は赤い岩石を砕いて
使っている。時代が新しくなるにつれ木の皮や草の葉を使った黄色や青色・・と多色になって来て
いる。キリストを中心に4人の聖人の姿など書いたり刻んだりしている。これらはギョレメ野外
博物館と言われる所に、リンゴ教会、暗闇の教会、サンダルの教会、蛇の教会、バックルの教会・・
など名付けられて立派に遺跡として残っていた。この野外には丁度桜の花の様な背の低い木が植えて
あり、花芽が膨らんでいた。この所の異常気象で1月〜2月は半袖でよかったのに3月に入って雪が
降ったりして、道端にはまだ雪が残っていた。外はやはり寒い。38℃の暑い暑いエジプトから来た
我々には最高温度が3℃の小雪混じるトルコでは余りにも気温差が大きく風邪を引いて体調を崩す
人も出た。
一方カッパドキアのカイマクルの地下都市は、これまた人が造った物かと目を疑った。地下8階
まで掘り抜かれているが、今は5階までしか見ることは出来ない。中は一人がやっと中腰で通れる
くらいの細い通路と階段で小部屋が繋がっており、礼拝所、台所、集会所、貯蔵庫、ワイン醸造所、
住居などまた80mの穴が掘ってあり上から空気、下から地下水など換気機能も考えてあり、また調味
料を造る石臼など生活するのに困らない様に出来ている。外の自分の家からは秘密の通路で繋がっ
ており、いざと言う時に逃げて来て生活していたとか、多い時には15,000人が住んでいたと言われ
ている。全く凄い物を造ったものだと驚かされる。一見の価値ありと思った。
カッパドキアの奇岩を見ながらバスで移動していると、砂漠の中に所どころ煙突の様なものが数
本でていた。何か変なものが出ているナーと思っていると、この下に人が住んでいて、その煙突だと
言う。丁度昼食時で洞窟レストランと聞いて納得した。中に入ると30m位の円形に掘り込んであり
その円周上に小部屋がありテーブルが並べられていた。中は相当に広く、ストーブで暖を取って
いた。此処でのジャガイモの丸焼きはとても美味しく、半分に割ってバターを入れて食べる。
添乗員の五賀さんは大好物で2ケも食べた。メーン料理は鱒の煮付けで味はまづまづ。デザー
トはリンゴ、オレンジが丸ごと出た。食事を終え隣の陶器屋を覗いて見た。絵皿を造って売っ
ている。此処も店の奥が地下都市ならぬ洞窟がいく手にも分かれ小部屋になっており、それぞれ
に眼の醒める様な綺麗な絵皿が一杯飾ってあった。余りにも綺麗なので記念に一枚買った。
トルコ石 おなじみの薄いブルーの石 一般にはその名からトルコ原産の石だと思う人が多いが、
実はトルコではなくイラン原産の石だそうだ。何時の間にか全世界的にトルコ石と呼ばれる様に。
なったと店の人が話していた。最近は塗料を塗った偽の石が氾濫している様で、石を割ってみる
と偽物は中が白色、本物は中も同じ色で見分けられると実演して見せてくれた。店に入ると何処
でもウエルカムドリンクが出る。小さめのカップにヤム茶(紅茶)、アップル茶など。エジプトでも
同様でシャイ(紅茶)、カルカデ(ハイビスカスの花を煎じた紅茶の様なもので赤い色をしている)が
出てくる。いづれも砂糖をたっぷり入れて飲む。飲み慣れると中々に病みつきになるくらい美味
しい。ホテルに入ってもチェックインしている時に必ず出てくる。なかなか良い風習である。
トルコと言えばもう一つ思い出すのは、カーペット/絨毯である。我々もカーペットスクールを
見学した。行ってみて初めて知ったことだが、小学生くらいの子供達が織っていた。丁度11才の女
の子がデモンストレーションしてくれたが、小さな細い指の長い娘でないと織れない。何本もある
縦糸に小さな指先で横糸を巻きつけて行く、器用な手さばきだ。幅広いものは5〜6人の小さい
娘が縦糸に向かって一列に並んで作業している。物によっては3年もかかってやっと一枚出来る
ものもあり、縦糸と横糸の材質、目の数、機械織りか手織りか、草木染めか化学染めか・・・
色々あって値段もそれに比例している。数百万円するものもある。絹を使った繊細なものは溜息
すら出る程高いが日本で買う1/3位の値段で随分と安い。みんなを大広間に集めて絨毯のピンから
キリまで広げながら流暢な日本語で説明してくれる。日本語の喋れる大学生をアルバイトに雇
っている。同行の高橋さんが値段ではない!トルコの文化を買うのだ!と160万円の物を105万
円まで値切って買ったのには驚いた。高い様な安い様な買物だ。宮城さんも玄関マットを3万6千
円で買った。3万円も出せば日本で10万円相当の物が買える。確かに安い。女の娘は小さい時
から学校に入って技術を勉強し、自分で織った絨毯を嫁入り道具の一つとして持参するのだそうだ。
それにしてもあれだけ綺麗な模様の絨毯がよく織れるものだと感心し、驚いた。
ハマムと言われているがトルコの銭湯がある。俗に言うトルコ風呂である。日本ではトルコ風呂と
言えばあまりよいイメージはないが、トルコに行ったら是非ハマムに行って垢擦りをやれと有名で
ある。物は試しで早速ホテルのハマムに行って見た。このホテルの宿泊客なのでus1$くらいのチッ
プでよいと言う。(他のヘテルから来た客であれば¥1000くらい)まず裸になって湯を2〜3回
浴び、中央広間の熱い大理石の上に大の字になって寝て汗をかく、この間が待ち時間でもある。
順番が来れば三助が呼びに来て別室に入る。最初はうつ伏せになり背中に数滴液をかけ、ヘチマ風
のもので一通り擦上げる。次に別の液をかけ、今度はマッサージ、簡単にツボらしき所を押さえて
来る。次に仰向けになり同じことをやる。これで終り。10〜15分あっと言う間に終わる。
後はサウナに入り、シャワーを浴びて帰る。余りにも簡単で、垢擦りは皮が剥けそうなくらい痛い
とか物凄い垢が出るとか・・いろいろ聞いていた話と大分違うと思った。待合室でイスタンブール
でやってきた人の話しを聞いたが値段も3倍取られたがサービスはまだ良かった。丁寧に垢擦りを
やってくれた。此処のは話しにならないと言っていた。一寸期待外れのハマムであった。
カッパドキアからアンカラまで車で約4時間ばかり走る。トルコは日本の国土の3倍あると言わ
れている様に郊外に出ると一面畑、牧草地が広がり、この中を一本の道が真っ直ぐ走っている。
アスファルト路で舗装は悪く時々大きくバウンドしながら走って行く、これがシルクロードで
東アジアから物を運び、イスタンブールで物物交換して帰って行った昔からの商業ルートである。
本当に広さを感じる。誰もいない途中の道端で4〜5人の女性が草むしりをしている様な格好を
見て何だろうと思っていたがこれは食用になる花芽を摘んでいるそうでとても美味しいものだと
現地ガイドが話していた。また トルコは外国物資に頼らず全て自給自足が出来る国だと聞いて
大した国だと感心した。
イスタンブールはトルコ最大の都市である。人口約740万人で首都アンカラの2倍以上の人が住ん
でいる。ヨーロッパとアジアの間にあり、東ローマ帝国の文化遺産とイスラム文化のミックスした
エキゾチックでしかも独特な雰囲気を持った街である。此処にも見るものは沢山あるがまずトプカプ
宮殿に行った。トプは大砲、カプは正門と言う意味だそうだ。1467年に建てられ1924年以降は博物
館として利用されている。公園の中を抜けて、大きな城門をくぐれば美しい庭園がありこの中に
博物館が並んでいる。陶磁器の博物館、時計の博物館、宝石の博物館、・・など 陶磁器の博物館
には中国の宋、元、明時代の素晴らしい陶磁器が並んでいる。日本の有田焼も展示されていたが
よくもこれだけの物を集めたなーと感心する。また宝石館には3.26kgの世界最大のエメラルド、
86カラットのダイヤモンド、また映画「トプカピ」に出てくる柄に3個のエメラルドを埋め込んだ
短剣・・等目を見張る美しさであった。全く凄い!!
またイスタンブールにはブルーモスクと呼ばれるトルコ最大のモスクがある。6本のミナレットがあり、
建てるときのいわれがいろいろ語り継がれている。元々ミナレット(塔)は一日5回の礼拝を呼び掛
けるための塔であり、ミナレットに上がってよく通る大きな声で礼拝の時を告げていたと言われる。
現在は拡声器でコーランが流れて来て時を知ることが出来る。天井の高い大きなモスクである。
添乗員の五賀さんがイスタンブールで一番ロマンチックで大好きな場所だと言っていたアヤソ
フィア/地下宮殿・アヤソフィアはギリシャ正教の大本山だった教会で1453年オスマントルコが支配する様に
なって教会はモスクに改修された。その当時壁面に描かれた美しいデザイン画も漆喰で塗り込められた
そうだが、その後共和国時代になって漆喰が剥がされ、5世紀振りに美しいデザイン画が見られる
様になったそうだ。五賀さんが本当に好きだと言ったところは、実は地下宮殿ではなかろうかと
思った。地下宮殿と言っているが、地下貯水池であって336本の柱が林立しその間を渡り廊下
で歩いて行く、照明は薄暗く水蒸気が立ち込めた様で、まるで朝霧の深い森林樹間の中を歩いて
いる様な感じ・・ロマンチックなクラシック音楽が流れている。暫く歩いて行くと奥まった所に、
柱の土台が女神の顔で出来ており、天地逆に向いたものと真横を向いたものと2柱、薄黄緑色の
照明に照らされて何とも言えぬ雰囲気を持っている。これが何とか言う有名な像で、見るのに押し
合いへし合いで物凄い人だかりであった。当方は寒い外から生暖かい、湿度の高い地下に入って
きたものだから、眼鏡は曇って見えないし、ビデオカメラのレンズまで曇って撮影にならないし
で全く慌てさせてくれた。しかし若い女性がロマンチックで好きだと言う雰囲気が分からない
でもない。何か幻想的な世界であった。
も一つ書いて置きたいのはグランドバザール。 トルコを発つ日の午前中に少し時間があり、
ホテルの近くのバザールを覗いた。市場と言う感じで、中は迷路の様に路地がつながり小さな店が
ギッシリ並んでいる。貴金属、皮製品、絨毯、布製品、銅製品・・・など4400もの店が並んで
いると言う。確かに物は安い。値切って値切って1/2〜1/3くらいにはなる。ゆっくり時間を掛けて
歩けば面白い所だ。ただ掏りやカッパライが多いので懐中物には用心しろと言われた。前夜ホテル
の近くで別グループの女性が道を歩いていて被害に合い、帰国を延ばさざるを得なくなったと聞か
された。掏りにも気をつけねばならずやはり疲れる。貴金属などは値段が安いからと言って飛び
つくと案外鍍金であったり・・・と品物を確かめて買わなければならない。孫のTシャツなど
刺繍入れで可愛いのがあったので2〜3枚買った。帰りがけにバザールの入り口でおじいさんが
栗を焼いて売っていた。一袋20ケくらいで50万トルコリラ(¥1000)で飛ぶように売れていた。
大きな栗でとても美味しく、食べ応えがあった。
トルコ最後の夜はベリーダンスディナーショー 食事をしながらベリーダンスを楽しむのである。
トルコでは子供の頃から祝い事のある時にはベリーダンスを踊ると言う習慣があるそうだ。
実に見応えのあるもので、スペインのセビリアで見たフラメンコショーと同じ様に素晴らしい踊り
であった。8時頃から11時頃まで、トルコの民族舞踏を間に挟みながら、メーンのベリーダンスを
3人の美人ダンサーがそれぞれにじっくりと踊ってくれる。色白でスタイルのよい、肉感的な美人
が髪を掻き上げ、腰を見事にくねらせて、豊満なオッパイを揺らせて踊る姿は男ならずとも素晴らしい
と感じた事だろう。一人の踊る時間も15分〜20分くらいあろうか充分楽しませてくれた。鼻の
下が大分長くなった・・・
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