ユーラシア旅行社 (2002.11.10〜11.19) 「シリア・ヨルダン・レバノン古代遺跡の旅10日間」 今回の旅で「旅の面白さ」が更に深まった。歩いてみないと その面白さは発見できないことを改めて知った。 それに史跡めぐりには見る順序がある・・・ということも。 今回のレバノン・シリア・ヨルダンには素晴らしい史跡があり、私が今まで歩いて きた中で最大、最高のものであった。此処の史跡を先に見たら、 ギリシャやエジプトなどなど他の史跡を見ての驚愕も感動も1/10、1/100に 色あせるほどである。人々は「何でこんな国、危ない所へ、危険な国へ旅するの!」 と異口同音に言うが、「これほど面白い国はない!」と応えるしかない。 案ずるより行ってみないと分らないのが「旅の楽しさ」ということだろうか・・・ 素晴らしい旅であった。 Lebanon・レバノン / Syria・シリア / Jordan・ヨルダン
レバノン/バールベックの遺跡
ギリシャ人が此処にヘリオポリス(太陽の都市)を建設、
天地を創造する最高神ジュピター、酒神バッカス、
愛と美の女神ヴィーナスに捧げられた3つの神殿・・。
シリア/パルミラの遺跡
砂漠の中にあるオアシスの巨大遺跡。
紀元前24世紀よりのオアシス都市で世界最古の
交易都市のひとつ。シルクロードの中継地。
ヨルダン/ペトラの遺跡
紀元前3世紀頃のナバティア人の都市。
1700年間忘れられ、20世紀に発見された。
バラ色の砂岩、縞模様の岩肌、そこに彫りこんだ墓・・
中東の旅 総括:中東という表現でいいのか、今回シリア・ヨルダン・レバノンを旅した。これらの国々は前から 興味を持っていて、何時かは訪問したいと思っていた。しかしこれらイスラム圏は日本では、危ない 国、危険な国・・としてあまりよいイメージが持たれていないのが現実である。しかし先々月ペルシャ (イラン)に旅して、それは全く杞憂に過ぎず、本当のことは行ってみないと分らないものだと強く 思った。イランは予想以上に素晴らしく、とても感慨深い旅が出来たと喜んでいた。
所が最近イラクを巡る情勢が予断を許さない緊迫した状況の中で、若し不測の事態になれば、中東、 イスラム圏への旅など暫くは無理だと考えていた。来年の予定を急遽早めて今回の旅になった。 やはり行って見ないと分らないもので、この地にこんな素晴らしい遺跡があるものだととても驚いた。
世界四大文明発祥の地と言われる、エジプト、メソポタミア、インダス、中国などの中で、ここ メソポタミア文明が一番古い歴史を持っているのではと思った。エジプトのカイロや中国の上海 考古学博物館などで見ると展示品は古いもので紀元前3,500年〜5,000年くらいのものであった。 しかし、今回ヨルダンの考古学博物館で見た「2人同体の偶像」は何と紀元前5,000年〜8,000年の ものであった。今までにこんなに古いものは見たことが無かったのである。全く驚いた! これだけ でも今回の旅の価値は充分であった。
さらに、遺跡で見ると、レバノンのバールベックやシリアのパルミラ、ヨルダンのペトラやジェラ シュなどその規模の大きさに度肝を抜かれた。物凄い広いのである。見るたびに「これは凄い!」 「これは凄い!」の連発であった。パルミラやペトラ、それにイランのペルセポリスなど中東の3大P といわれよく知られているが、それ以外にも素晴らしい遺跡が沢山あるのである。同行の人と顔を合わ せては何時も同じように唸っていた。
またペトラについては、観光案内書などではエル・カズネの写真がよく紹介されているが、 ペトラ=岩の意。の如く100万年前に自然に出来た岩の裂け目(シーク)の美しさや巨大地溝帯の素晴 らしさ、また岩肌の縞模様などの美しさなどなど大きな感動を覚えた。これらの岩山はモロッコの トドラ渓谷や北米のザイオン国立公園などを遥かに凌ぐ素晴らしいものだと思った。
もう一つ感動的な体験は、死海での浮上・浮遊体験である。世界で最も低い地点、海抜ー406m に 立ったこともそうだが、海に浮くという初めての体験であった。ヨルダン川より塩類と硫黄分を含んだ 水が流れ込むが、強烈な日照りのため水分は蒸発してしまい、塩分がどんどん濃くなって現在35%の 濃度だそうだ。水の中に入ると身体の表面にヌルヌルした膜が張ったような感じで軽々と浮くことが できる。不思議な感じである。水面下の底には塩の結晶の塊がゴロゴロ転がっていた。私も記念にと 一つ持ち帰った。11月だと言うのに水は冷たいが寒い感じはなかった。面白い体験であった。
レバノン内戦は1975年から1989年まで14年間続いた。我々は報道のニュースだけしか記憶にないが、 今回、現場を見て改めて戦争の残酷さ、無残さを知った。ベイルート市内にある国会議事堂前の 広場には、戦争前後の比較写真のパネルが数十枚設置してあった。国は25年の復興計画を立て、 今年10年目になるそうだが、まだ多くの崩れた建物や弾痕の跡など生々しく残っていた。国民の5% の人が犠牲になったと言われている。宗教上の理由が引き金になったそうだが、理由はともかく、 戦争の無意味さ愚かさは、過ちを犯しても気がつかないのだろうか・・・賢者は歴史に学ぶと言われ ているが・・今も世界の彼方此方で戦争が絶えない。早く地球上に平和が訪れることを祈りたい。
旅程・絵日誌・・・・・・ユーラシア旅行社添乗員 村田 潤子さん記・・・・・ Eurasia Topics
第1・2日目
第3日目
第4日目
第5日目
第6日目
第7日目
第8日目
第9日目
旅程&印象に残った・・・見どころスナップ
* シリア/ヨルダン/レバノン古代遺跡の旅10日間の旅・・・ミニ映像はこちら!!*
Eurasia 旅程マップ ( 写真左 )
成田→レバノン(鳩の岩〜バールベック〜アンジャル遺跡〜国境越え)→シリア(マルーラ村〜聖サルキス教会〜パルミラ遺跡/パルミラ博物館)→ヨルダン(ダマスカス市内観光〜アゼン宮殿〜ウマイタドモスク〜ボスラ〜ジェラシュ遺跡〜アンマン〜ヨルダン考古学博物館〜死海〜ペトラ遺跡〜マダバ〜聖ジョージ教会〜ネボ山)→レバノン(ベイルート観光)→成田。
* ・・・古代遺跡のも見られるよ!!*
バールベックの遺跡(Baalbeck) ( 写真右 )
バールベックはベイルートの北東86Kmに位置し、ベカー高原のほぼ中央にある。フェニキアの豊穣の神バールに由来し、天地を創造する神ジュピター、酒神バッカス、愛と美の女神ビーナスに捧げられた3つの神殿からなっている。ローマ帝国によって作られ、中でも最初に建てられたゼウス神殿はギリシャ文化と東洋文化の融合されたヘレニズム文化の代表作といわれる。まだ観光客は少ないが、その壮大なスケールと流麗な建築様式は見る者を引き付け圧倒させる。必見の価値あり。
シリア(Syria) ( 写真右 )
シリアはアラビア半島の北にある国。東にイラク、北にトルコ、南はヨルダンと接している。そして西はレバノンと地中海に面している。シリアの面積は日本の約半分。ユーフラチス川の周辺は草原が広がって豊かな土壌を持つ。アラビア語が公用語。第1次世界大戦後から1946年に独立するまではフランスの統治国であった。宗教はイスラム教が主でキリスト教徒は約13%である。ラマダンを行うか否かは個人の意思に任せられている。
パルミラの遺跡(Palmyra) ( 写真左 )
首都ダマスカスの北東約230Km。パルミラの遺跡群は砂漠のオアシスに忽然とその姿を現す。パルミラとはギリシャ語でナツメヤシを意味する。この遺跡は世界でも有数の巨大な規模を誇る。1980年に世界遺産に登録された。2世紀に栄華を極めたシルクロードの拠点であり、メソポタミアと地中海を結ぶ東西貿易の重要な中継点であった。シリアを代表する観光名所であり、此処を見ないとシリアに来たことにはならないと言われるほど。建築物はローマ帝国最高の技術が施された立派なものである。
ジェラシュの遺跡(Jerash) ( 写真右 )
ヨルダンの首都アンマンの北約50Kmにある。ローマ人がアラブに作った最も華麗で壮大な遺跡の一つで、ペトラに次ぐヨルダン最大の見どころ。アレキサンダー大王がこの地帯を襲った紀元前332年頃から集落として存在していた。その後50-60年頃から、ローマ帝国の繁栄に伴い、劇場や神殿など建物も増えて行った。7世紀に入ってペルシャ軍が襲来し、636年にはイスラム軍に完全に征服された。その後8世紀の大地震で建物の多くが崩壊。19世紀にドイツ人に再発見されるまで廃墟となっていた。
ヨルダン(Jordan) ( 写真左 )
ヨルダンはアラビア半島の北西の付け根に位置する。イスラエルとイラクに挟まれた国。公用語はアラビア語で、街中の看板や標識はアラビヤ文字で溢れている。国土の8割が砂漠というか土漠である。ヨルダン川の流域は緑も多く、農産物の生産地になっている。国民の93%はイスラム教を信仰している。イスラム教の教義に従ってラマダン月は昼間だけ断食を行う。信仰の裏打ちとして、「五行」という神への奉仕行為をおこなう。政治的には安定しており、多くの観光客が訪れている。
ペトラの遺跡(Petra) ( 写真左 )
ヨルダン観光のハイライト。狭い岩壁の間を通り抜けると、美しいバラ色の神殿が突如目の前に現れる。岩を削って造られたこの神殿は映画にも出てくる。ペトラに残る多くの遺跡は紀元前6世紀頃からこの地に住んでいたナバタイ人が残したものだ。岩肌は天然の美しい模様が描き出されている。特に早朝と夕方は幻想的な赤色に染まり、語り尽くせない美しさである。近年訪れる観光客は増え続けている。岩のシーク(裂け目)の美しさはモロッコのトドラ渓谷やアメリカのザイオン国立公園を凌ぐものである。
ISLAM Topics ( 写真右 )
日本人の中には無宗教、無信仰の人が多い。だが此処シリア・ヨルダン・レバノンでは、あらゆる場面に於いて宗教が人々の心に深く根付いている。また各民族は彼らの信じる宗教によってより強く結ばれている。歴史的な背景があり、これらを少しでも理解して旅をすればより深い感動が得られよう・・
My Photo ( 写真右 )
一人で旅行していると自分の写真を撮る事が少ない。ビデオのファインダーを覗き風景など一生懸命脳裡に焼き付けているが、よく人から「こんな風景がありましたか?」とか「見物が充分できましたか?」とか聞かれる。本人は結構普通の人より物をよく見ていると思っているのだが・・。せいぜい数枚の写真であるが貴重なものである。
その他のスナップ写真 ( 写真左 )
今回の旅行のスナップいろいろ。
このトマト1箱(10Kg)がなんとタッタの1$!である。 ダマスカスからボスラへ向けて南下の途中、沿道に並べて売っていた。信じられないくらい安いので驚いたが取れすぎたので捨てる値段で並べているそうだ。加藤さんが一箱買ってみんなで食べた。
:旅程:
月日
曜
泊
観光ルート・内容
所感 / 雑感
11/10 1 土
機中泊11/9 成田前泊
09:05 広島発(JAL172)-
10:20 羽田着
13:50 羽田発(リムジン)-
14:30 成田着 前泊
09:50 第2ターミナル団体集合 13:30 成田発(MH-71)- 19:20 クアラルンプール着 23:20 クアラルンプール発 いよいよ出発の日。昼の出発 なので、成田で前泊となる。 翌朝成田では村田潤子さんが待機。 来た順に手続き開始。 総勢22名のツアーだ。 一人参加は男性5名女組7名。 夫婦は5組。 ベイルートまで約17時間(時差-7Hr)。 日本との時差は7時間だ。 途中クアラルンプールとドバイ経由。 ベイルートに着いたのは早朝、 長い長い旅であった。 11/11 2月
ダマスカス
06:20 ベイルート着 06:30 朝食 09:45 バールベック観光 15:00 アンジャール観光 16:12 レバノン〜シリア国境越え 18:00 ホテル着 早朝にベイルートに着き、 朝食を取ってそのまま観光に出るのは。 疲れる!・・・ 最初はバールベックの観光だ。 此処の遺跡は凄い!規模の大きさに驚く。 余り期待していなかったので感激は大きい。 宗教上の理由で14年間の内戦。国民の 約5%の人が死んだとか・・戦争は惨い! 午後から郊外のアンジャール遺跡に行く。 ここは規模は小さいが綺麗な遺跡が残っている。 続いてレバノンの国境を越え、シリアに 入る。手続きは30’程度ですんだ。 レバノンにも見るべき遺跡が沢山ある。 11/12 3火
パルミラ
07:30 ホテル発 08:30 聖サルキス教会 09:15 パルミラ着観光 16:00 アラブ城 17:10 ホテル着 今朝は雨が少し降っていたが 心配する程でもなくすぐ止んだ! 最初はマルーラ村へ。ここはキリストが 使っていた言葉を現在も使っているそうだ。 山奥の小さな村で外界から離れて生活。 続いてパルミラへ向かう。ここも規模は 大きい、その大きさにまたまた驚かされる。 三兄弟の地下墳墓では撮影禁止なのに 写せ!写せ!と言って、後でチップを要求 される。 列柱道路も凄い!遺跡は崩れて地面にゴロ ゴロ。アラブ城からの夕日は曇りで残念!。 11/13 4水
ダマスカス
06:00 モーニングコール 07:30 ホテル発 10:40 ダマスカス観光 16:00 ホテル着 パルミラからダマスカスまで バスで約3時間だ。途中砂漠の中の バグダットカフェでトイレ休憩をとる。 オランダから自転車旅行している二人組に 会う。5ヶ月掛けてエジプトまで行くそうだ。 日本人は何処へ行っても観光で来ていると 話していた。 シリアでは日本に対して大変親しみを持って いる。家電、発電所。自動車など高い品質と 自分たちを助けてくれる国だとの認識がある。 国立博物館にはメソポタミア時代の遺品が 沢山展示されている。ダマスカス市内では古い マツダ車が沢山走っていたのは驚き。 現在丁度ラマダン月で夕方日没後は一斉に食事 を取るために帰宅を急ぐ車で大渋滞になる。 このところ日中は結構暑い。11月と言っても 半袖で歩けるくらいで、トランク半分の冬物は 使うことはなさそうだ。何故寒くないのだろう。 11/14 5木
アンマン
05:00 起床 06:15 モーニングコール 08:00 ホテル発 09:50 ボスラ観光 12:30 ヨルダン入国 14:00 昼食 15:30 ジェラシュ 17:20 ホテル着 ボスラのローマ劇場は保存状態 がよく、きれいな形で残っている。 此処の音響効果は素晴らしく、日本人歌手が 歌ったことがあると言っていた。 シリアの国境越え、手続きに20-30'。 ヨルダンから観光ポリスが同乗してきた。 ジェラシュの遺跡もまた素晴らしい。 やはりスケールが大きい。列柱道路の 石畳に轍の跡が残っていた。 11/15 6金
ペトラ
05:00 起床 06:10 朝食 09:00 ホテル発 09:30 アンマン市内観光 12:00 死海浮上体験 13:00 昼食 18:00 ホテル着 ヨルダンの考古学博物館は外観も 小さいが、中身はかなり古いものが展示されて いた。紀元前5000年から8000年の偶像など 驚きであった。エジプトでもBC 3500-5000年 くらいなので、メソポタミア文明の古さがよく 分った世界四大文明の中では此処が一番古い かも? 死海の浮上体験は半信半疑であった だけによい経験になった。ほんとに誰でもプカ プカと浮くことができる。35%の塩分濃度 では他の生物は生存できない所だ。 しかし泳いだ後は身体がグッタリする感じで 疲労感を覚えた。 11/16 7土
ペトラ
05:00 起床 06:10 モーニングコール 08:30 ホテル発 09:00 ペトラ観光 16:30 エドディル 16:40 ホテルに帰着 今日は旅のハイライトである ペトラ観光だ。どんな所だろう・・・ 観光ガイドにはエル・カズネの紹介が 多いが・・果たして・・と思っていた。 此処もスケールが大きい。他の遺跡と違い 自然の美しさが素晴らしい。岩のシーク など凄い!同じような景色にモロッコの トドラ渓谷や北米のザイオン公園などある がそれを凌ぐ素晴らしさだと思った。 それと自然がなす岩肌模様の美しさは 凄い!の一語である。他では見られない だろう・・ このペトラは健脚コースであり一番奥の エドディルまで登るなら相当頑張ら なくてはならない。岩の凸凹道を900段 約1時間もヨイショ!ヨイショ!と登る のだ。素晴らしい所だった 11/17 8日土
ベイルート
05:00 起床 07:30 モーニングコール 09:00 ホテル発 13:00 昼食 14:00 聖ジョージ教会 16:00 アンマン着 22:00 アンマン発 23:10 ベイルート着 23:40 ホテル着 今日が最後の観光になる。 マダバ教会へ。パレスチナのモザイクの 地図が綺麗に残っている。死海やヨルダン 川、魚が泳いでいる姿まで描かれていた。 ベイルートへの出発が夜なので、スーパー で買い物をする。ヨルダンディナールの 使い切りだ。 夕食のレストランではビールが禁止であった。 オーナーが熱心なイスラム教徒で、この考えに 従って扱ってないのだ。イランでは最初から 全店アルコール禁止だからその覚悟であるが ヨルダンでは初めて遭遇した。運の悪い店で あったのは残念・・・!? 出発が遅いのでベイルートへの到着も遅く なる!帰国の荷物整理もやらなければ・・ 11/18 9月
機中泊
05:00 起床 06:10 モーニングコール 09:00 ホテル発 09:10 レバノン市内観光 11:00 空港へ 13:15 ベイルート発 今日は出発までレバノンの 市内観光だ。市内のレバノン内戦の 前後の写真パネルを見ていると、ほんとに 酷かったことがよく分かる。現在25年の 復興計画の10年目だそうだ。まだまだその まま荒れた姿が沢山残っている。 日本では戦争があったことくらいは報じられ ているが、ほんとの酷さは現地に行って見 ないと分らないものだ。 11/19 10火
成田
06:30 クアラルンプール着 11:05 クアラルンプール発 18:40 成田空港着 19:00 通関後解散 成田後箔 10:15 11/20 成田発リムジン 11:20 羽田着 14:05 羽田発(JAL173) 16:30 広島着 18:20 無事帰宅 クアラルンプールでは待ち時間があるので ラウンジに入ってゆっくりくつろいだ。 成田は予定通りに到着。 入国審査もスムーズに行く。荷物も何とか 出て来て一安心。やっと帰って来た感じ になる。帰りの宅配を頼む。 今夜は遅いので成田で宿泊だ。翌朝は 9時過ぎにホテルを出て羽田に向かう 羽田で時間があるので食事をする。 日本そばと生ビールの美味しいこと。 日本に帰って来たと感じる。 後は予定通り広島へ。家に着いたのは 18時過ぎ・・・ 長い旅であった。
前回の訪問国 ペルシャの旅 へどうぞ!
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