ようこそ!
Jordan・ヨルダン へ
印象に残った・・・見どころスナップ
ローマ劇場
( 写真左 )
2世紀半ば、ローマ時代に建設された劇場。収容人員は約6,000人でヨルダン国内で最大のローマ劇場。客席の上に神殿、女神アテナの像が置かれている。今でも夏場には此処でコンサートが開かれている。
アンマン市内住宅風景
( 写真右 )
アンマン城から望む。嶮しい斜面に折り重なるように建てられている。
アンマン城砦
( 写真右 )
アンマン城塞とヘラクレス神殿跡。2世紀の建立。コリント式の柱が残っている。ここに高さ10mのヘラクレス像があった。「手」だけが残っているが、ヨルダン考古学博物館の入り口においてある。
ヨルダン考古学博物館
( 写真左 )
小さいがヨルダンの歴史が凝縮されている。青銅器時代のエリコで発掘された頭蓋骨や古代の墓とその副葬品、女神像、碑文の石、偶像など展示されている。目玉は「死海文書」1946年、死海の北西沿岸で偶然発見された。羊皮紙に写本された旧約聖書のほぼ全編が壷に入っていた。紀元2世紀頃のもの200年あまり続いたユダヤ教のエッセネ派の修道士によって書かれた!?偶像などBC 8,000から5,000年のものには驚いた。これ程古いものは観た事がない!
死海0レベルの看板
( 写真左 )
此処がsea Level の標識と看板。
死海-415mの地点
( 写真右 )
The Dead Sea ・・南北60Km、東西18Km 琵琶湖の1.5倍、東半分がヨルダン領。世界で一番低い地点 -406mに位置する。深さは399m! 私の時計表示と9mの誤差。
美しいブーゲンビリアの花
( 写真左 )
マイナス高度のせいか冬でも気温は暖かく南国の花・ブーゲンビリアが美しく咲いていた。・・
死海の浮上体験
( 写真右 )
ヨルダン川より塩類と硫黄を含む水が流れ込むが、強烈な日照りのため水分は蒸発していまい、塩分がどんどん濃くなる。現在35%の塩分。海の7〜81倍で生物は存在できない。死海の泥、水にはミネラル分が多く含むので美容エステ、皮膚病、リウマチ治療など行われる。このようにほんとに軽々と浮く感じである。身体にはべっとりとヌルヌルしたものが付く感じである。水面下の底には塩分の結晶の塊がごろごろしており、記念に持ち帰った。舐めてみたら超超辛ッツ!
死海の砂浜
( 写真右 )
普通の砂浜はサラサラした感じであるが、此処では塩分を含んでおりザリザリとした感触であった。
真水プールで一浴び
( 写真左 )
砂浜を上がった所にシャワーがあり、ここで身体を洗うが、このプールに入って綺麗に塩分を洗い流して仕上がり。水温は冷たい感じがあるが寒いほどには感じない。
カタラーナの夕日
( 写真右 )
メッカの巡礼への宿場町カタラーナへの途中この綺麗な夕日に出会った。パチリ! この旅行中丁度「ラマダン」の最中で運転手のアドナさんは朝から何も食べずに運転していたのだ! この夕日が沈めばやっと朝食にありつける。ご苦労様!
モーゼの泉
( 写真左 )
モーゼがエジプトを出て40年間イスラエルの民と彷徨い約束の地カナンへ向かった。その際、水がなくて困り果てた時、岩を杖で叩いたら水が噴出した。この種モーゼの泉とされるものは30ヶ所もある。
聖ジョージ教会
( 写真左 )
建物は19世紀建立のカトリック教会。建設途中に偶然6世紀のモザイクを発見!これが最古のパレスチナ地図であった!!地図は所々崩れているがナイル川や死海、エルサレムなどが大きく描かれている。モザイクは半分くらいしか残ってないが元は2000万個の石のピースで作られていた。制作におよそ2年掛かったそうだ。
モーゼの記念碑
( 写真右 )
ネボ山。標高800m、モーゼ終焉の地。最後に約束の地「カナン」を望みながら120年の生涯を終える・・・
モーゼの記念碑
( 写真左 )
これも形をかえたモニュメント・・2000年にローマ法王が訪問された時のモニュメントも入り口にある。
モーゼの杖が蛇に・・
( 写真右 )
モーゼの杖が蛇に変る、それをモチーフにした十字架。
動植物の美しいモザイク
( 写真右 )
ダチョウ、ライオン、縞馬など美しいモザイク・・
遥かエルサレムを望む
( 写真左 )
此処からエルサレムまで46Km、エリコまでわずか27Km。この向こうで今でもイスラエルとパレスチナの紛争は続いている・・
教会内部の石碑
( 写真右 )
何の石碑か見落とした??・・・。
HOME
BACK
TOP