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ペルーの旅 編

JTB旅物語 U900-00 (2000.9.29〜10.9)

「マチュピチュ遺跡を訪ねるペルー紀行10日間の旅」 今回は遠い遠い南米ペルーの旅であった。 成田を出てロスアンジェルスで乗り換え 待ち時間も含めるとなんと21時間以上も掛かる。 自宅を出て最初の目的地まで30hr掛かってやっとである。 日本から見ると地球の裏側に位置する。    ペルーにはナスカの地上絵や謎の空中都市マチュピチュの遺跡や 3800mを越える高地に琵琶湖の12倍もある神秘のチチカカ湖がある。 一度は訪れてみたいと長い間胸に秘めていた国でもある。 何れもインカ文明の素晴らしさを充分満喫出来る旅であったが・・・。 高地による高山病に倒れていくツアー同行者の姿を見るにその厳しさを感じた。 4000mの高地ツアーは並の旅行ではない・・ ぺルー

マチュピチュ

ナスカ地上絵

幻の空中都市マチュピチュ
2300mの岩山の上に忽然と廃墟が並ぶ
謎に包まれたインカ文明の足跡

ナスカの地上絵
1500年もの間ひっそりと眠っていた 
誰がどうやって何の目的で描いたものか・・ 





*ペルーの旅・総括スライド 53枚/7分





ぺルーの旅 総括:
   
                                           ペルーは日本の約3.4倍の面積を持つ国である。その国は海岸部の乾燥地帯と中央部の
                                アンデス山脈の高原地帯とアマゾン源流の熱帯雨林地帯で構成されている。
                               人口は2400万人とも言われているが、40%が先住民のインディオと白人の混血である。
                               歴史的な発祥は3000年前にさかのぼる。その後紀元前200年頃にティワナコ文明が発生、
                               13世紀になってインカ文明が台頭し、一大帝国を樹立。しかし1533年スペイン兵
                               によって滅ぼされる。以後1820年に独立、1980年に民政が実現した。
                               この素晴らしいインカ文明の未だ解明されていない謎が人々を引きつけている。
  最近のペルーは日系のフジモリ大統領やテロのよる日本大使館占拠事件など記憶に新しいが、              小さい頃からの想いは幻の空中都市マチュピチュやナスカの謎の地上絵などである。              一度は訪れて見たい国でもあった。何れも世界遺産として登録されている。               やはり期待に違わず見る価値は充分にあった。しかしアンデスの高地は聞きしに勝る厳しい               所で、ツアー同行者が次から次ぎに高山病で倒れて行ったのには驚いた。
 インカ時代の中心地クスコが3,320m、チチカカ湖が3,890m、クスコからプーノ              への高原道路は何と4,335mの最高地点を通過する。日本では経験出来ない高度の旅行              である。空気が希薄で呼吸が苦しくなってくる。 初めての体験でもあった。此処は若くて              元気のよい時に旅行する所だ。
   さてペルーの現大統領フジモリ氏は9年の政権を担って来たが、最近退陣を              表明された。色々噂が出ているようだが、評判を聞いて見ると大衆層の支持はかなり厚い。              元々大学の教授であり教育改革で立候補して支持されたが、業績はかなり上げている。             農村を含めて各地に学校を立て教育費も無料で南米一の識字力を持った国にした。また特にテロ             対策には力を入れ成果を上げており国民から評価されている。観光立国として力を入れているが、             テロによる日本大使館占拠事件以後観光客はバッタリ激減し国の経済は大きな痛手を受けた.              昨年当たりから観光客も増えて来て生活も上手く循環するようになったと喜んでいた。
 ペルーは貧富の差が激しく、金を持っている人は想像できないくらいの豊満で、逆にその               日の生活にも事欠くひとも多い。フジモリ氏が下層階級に厚い政策をとっているのでブル             ジョア層から反対の狼煙が上がっていると聞く。農村を含め至る所にフジモリ打倒の看板が               書かれているのが目に付く。
  ナスカの地上絵は未だ謎に包まれている。地上ではその存在が分からないが、飛行機から              見る絵は広大な大地に規則正しい図形が描かれどの様にして書かれたものか・・・と思う。              最近は進入禁止になっているが心ない4輪駆動車の轍の跡などがつき、図形を壊している             所も見られる。滅多に雨の降らない場所であるが最近エルニーヨ現象で一部が破壊したとも              聞く。描かれてから1500年もの間誰にも知られずにひっそりと眠っていた絵は段々と               風化して行くことは避けられそうにないと感じた。
 幻の空中都市「マチュピチュ」はまさしく山と山、峰と峰の合間の台地に出来た神殿遺跡で               ある。2700mもの高地に当時最大1500人位の人が住んでいたと聞く。段々畑、水汲み               場、太陽の神殿、神聖の広場、倉庫・・・など都市形態をなしている。よくもこんなものをと               驚く。インカ文明の石組の素晴らしさも所々に見ることが出来る。鉄の道具もない時代に石の面              を出して隙間もなく積み上げて行く技は素晴らしい。ペルーで300年に一度起きると言われる             大地震にもびくともしないで耐え抜いて来た。
 4000mの所にあるシルスタニの遺跡も素晴らしい。プレインカやインカ時代の王や貴族の墓              が数基残っている。上広がりの丁度コップの形をしており1m平方の石を高さ6−7mに積み              上げた直径3m位の円形。入り口が真東に向いている。中に金銀とミイラが入っていたそうだ。              バスから降りてそこまで100mくらい登ることになるが、4000mではその100mも              息苦しくて登れない人もいた。頂上にはウマヨ湖があり中央にあるウマヨ島は真平らな台地に              なっており此処でまつり事が行われていた。壮大な古代のロマンを感じる眺めであった。
  神秘のチチカカ湖などなど・・・  ペルーは見るところが沢山ある。日本から見ると             地球の反対側にある遠い国であるが、親日的であり人々の笑顔は明るい。 
               参考資料:パラの友人美紀さんの友達がこの6月にペルーに旅行した時に描いた                    イラストが全体の感じがよく出ているので紹介する。     
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旅程&印象に残った・・・見どころスナップ



PERU

JTB旅物語 旅程マップ ( 写真左 )
 成田→ロス経由→リマ(大統領官邸/黄金博物館/アルマス広場)→ナスカ(地上絵遊覧)→アレキパ(カテドラル/サンタ・カタリナ修道院)→クスコ(アルマス広場/サントドミンゴ教会/12角の石/サクサイワマンの要塞跡/ケンコー/タンボマタイ)→マチュピチュ遺跡(段々畑/水汲み場/太陽の神殿/神殿の館/神聖の広場)→プーノ(4000mシルスタニ遺跡/チチカカ湖/ウロス島)→リマ(天野博物館)→ロス経由成田



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ペルー政庁舎 ( 写真左 )
 リマ市内の中心部にあるマヨール広場の西側にペルー政庁がある。フジモリ大統領が執務している所。警備が厳しく鉄塀に囲まれて近ずくことは出来なかったが、決まった時間に行われる衛兵の交代式が一つの見物になっている。だが当日は残念ながらその交代式も見ることは出来なかった。9年間の長期政権への批判が高まり、先日退陣を表明しているが下層階級には厚い支持があるようだ。



ハチドリの地上絵 ( 写真右 )
 リマから飛行機で1時間半程度でイカ空港に着く、そこで遊覧用の12-3人乗りの軽飛行機に乗り換えて約2-30分砂漠の中を飛ぶと台地の上に描かれた地上絵が突然現れる。宇宙人、ハチドリ、コンドル、サル・・などなど。片言の日本語でパイロットが説明してくれる。右ハチドリ羽根の下・・見たか?てな具合。右に旋回、左に旋回真下によく見える様に旋回を繰り返す。最初は見る方に神経を集中しているがその内気分が悪くなりみんなおとなしくなる。不思議な絵だ。一見の価値あり。

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サンタカタリナ修道院 ( 写真右 )
 アレキバ観光の最大の見所。1579年に開設された女子修道院。1974年から一般公開される様になったが内部の修道女の居室や台所、洗濯場などそのままに残されている。内部は広くいくつかの美しい中庭を結んで迷路の様な回廊が張り巡らせてある。名家の次女が入門する習わしになっていたとか、外界と閉ざされた厳しい生活・・。写真は大きな鉢状の桶が並ぶ洗濯場。

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クスコ全景 ( 写真左 )
 リマから空路約1時間のクスコはインカ時代の中心地として栄えた所。標高3,300mの高地に何故首都を築いたか不思議である。現在のクスコはスペイン人によって築かれたが、あちこちにインカ時代の堅牢な石組みが見られる。街全体が茶色の屋根で覆われている。住民の大部分はインディオである。此処まで来ると誰でも少なからず高山病の症状が現れる。




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インカの石組み ( 写真左 )
 インカの石組みの技術は素晴らしい。石と石の合わせ面は一分の隙がないほどぴったりと築かれている。12角の石があるが、12面綺麗に揃っている。鉄の道具もなかった時代によくもこれだけの物が出来たことと感心する。スペイン人はこの技術を認めようとはしなかった。300年周期で来ると言われる大地震にスペイン人が建てた建造物は崩壊してもインカ建造物は耐えて来たと言われる。




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サクサイワマンの要塞跡 ( 写真左 )
 スペイン人の侵攻を防御するために造られた何段もの石組み。高さ9m、360tonの巨岩を如何にして運んで来たか、岩と岩は隙間のない精密な造りである。この技術は素晴らしい。前の広場は現在市民の憩いの場となっている。現在でも発掘、遺跡の修復作業が続けられていた。




マチュピチュの遺跡 ( 写真右 )
 幻の空中都市と言われるように、峰と峰の間に築かれた居住区。下界からは決して見えない。当時1500人の人が住んでいたと言われているが、段々畑でジャガイモやトウモロコシを栽培し糧としていた。太陽の神殿、水汲み場、倉庫・・など都市形態をなしている。遺跡の面積は40平方Kmに及び全体を歩くには優に2時間は掛かる。1911年アメリカ人によって発見されたとしているが、末裔たる土地のインディオ達は早くからその遺跡は知っていたと言われる。霧に包まれたマチュピチュの姿は哀愁の風情が漂っている。

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インディオの民族舞踏 ( 写真右 )
 マチュピチュ見学を終えて帰ってきた夜は「フォルクローレ・ディナーショー」を見ながらの夕食であった。色鮮やかな民族衣装を纏った可愛いインディオ娘たちがケーナ、サンポーニャ、チャランゴなど民族楽器による哀愁に満ちた音楽に合わせ踊る姿は素晴らしかった。また踊りの後は人気バンドの演奏でアンデスの雰囲気を充分満喫出来た。

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アンデス幹線4,435m ( 写真左 )
 クスコからプーノに向けてアンデス山脈を越える幹線道路が走っている。大部分は凸凹道で決してよい道とは言えない。途中最高地点は4,335mを越える。生まれて初めての高地走行の体験である。今までは北米のロッキー山脈越えの3,984mが最高であったが、それを遙かに越える道路である。記念標識を背景に写真を撮った。此処でもインディオ達が露店を開き民芸品を売っていた。 息が苦しい!
しかし近くの学校のグランドで子供達がサッカーをして遊んでいるのには驚いた。




コカの葉 ( 写真右 )
 コカインの原料である。現地では煎じてコカ茶として飲用する。何処へ行っても高山病の予防飲料として飲ませてくれる。普通の番茶と同じ味で飲むのに抵抗はない。現地で飲むのは問題ないが、葉っぱをポケットに入れて持ち帰るのは厳禁である。麻薬所持罪で逮捕される。中にはちょっとと言って持って帰る人がいるのだろうか・・添乗員が厳しく忠告していた。

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ウロス島のインディオの子供達 ( 写真右 )
 標高4,000mに琵琶湖の12倍もある神秘のチチカカ湖がある。この湖上に葦の茎を束ねて浮かしたウロス島がある。50の浮島にインディオ達が200人分かれて住んでいる。チチカカ湖で魚を捕ったり、観光客を相手に民芸品を売って生活している。子供達のためにちゃんとした学校も用意されている。葦の上はマットの様にふわふわして歩きにくい。2畳位の狭い小屋の中で家族が生活していた。

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その他今回の旅行の幾つかのスナップを紹介します。



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カテドラル
ペルーを統治したスペイン
のピサロの遺体が安置
されている

リマ・海岸でパラグライダー
海リッジを受けて優雅に
薄暗くなるまで飛ん
でいた。

リマ・海岸レストラン
「ロサ・ナウチィカ」リマで
一番豪華なレストラン。

リマ・愛の公園
スペインのバルセロナ
にあるグエル公園を
思わせるタイルモザイクの
絵が書いている。

アレキパ
ペルー第2の都市
2380m。背景は6000m
級の美しい冠雪の山々。

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名物「チュペ・デ・カマロン」
エビ、卵、野菜のスープ
で期待以上に美味しい。

郊外の風景
6000m級の山が美しい。

通称・アレキパ富士
富士山によく似た
ミスティ山。

ナスカの宇宙人
ナスカ地上絵遊覧で最初に
見える宇宙人の絵。

大鷲コンドル
羽根を拡げると3mもある
大きなコンドル。

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人気の地元バンド
インディオが古くから使用
しているサンポーニヤ。
葦の茎を長さを変えて
造ってある。

空港でコカ茶のサービス
高山病の予防になるという
コカの葉をせんじたお茶。


タンボマチャイ遺跡
3900mの所にある水浴場
今も豊かな水が流れ落ち
ている。サイホンの原理。

インディオの露店
観光客相手のインディオ
の露店

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ケンコー遺跡
生け贄の血を流して
世情を占っていたとか。

クスコ市内夜景
ダイヤモンドを散りばめた
様な美しい夜景。

登山電車
カラフルなアウトワゴン。
全席指定席で予約
が必要。

電車からの沿線風景
雲が低くたれ込めている
沿線の風景。

登山バス
このバスで2400mの
遺跡の入り口まで約20分
登る。

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段々畑
遺跡の半分は段々畑で
ジャガイモなどを作って
いた。


哀愁に満ちた音色で
インディオの民族音楽を
聞かせてくれた。

アンデス山脈のハイウエー
4335m地点の道路。
息が苦しい!

高地で飼育のアルパカ
アルパカの毛で衣服を作る

シルスタニ遺跡
4000mの高地にある
古代の墳墓。
コップ状に石を積む。

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ウマヨ島
4000mのシルスタニ
遺跡の頂上の湖の中に
ある台形の島

ウロス島
チチカカ湖の浮島に住む
インディオたち。
民芸品を売って生活。

島や船を造る葦の茎
島や小屋の材料になる
トトラ(葦)の茎。

ウロス島の葦船
トトラで造った船。

ウロス島のインディオ
民芸品を売って生活

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カテドラル
後ろに6000m級の
山が見られる

インカの石造物
積み上げた石は隙間の
ない優れた技術。
地震にも耐えて来た。

時計の高度
3798mを表示している。

ケンコー遺跡
大きな石が並んでいる

展望台
この小屋からマチュピチュ
の全景が眺められる。

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ショー
チャランゴ・ケーナ・
サンポーニャの楽器による
演奏。

インディオの露店
4335mの高地で商売

チチカカ湖遊覧
世界一4000mの高地で
商業船

チチカカ湖の日の出
5時22分日の出。

チチカカ湖の葦の渡し船
12−3人が充分乗れる



他の旅行地を見る!・・・・・ ホームページのトップを見る!・・・・


:旅程:

月日






観光ルート・内容


所感 / 雑感

9/29 1

機中
〜ロスアン
  ジェルス
〜ペルー・リマ
広島発7:55(H-353)-
   博多9:12
福岡11:05-羽田12:40
リムジン12:50-成田1400
15:20 第2ターミナル団体合
成田発17:20(JAL-062)
〜ロス着11:15
Los発14:10-Lima着00:40
〜ホテル着01:40
いよいよ出発の日。今回は福岡から国内線
を利用する。成田には羽田からのリムジン
を予約してくれた。集合時間には丁度
よい時間だ。添乗員の後藤さんはどんな人
だろうか? 今日は長い長い一日になりそ
うだ。ロスでの乗り継ぎ待ち時間を入れる
と何と21Hrにもなる。家を出て30Hr。
総勢30名のツアー、男性7名、女性23
名。圧倒的に女性が多い。夫婦が5組、
女性の仲良し二人組が5組、後は兄弟他。
男一人旅は私のみ。ペルー到着は翌朝の
午前2時前。荷物を整理して寝たのは午前
3時だった。ああ疲れた!
 9/30

    2

リマ   
Sheraton
  Hotel

ホテル発 11:00 
市内観光
アルマス広場
/大統領官邸
/黄金博物館


夕食は海岸レストランで
到着が遅かったので朝が眠い!
起きたのは9時半だった。午前中はゆっく
りと言っても11時には集合出発だ。
市内観光、市内は人が多くて汚い、砂埃の
感じ。ペルーの人口は2150万人、リマ
はその第一の都市。アルマス広場は南国の
雰囲気、大統領官邸は厳重な警備で外から
見ただけ。衛兵交代のセレモニーは土曜日で
お休み。黄金博物館は個人の収蔵品として
はたいした物。世界の武器博物館としても
有名。日本の鎧甲、刀剣類も多数展示。
インカの発掘品も多数、ほんとに多数あり。
夕食前に「愛の公園」に行った。バルセロナ
のグエル公園まがいのタイル絵のベンチ・壁
画がみられた。海リッジを利用してパラグラ
イダーが数機気持ちよさそうに飛んでいた。
夕食は海洋レストランで、どのレストランで
も最初にビスコサワーと言うトウモロコシの
蒸留した酒がサービスで出される。一寸アルく
コール分が高くきついが美味しい。女性は敬
遠の様子。地のビールは多少切れ味がうすい

がマアマア。
 10/1

    3

リマ
Sheraton
   Hotel
ホテル発 10:30 
Lima発11:10-Ica着12:00
市内観光
ナスカ地上絵遊覧飛行

昼食後
/織物博物館
/ミイラ展示館
/砂漠見学

Ica発18:00-Lima着18:40

ホテル着 19:00
              
昨夜便の客が到着し夜中2ー3時まで
うるさくて眠れない。
今日は待望のナスカの地上絵を遊覧する。
リマからイカと言うところまで40人乗り
のプロペラ機で出発。イカの街は砂漠の中に
あり埃っぽい。到着後13人乗りのセスナ機
に乗り換える。約20分飛んで最初に宇宙人
が見られた。パイロットが片言の日本語で見
えたかどうか聞く。右にハチドリ!左に猿!
翼の下・・と説明する。右旋回左旋回・・
姥枴洒sになる。最初は見るのに神経
を集中しているが、その内段々気分が悪く
なって来てみんな静かになる。
空から見る地上絵は思ったより小さく見え
る。4駆車の轍などで紛らわしい線が付い
て見えにくい所もある。砂漠に書かれた
この謎の絵も段々風化して来ている。
何れにせよ誰が何のためにどうやって書い
たか謎の中である。不思議な絵!
絵はがきと地上絵を模写した石を記念に
買う。日中は暑くて汗をかくくらい。
飛行場の裏にコンドルとアルパカを飼育
している。コンドルは初めて見たが大きな
鳥だ。羽根を広げると2-3mもある。
遊覧を終え昼食後近くの博物館へ行く。
インカのミイラが多数展示してあった。
戦で相手の首を切り、頭蓋骨に穴をあけ腰
にぶら下げて武勲を誇っていたとか・・
 10/02

    4

アレキパ 
Hotel Libertador
ホテル発 7:00(N61171)
Lima空港着7:20
Lima発9:00
アレキパ着10:15
           (2,380m)
休息

ロビー集合13:00
昼食 13:30-14:30
民族生演奏
市内観光
郊外の見晴らし台
/サンタカタリナ修道院
/カテドラル
/ショッピング

ホテル帰着 16:30

いよいよ高地に向けて出発。今日は中
間地点のアレキパで身体を慣らすため一泊。
リマから一気に3860mのクスコ
まで行く人もいるが、相当きつかろう・・
我々のグループの年長老女(75歳)が
早や高山病の症状が出て歩けなく車椅子
の世話になる。アレキパはペルー第2の都市
と言えど人口70-100万人。やはり埃っぽい
街だ。空港に降りるとアレキパ富士と言われ
るミスティ山や万年冠雪の6000m級の山やま
が美しい。空港周辺は日本車(トヨタ&日
産)の古いタクシー車のみ。日本車が実に多
く、何れも中古車を輸入したもの。
昼食は地元のレストランで地の生演奏を聞き
ながら、美味しいエビのクリームスープ「チ
ュペ・カマロン」これが大変な美味!演
奏も地元の人気バンド(22-28歳)でとてもよ
かった。記念にCDを買った。最後は演奏者と
記念写真を撮ったり雰囲気は盛り上がった。
女性グループは買い物が上手!アルパカのセ
ーターやマフラーなど値切って多数購入。
夕食時自己紹介があった。北は山形西は
福岡からの参加。多少参加者の素性が分か
った。添乗員の後藤さんは高山病予防の
注意をうるさい位言っていたが・・
もう既に2−3人が症状を訴えていた。
私も着いた時足下がふらつく感じがあった
がビールを飲んだら直った。
 10/03

    5

クスコ 
Libertador
cusco Hotel
ホテル発 6:15 
アレキパ発7:45(LP091)

クスコ着8:30
         (3,380m)
クスコ市内観光14:00
サントドミンゴ教会
/アルマス広場
/12角の石
/サクサイワマンの要塞跡
/ケンコー
/タンボマチャイ

ホテル着 17:00

今日はまた一段と高地のクスコに向か
う。セスナ機で約45’で3380mの
クスコ。到着の空港でコカ茶のサービスを
受ける。ホテルに直行し一休みして14時
から市内観光。小型バスで狭い路地を回る
インカの衣装を付けた可愛い子どもの写真
を撮ると写真料を要求される。行く先々で
露店が並ぶ、小さいものしか売れない。
サクサイワマンの要塞跡は風が強くて寒
い。よくもこんな所に石を積み上げたと
感心する。高さ5-6mの巨岩が一歩の隙間
もなく綺麗に積み上げられている。
インカの石組の技術は素晴らしい。中には
12角の石と言って12面をきっちり出して組
んである。見事である。タンボマチャイの
遺跡では高度3,790mある。富士山よ
りも高い。胸が重苦しい、酸素が薄いことが
よく分かる。高山病に掛かった人が数名出
る。食事も取れず部屋にこもる。結局各自で
食事を取ることになった。5日目にして疲れ
と高山病が一緒に出てくる。先が思いやれる。
10/04
6

クスコ 
Libertador
cusco Hotel

モーニングコール3:00

ホテル発 4:30 
オヤンタイタンポ駅6:00
マチュピチュ駅着7:20
バスにて頂上着8:00

マチュピチュ遺跡見学
           (2,280m)
バス頂上発14:00
オヤンタイタンポ駅15:30

ホテル帰着 17:30
ショッピング
ロビー集合19:45
夕食会へ 20:00
「フォルクローレ・
    筑・絢[」

ホテル帰着 21:30
今日は楽しみにしていたマチュピチュ
行く。向こうでの自由散策時間を取るため
に4時半ホテル出発。暗い峠道をバスで約
1時間半走って登山電車の駅につく。朝が
早いので暖房のないバスは寒い!登山電車
は予約した人しか乗れない全席指定。
沿線の山川の景色はまた美しい。冠雪の
高山が聳える合間を走って行く。朝食の
サンドイッチが出る。約1時間20分で
終着駅。此処から今度は小さな登山バスに
乗り換える。九十九折りを3-40分で頂上に
着く。生憎霧の中で何も見えずガッカリ
させるが暫く待つ間に霧の合間から遺跡が
見えて来る。ワイナピチュ峰を背景に遺跡
が浮かんで見える。素晴らしい!眺め。
よくもこんな高いところに住居を構えてと
不思議に思う。約1500人が住んでいた
と言われる。遺跡の後ろにそびえたつ
ワイナピチュ山2,710mに往復2Hr位
)で登れると言う。最初はその気で離団届
けまで書いたものの先の疲れを案じて止め
た。グループの中の元気な6名が念願を果
たした。あっぱれ!
ホテルに帰って来て夕食はレストランで
「フォルクオーレ・ショー」を見ている時他
のツアーの客が倒れて大騒ぎ、それに気を取
られているうちに、我がグループの安田さん
の奥さんが心臓が痛いと訴えホテルに引き返
したが診察の結果急遽入院となった。
以後の旅程はキャンセルしてリマに戻り静養
することになった。半ばで残念であったろう
・・病人の続発!だ。
 10/05

    7

プーノ
Libertador
isla ESTEVES 

ホテル発 6:30
バスにてプーノへ移動
途中最高地点通過
          4,435m
フリアカ着 12:00
フリアカ発 14:10
シルスタニ遺跡見学
     (4,000m)

シルスタニ発 16:40
ホテル着 17:00
ロビー集合夕食へ 18:30
ホテル帰着 20:30
今日は更に南下してプーノに移動す
る。クスコからプーノへの山岳幹線道路をバ
スで走る。周りは6000m級の美しい冠雪のア
ンデス山脈脈が見える。途中最高地点の4,335m
を通過する。バスから降りて記念撮影。
相変わらずインディオ達の露店が並んでい
る。インディオの民芸品など売っている。
一段と空気が薄くなる。歩くのもユックリ
と。しかし近くの学校のグランドでは子供達
がサッカーをしている。驚きである。小さい
時からこの希薄な環境の中で育っている。
オリンピックで金メダルを取った高橋
尚子が3,500mの高地でトレーニングして臨ん
だ話を聞くが物凄いことだ。
添乗員の後藤さんは昨夜は一睡も出来ず
病院との連絡やら朝食も取れず、バスの
中で弁当を食べて仮眠した。大変だ!
やっとフリアカに着いてシルスタニの遺跡
を見に行く。インカ時代の王様の墓場であ
る。4,000mの高台の上に1m平方の石
を7m位に逆円錐上広がりの筒型に積み上げ
た墓だ。餅擴欟代の物とインカ時代のものと
混在して数基残っている。インカ時代の物は
流石に石組の技術が見られる。墓の入り口は
正確に東を向いている。中にミイラがあった
そうだ。今でも掘ると人骨が出てくる。
バスを降りて高台まで100m位登るがこの
100mが登れない人が出てくる。途中で断念
して引き返す。
登り切ったところに湖があり中央に台形の
島がある。この島でまつりごとをやって
いたそうだが壮大な眺めであった。
夕食はチチカカ湖で取れたマスを食べた。
なかなか美味しかった。
 10/06

    8

リマ
 〜機中
Sheraton Hotel

ホテル発 7:00 

チチカカ湖遊覧
/ウロス島


フリアカ発11:45(N61172)
Lima着 14:00
天野博物館
ホテル帰着 18:30
荷物整理&
各自部屋で夕食・日本食

ロビー集合 22:30
空港へ
今日はよい天気。ホテルの部屋から
チチカカ湖に映える日の出を見る。5時21
分。この4,000mの地に琵琶湖の12倍もの湖
がある。神秘な湖である。小型遊覧船で
湖上に出る。インディオ達の釣り人を見なが
ら沖合のウロス島に渡る。葦の茎を束ね
て積み重ねた浮島である。歩くとふわふ
わして空気マットの上を歩いている感じ
だ。一つの島は30m平方もあろうか8軒ば
かりの葦で造った小屋がありそこで湖の
魚を取ったり、観光客相手に民芸品を売
ったりして生活している。子供達のための
学校もちゃんとある。フジモリ大統領が各島
に寄贈した無線公衆電話があった。
葦で造った小型渡し船で島の間を観光客を
乗せて運び1US$である。シシャモに似た魚
を焼いた石の上で焼きながら加工していた
が美味しそうだった。約200人位のインデ
オが数十の島で生活しているそうだ。
午後からやっと平地のリマに帰る。リマ
では日本人収集家の故天野芳太郎氏の博物
館を見学。現在は奥さんが館長として運営
されている。プレインカ・インカ時代の織物
や土器がよく整理して展示されている。特に
チャンカイ文明の織物のコレクションは世界
随一である。1000年-1400年代の文明である
が素晴らしい織物は現代のデザインをも凌ぐ
ものである。
夕食は久振りの日本食であったが時間の都合
で各自ルームサービスとなったのは一寸寂し
かった。
これから長い帰国の旅になる・・・
 10/07

    9

機中
Lima発 01:55(LA600)

Los着 08:30
Los発 13:55(JAL065)

今日はいよいよ日本への帰国の日。
リマは真夜中の出発。乗り継ぎ地のロス
まで約9時間。高山病で倒れた安田さんも
平地に帰って元気になり一緒に帰れる。
ロスに着いて添乗員の後藤さんがみんなに
飲みものの無料サービスをしてくれた。
JTBとしては珍しいことだ。有り難く一番
高いビールを飲ませて貰った。
ロスの空港も様変わりし店の数が少なくな
った。再出発まで免税店で時間をつぶす。
此処まで何とか無事に帰って来られた。
 10/08

    10

成田
成田空港着 16:55  
通関後解散

成田発 19:40(JAL385)-
福岡着 21:30
博多発 21:46(K-588)-
広島着 23:25

博多乗り継ぎ不可能!
博多一泊

成田は予定より10分早めに到着。
入国審査もスムーズに、荷物も一番に
無事に出て来て一安心。
やっと帰って来た感じになる。

成田から国内線で福岡までの手続きを
する。福岡での新幹線乗り継ぎの時間が
少ないので出口に近い席をお願いする。
出口に近いスーパーシートを取ってく
れる。

福岡到着が遅れそうだ。確認をして駄目
だと諦める。予定では博多発新幹線まで
16分しかないが飛行機の到着予定時間
は滑走路に着地した時間であって、降りる
時間ではないと言われる。
やはり駄目だったかと諦め駅前のホテルを
探す。折しもダイエーが優勝を決めた翌日
で博多駅前は若者達で賑わっている。
やっとホテルに入る。
長い一日であった。
10/09
11

広島
翌朝 博多発 6:30(N-)
      広島着 7:30

08;10 無事帰宅
翌朝一番ののぞみで広島に帰る。
留守中鳥取大地震があり広島で震度5だ
ったとタクシーの運転手が言う。

8時過ぎ無事に帰宅。
長い長い旅であった・・・・。

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