マリについて:マリは独立する前は小さな国に分かれていた。面積的にも大きい国で歴史的にも古い。、 面積は日本の約3.3倍で3つの王国は、ガーナ王国、マリ王国、そしてソンガイ王国であった。それ以外にも大小 様々な国があったがお互いに争い、戦争しながら歴史が作られた。フランス人が60年以上支配していたが1960/9月 にやっと独立した。当時500万人が住んでいた。最大の部族はバンバラ族であり全人口の32%を占めている。50に 上る部族が住んでいる。現在はイスラム教に改宗する人が多い。バンバラ族は多神教と土着信仰者でドゴン族は イスラム教と多神教の両方である。マリはイスラム教が80%と多いがフレキシブルなイスラム教で、殆どの人が アルコールを飲んでいる。 ドゴン族は:13世紀頃にはバマコ付近に住んでいたが、イスラムに改宗するか、さもなければ殺すと 暴力を振るわれその地を離れて現在の地に逃れてきた。16年掛けて現在の地に辿り着いたが、この16年毎にシキ ダンスという仮面を付けた伝統的な踊りが行われる。元々この地に住んでいた原住民はピグミー系のテレム族で 台地の上の方に住んでおり、ドゴン族は下の方に住んでいた。テレム族は狩猟民族、ドゴン族は農耕民族であり、 木を切って土地を広げて行った。テレム族は住みにくくなり、最終的には衝突し、ドゴン族が強く、テレム族は 追われる形になり、最終的にはブルキナファソの国境付近の砂漠へ逃れ定住した。ドゴン族はこの高さ250m〜500m、 長さ250kmの断崖の地に住みついた。 ジキボンボ村のトンガリ屋根:この面白いトンガリ帽子の建物は倉庫で、男性用と女性用と2種類ある。 男性用の倉庫は粟などの穀物や食料品が入っており、女性用より背が高く、ドアや窓の数も上1つ、下2つと多い。 一方、女性用の倉庫は内部が色々分かれており、女性の所有物が入っている。ドアは男性用より小さいものが1つ付 いている。この地では奥さんの数は何人でも許されており奥さんが2人なら、家族(男)のものが1つと女性用が最低 2つの倉庫がある。家の倉庫の数を見れば家族構成や男の働きぶりが分かるという。 モプティの町:ニジェール川に支流のバニ川、2つの川が交差するところにある町。ニジェール川は、 ナイル川コンゴ川に次ぐアフリカ第3の川で全長4,250kmあり上流はギニヤからマリ〜ナイジェリアまででマリの 国内でも1,700kmの長さがある。バニ川はその支流で「バ」は川、「ニ」は小さいと云う意味で小さい川を表す。 バニ川は象牙海岸から。川の近くにはボス族やスラニ族も住んでおり、家畜を飼育して生活している。エチオピ アに住んでいた部族やドゴン族の中のソンガイ族やバンバラゾ族も住んでおり人種の坩堝とも云われている。 「モプティ」とは人々が集まる場所と云う意味である。 名前で見分けられる!:名前が重要な意味を持っており初対面でも名前を聞けば部族、出身地、職業 などを当てることができる。 黄金郷・トンブクトウ: トンブクトウは交易都市として栄えた。岩塩が取れそれを下流に運び、下流 からは黄金を運び、トンブクトウには黄金が集まった。ラクダに黄金を積みメッカに巡礼し黄金をばら撒いて 一躍ヨーロッパに有名になった。1400年の後半までトンブクトウは栄えた。1826年最初のヨーロッパ人(英国人) がこの地を訪れたが軍人の服装で英語しか話せず、スパイだと思われて殺害された。2人目のヨーロッパ人(仏人) はその2年後1828年にやってきたが原住民の格好をし上手く殺されずにモロッコ経由でフランスに帰り報償を 貰ったそうだ。トンブクトウには3つの有名なモスクがある。2つ目のモスクは1400年代建てられ、1939年に再 建された。ここには多くの裁判官や聖職者、賢者がおりアフリカ中から学問や天文関係、医学を学びに25,000人 の学生がいた。モスクは雨期が終わると毎年泥の塗り直しをやった。モスクはメッカの神殿と同じ大きさで、 当時人口は10万人いたが1580年からの干ばつや洪水で衰退し、1590年にはモロッコのサード王朝により町は 破壊された。その後1800年代の探検ブームで多くの探検隊が来たが、黄金郷・トンブクトウは名前だけが独り 歩きし、繁栄期より200年も後のことで見る影もなかったそうだ。1989年世界遺産に登録されたが、1990年登 録見直しで現在は危機にある世界遺産となっている。これから100年後には完全に砂漠に覆われ、町は無くな ると云われている。砂漠化が進んでいる。現在は川の流れも10km北に変わり、リビアのカダフィが資金援助で 作った運河で水を引いている。 現地ガイドから聞くマリの生情報!