現地ガイドから聞くベニンの生情報!
ベニン人のナイジェリア人評価:ベニンの人は隣国ナイジェリア人に対してあまりよい印象
は持っていないようだ。一口で云えば @ 暴力的である。A 隣国の人を大切にしない。B 金のことばかり云う。
C 自分たちを大国に見せようとする。などである。我々ベニンの人たちは@ もっと穏やかな国である。
A 外国人を尊敬している。などと云っている。真偽のほどは分からないが、程度の差はあるが内心感じている
ことには間違いなさそうだ・・
ベニンの笹川財団:笹川財団は海外で支援活動をしているがこのアフリカでは、1,960年から農業
支援をやっており、1,992年からベニンに支部を置き、1993年にコトヌー会議を開くなど活動をしている。
ただ資金的援助だけでなくモチベーションを上げるような工夫、プロジェクトに参加した人に投資し目標値
をクリアーした人には本格的に投資をして行く・・など。
ベニンに自殺者はいない:日本は自殺者が80-100人/日、年間33,000人で世界のワースト5に入っ
ている。日本は自殺者が80-100人/日、年間33,000人で世界のワースト5に入っている。ベニンでは自殺者は余り
聞かない。日本は自殺者が80-100人/日、年間33,000人で世界のワースト5に入っている。ベニンでは自殺者は
余り聞かない。アフリカ人はどんな時でも希望を失っていない。生まれ持って信じる人である。輝かしい将来
を夢見る人である。何時も神にお祈りをし、髪が力を与えてくれると信じている・・
ダホメー王国:この内陸部にあるダホメー王国がヨーロッパに知られたのは、奴隷貿易の仲介商人
がいたためで、黒人の仲介商人は回りの村々を回り奴隷を集め白人に売り渡した。1,400年半ばに白人が入
ってきて奴隷貿易が終わった1,833年まで続いた。奴隷の仲介業者は引き換えにヨーロッパの銃を貰い、その
銃を持って奴隷を集めた。村人たちは銃の前になすすべがなかった。非人道的な奴隷貿易に対してヨーロッパ人が
謝罪しないのは自分たちだけでやったのではない。止める時に激しく抵抗したのは黒人仲介人たちであったから
である。因みに大砲1基に対し奴隷、若くて力のある男で21人、美女なら15人で交換が相場であった。現在、
王国の建物は残っておらず、広い敷地だけである。1,983年に世界遺産に登録された。
ダホメーのその後:1代目の王ゲゾー王は1,818-1,857年、息子が2代目を継ぎこのグレレモ王が亡く
なった時はその妾44名も生き埋めにされたとか。グレレモ王の墓の中の壁は奴隷たちの血が使われたそうだ。ダホメ
ーの人たちはその後何処へ?まだ生きており王様の地位も約束され、象徴として王を名乗って暮らしている。ダホ
メーの名は1,975年にベニン共和国となった。社会主義政権、一党独裁を続け、1,989年世界の民主化運動と共にベ
ニンは民主政権となった。