JTB旅物語 E931-82 (2002.9.09〜9.16) 「ペルシャ三大世界遺産紀行8日間の旅」 ペルシャと聞けば哀愁を感じる響きがある・・が、 イランと言えば誰しも怪訝な顔をして「危ない所へ何故?」と返って来る。 それ程日本では悪いイメージが先行している。話を聞くと見るとは大違い! 全く杞憂に過ぎず、とても親日的で人々の表情は明るく、人懐こく笑顔で話しかけてくる。 治安は大変よく、物乞い、押し売りもいない。物価も一際安く、 見応えのある紀元前の遺跡が沢山あるし、想像以上に素晴らしい国であった。 案ずるより行ってみないと分らないのが「旅の楽しさ」ということだろうか・・・ TEHRAN/AFVAZ/ESFAHAN/SHIRAZ
テヘラン/涙つぼ
テヘランのガラス博物館所蔵。優美な曲線が神秘的。
戦地へ赴いた夫を待つ妻が、夫の無事を祈って流した
涙をこの壷にためた涙壷。世界遺産・チョガザンビル/アフワズ
エジプトピラミットの元祖ここにあり!
5層の煉瓦積みと推定されているが、現在3段目までは
保存状態が良好である。紀元前13世紀頃のもの。
世界遺産・イマームモスク/イスファハン
「イランの真珠」とも喩えられる古都イスファハン。
広場を中心にイランのイスラム芸術の集大成といわれる
建物が集まっており素晴らしい。世界遺産・ペルセポリス/シラーズ
イラン最大の見どころのひとつ。凄ごーい!
中東の三大遺跡の一つでもあり、観光客が絶えない・・。
紀元前512年頃に着工。重要な儀式の場であった。ペルシャの旅 総括:ペルシャという言葉の響きに哀愁を感じて・・つい行く気になった。ケテルビーの「ペルシャの市場 にて」などはよく聞き耳に残っている。「ペルシャ絨毯」「ペルシャ湾」・・など名前は残っているが、 現在ペルシャという国はない。1935年以来「イラン」に国名は変っている。イランといえば日本では イメージが悪い。何故だろうか?隣がイラクという悪いイメージと重なっているのか、出稼ぎイラン人の 日本国内での事件など・・・のせいだろうか。よく分からない。今回イランを旅してこの悪いイメージが 払拭できたのは驚きであった。
一口で言って、国民の表情がとても明るいこと、とても親日的で、手を上げれば必ず笑顔で挨拶が返っ てくる。治安はよく、物売り、押し売り、物乞い・・などいないし、人懐っこく、人間が純粋な感じがし た(中国などより遥かに好印象)。チャードル姿の女性は異様な感じがして近づき難い感じであったが、 話せば笑顔で応えてくれる。これは行ってみないと分らない!
物価が安いのも観光客には大歓迎だ。日本の凡そ1/5〜1/10くらいだろうか・・。例えば絵葉書10枚が 1US$、日本への絵葉書切手\15、アイスクリーム\7、ジュース\70、タクシー2Hr借り切っても\750、音楽 CD\450、立派な写真本\1,000、一方ガソリン\7/L、軽油\2/Lこれは産油国イランならでは・・。値段は インフレなのでCD\450相当は30,000RLS(リアル)、ジュース5,000RLSとなる。数字の桁が大きくなるの で慣れるまでは高い感じがある。(10,000Rls=\150)
安いものばかりではない。自動車、ハイテク機器などは庶民には高嶺の花である。1967年以来イラン 国産の自動車(名前はペンカン、1,600cc)があるが値段は約100万円相当。輸入車は更に高く、トヨタの ランドクルーザーが4,000万円(日本で\350万円)、ホンダアコードの中古車で\300万円、携帯電話が\60 万円、番号メモリーが\12万円程度。庶民にはなかなか持てない。自動車は日本の小型トラックが結構多 く走っていた。
イラン人の平均月収はサラリーマンで200〜400US$、絨毯を織る女で50〜100$、建築関係は比較的よく 1,000〜1,500$ 程度であり殆どの人は掛け持ちで2つの仕事をこなしている。夫婦共稼ぎは勿論、会社 から帰ってきて白タクの運転手をやるとか、これで何とか生活をしている。物価が安いのは日常生活品で あって自動車、TVなどは贅沢品である。イラン人の1%が大金持ち、10%がまあまあの金持ち、残りの90%は 一般の人、働きながら生活がやっとの人たちである。預金利息は18%、借金利率は24%とか。
イスラムの戒律は厳しい。特に女性の服装に関しては、外国人にも及ぶ。基本的には人前では髪や肌 (耳や襟元)は露出してはならない。そして身体の線を隠すこと。など・・同行の女性軍は薄手のスカー フなど被っているが、外気温45℃〜48℃では暑苦しいと嘆いていた。現地の人はチャードルという頭から スッポリ被る黒い装束が多いが、最近の若い人はマーントーというロングコートに頭は色とりどりのスカ ーフを巻くスタイルが多い。成田を発ってイラン上空に入れば服装を整えてくれとのアナウンスがある。
イランの若者にとって男女の接触のチャンスは非常に少ない。人前で男女手をつなぐことは殆ど見かけ ない。男女の住む世界が違うというのか、公共のバスは前半分が男性用、後ろ半分が女性用の席で、乗り 口もそれぞれ違う。これは痴漢防止とラッシュ時の女性保護のためとか。また空港でも入り口は男女別々 である。女性用は別室があってオッパイ検査がある!勿論検査官は女性であるが、オッパイを握る感じで 触る、お尻をなで回すとか・・理由はよく分からないが、同行の女性軍は驚いて憤慨していた。気持ち悪 い!と・・。変わった習慣である。
若い男女が唯一チャンスがあるのは、登山、ハイキングだそうで、急な坂道で女性がたじろいでいる所 を男性が手を差し伸べる。女性はいい男だと思えば手をだし、嫌なら自分で登るとか。公に手が握れるこ とで、ハイキングとは名ばかりで、90%の人はハイヒールにスカートという別な目的で参加しているの だそうだ。苦労しているのだな。またイスラムの戒律で、宗教上の大罪は「不倫」だそうで、見つかれば 原則、両者死刑だそうだ。厳しい!怖い! 未婚の場合の発覚は即結婚させるのだそうだ。
イラン人の美人の基準は少し変っている。我々からみると目鼻立ちがスッキリとして美人が多いように 思うのだが、イランでは鼻が低く、オッパイが小さい女性が美人だそうだ。従って整形美容の店の前には 若い女性が列をなしているとか・・ホントカ! しかし痴漢が最も好むタイプは太目の人、お尻の大きい 人だそうだ。国が変れば基準も変るとは・・・おかしなものだ。
酒飲みの人がイランを旅するのは辛い。アルコール類が一切駄目である。ビールと言っても、色、泡の 立ち方がそっくりなものがある。物は試しと飲んでみたが、少し甘味があってとても飲めたものではな かった。イスラム圏が全部駄目ではなくモロッコやエジプト、ヨルダン、シリアではOKであるのに・・。 サウジアラビアはアルコール類が駄目であった。 暑い炎天下の観光の後に飲むビールの味は格別である。
イランの歴史は古い!古くはメソポタミア文明の流れをくんでいる。紀元前3000年〜5000年の話である。 エジプトのサッカラにギザのピラミットより古い階段状のピラミッドがある。これがエジプトでは一番古 いとされているが、このピラミッドの元祖がイランのチョガ・ザンビルである。エジプトよりも古いもの があったのだ。これには驚いた。さらにペルセポリスの遺跡など紀元前のものである。見るものが沢山あ り、風土はよいし、観光の穴場であると思った。イランはお勧めのポイントである。
旅程&印象に残った・・・見どころスナップ
テヘラン(TEHRAN) ( 写真左 )
テヘランはイランの首都。イラン全人口6,500万人の10%、650万人が住んでいる大都会。4,000m級の峰峰が連なるアルポルス山脈の麓に、北から南へと広がる。中心地の標高は1,200mで年間降雨量は225mmと少ない。四季がハッキリした気候。2000年前より人口の増加が始まり、1,554年に市として知られるようになり、1795年に首都を宣言。今世紀初頭のパウラビ王朝時代に町は整備され近代都市化し、1978年のイラン革命により王政に終止符を打つ。テヘランは200年以上もイランの政治、経済の中心地として発展してきた。
アフワズ(AHVAZ) ( 写真右 )
アフワズはイラン有数の産油地帯。1908年に油田が発見されたのを機に、町はイランで最も重要な工業地帯の一つにまで発展した。イランの南西に位置し、周辺のアラブ諸国と距離的に近く、住人の多くがアラブ人。イラクとの国境が近く、イラン・イラク戦争では激戦地となり大きな被害を受けた。アフワズは周辺のチョガー・ザンビルやシューシュなど紀元前のエラム期の遺跡探索の拠点となる町でもある。
世界遺産・チョガザンビル ( 写真右 )
1935年、油田調査中に偶然発見されたエラム建築の代表作。105m四方のジグラット(階段状ピラミット)は3段目まではっきりと残り、現存するエラム期の遺跡としては、最も保存状態がよい。1979年世界遺産に登録されている。紀元前13世紀中頃に建設され、1,250m×850mの外壁に囲まれ、470m×380mの聖域には宮殿や地下墳墓があった。高さは、当時としては驚異の50mにも及んだと言う。
イスファハン(ESFAHAN) ( 写真左 )
イラン中央部に位置する美しいオアシス都市。「イランの真珠」ともたとえられる古都。ザーヤンデ川の豊富な水で発展、標高は1,500m気候は冬は暖冬、夏は穏やかな気候であり、「イランで最も美しい街」として観光客も多い。1,597年アッパーズ大帝がこの地を首都に定め、都市計画を進め、イマーム広場を中心に、宮殿や寺院、バザール、橋など街並みが造りだされていった。細密画やタイル美術、陶器などペルシャ芸術の開花、繁栄を極める。「イスファハンは世界の半分」と言う言葉も有名である。
世界遺産・イマームモスク他 ( 写真左 )
旧王のモスク。アッパーズ一世によって建設が開始、26年の歳月を費やし、1,638年に完成。正面入り口は広場に正対し、モスク本体はメッカの方向に建てられている。壮麗なタイルと装飾文字の組み合わせ、鍾乳石構造はサファビー朝の建築の特徴をよく表している。内外を埋め尽くすタイルによる装飾の美しさは一見の価値がある。素晴らしいとうなる!。
シラーズ(SHIRAZ) ( 写真左 )
シラーズは、バラとワインと詩で知られるファールス州の州都。テヘランの約600Km南方にあるが、標高は1,600mで、四季を通じて気候は穏やかで居住に適した所。古くから芸術や文学の中心地で、イランの四大詩人サアディを輩出している。世界遺産・ペルセポリスを訪れる基点でもあり、イスファハンに次ぐイラン屈指の観光地である。
世界遺産・ペルセポリス ( 写真右 )
ペルセポリス遺跡はイラン最大の見どころのひとつ。世界遺産にも登録されている。ヨルダンのペトラ遺跡、シリアのパルミラ遺跡とともに「中東の3P」と呼ばれ、観光客が絶えない。ペルセポリスは「ペルシャ人の都」というギリシャ語が語源。ペルセポリスは紀元前512年頃ダレイオス一世が建築に着手。行政府ではなく、大祭用、秋の収穫祭など行われた。大祭にはアケネメス帝国の20数ヶ所から朝貢者が集まった。
現地ガイド「アリ」さんの家族 ( 写真左 ) 今回の旅行の特別メニューで「イラン人の家庭訪問」が出来た。最後の日に自由時間が取れて、バザール、スーパーマーケット、博物館、イラン人の家庭・・・など参加者の希望をとったところ、博物館以外の希望が多かった。イラン人の家庭訪問は、現地ガイドのアリさんが実家を案内してくれた。両親に妹さんが皆を歓迎してくれた。3階建ての家で2,3階を居室にしていたが、居間は広く26名の全員が入っても充分な広さがあり、楽しいひと時を過ごすことができた。
イランの名物料理 ( 写真右 )
イランの料理は民族や地域により多少は異なるが、大体には煮込み料理が多い。羊の肉と野菜、鶏肉と野菜、豆など。煮込むことにより食材がミックスされ、深い味が出るそうだ。主食は米とパン(ナーン)である。ナーンの種類も薄め、厚め、・・何十種類もある。ここでは昼食に出た「BIZI」という料理を紹介する。
その他のスナップ ( 写真右 )
イランのトイレ風景である。どちらを向くのが正しいか分らないが、用済み後はホースで洗い流す。トイレの紙など置いてあるのはホテルのみで、一般にはこの様なスタイルである。 その他のスナップを2−3枚紹介する。
:旅程:
月日
曜
泊
観光ルート・内容
所感 / 雑感
9/09 1 月
テヘラン09:05 広島発(JAL172)-
10:20 羽田着 昼食に信州そば
11:00 羽田発(リムシ゛ン)-
12:20 成田着 荷物引取り
12:50 第2ターミナル団体集合 14:55 成田発(IR-801)- 21:20 テヘラン着 22:00 Hotel着 いよいよ出発の日。午後の出発 なので、前泊なしでOKだ。 成田では秋山広美さんが待機。来た順に 手続き開始。 総勢69名を3組に分ける。A組26名だ。 一人参加は男性3名女組6名。 夫婦は6組。後は友達のク゛ルーーフ゜。 テヘランまで約6.5時間(時差-5.5Hr)。 日本との時差は5.5時間だ。ホテルに 着いたのは22時過ぎ、 長い一日であった。 9/10 2火
アフワズ
09:00 ホテル発 9:30 サーダバード宮殿 11:20 カーペット博物館 14:00 ガラス&土器博物館 16:15 テヘラン発(IR419) 17:30 アフワズ着 18:10 ホテル着 バスで市内観光。最初はサーダバードだ。 ここは宮殿で大きな木立のなかにあり 美しい!、きれいな音楽が聞こえてくる・・・ 建築はイラン方式だが家具類はフランス製。 鏡を張り詰めた部屋があったが目がくらむ。 次の絨毯博物館は凄い!これが絨毯かと目を 疑うくらい、絵に描いたようなデザイン。 ラッジ数の大きな1年〜3年掛かったものもある。 手のない女性が足指を使って器用に編んでいる。 人間やろうと思えば何でもできるものだと感心。 ガラス博物館は紀元前4000年の陶器がある。 涙壷は神秘的な曲線美で印象に強く残った。 その後空港へ直行。アフワズに行く。 アフワズまでは殆ど砂漠の上。空港に降り立つと むっとする暑さだ!大気温45℃には驚く。 まだ涼しいくらいで、50℃くらいになるそうだ。 やっとホテルに着き夕食をとる。 9/11 3水
イスファハン
8:00 ホテル発 10:00 チョガザンビル着 12:00 聖ダニエル廟 16:00 Air Port着 18:20 アフワズ発(IR332) 19:20 イスファハン着 20:30 ホテル着 今日は世界遺産・チョガ・ザンビル の観光だ。アフワズから約2時間バスに 揺られる。乗り心地はあまりよくない。 途中何回もスピードチェックで停車する。 検問所でバスのタコグラフをチェックして いるようだ。安全対策の一環らしい。 チョガ・ザンビルは砂の中に埋もれていたのを 仏蘭西人が石油探索中に見つけたそうだ。 日干し煉瓦と焼き煉瓦を積み上げて造られ ている。この技術はエジプトに流れて行って いる。エジプトのピラミッドの元祖である。 凄い!オリジナルのまま残っており、1階は 黒色、2階は赤色に塗ってあったそうだ。 また此処には世界で最初の浄化設備が残っ ている。イランは歴史が古い! 外気温は 45℃だ!肌が痛い感じだ。これでも朝一番 の観光なので少しは楽なのだろう・・ 昼食後から腰が痛む!鎮痛剤を飲んだが 収まらず。暑い中を歩き、バスに揺られ、 クーラーで冷やされたのが原因だろうか・・ 明日予定のOpが急遽今夜に変更になったが、 これではいけそうにない。残念だがキャンセル! 9/12 4木
イスファハン
08:00 モーニンク゛コール 09:30 ホテル発 09:20 チェヘルソトウーン着 10:00 イマーム広場/自由行動・バザール 12:00 ケバブの昼食 13:00 Hotelに帰着・昼休み 15:15 Hotel発イマームモスクへ 17:10 アリガブ宮殿 19:00 Hotel帰着 20:00 Hotelで夕食 21:30 外出〜イマーム広場 〜チャイ〜ハージュ橋 23:50 ホテル帰着 今朝は腰の痛みが取れていた。 やはり疲れであったのか・・ 一安心だ 四十柱の宮殿内の歴史壁画は綺麗だ。 よく描かれている。 イマーム広場は凄く広い!此処でポロ 競技をやっていたとか・・モスクのドームが 美しい。自由時間の時に更紗職人の店に行く。 NHKのシルクロードの番組で紹介されたと 言っていたが、有名人だ。木綿(?)に 模様の木版を押していく、時間と手間が かかって美しく仕上がる。 昼食後ホテルに帰って2Hrばかり昼寝する。 この暑さでは外を歩けない。4時ころから 再び観光開始。イマームモスクなど回ったが モスク内部の模様の美しさは素晴らしい。 幾何学模様のモザイクタイルなど。 ドーム外側は修復中であった。タイル職人の 手さばきは素晴らしかった。 夕食後皆でアリさんを誘って夜の町に出る。 広場で観光馬車に乗り、チャーイハネし 橋に涼みに行き、この時イラン放送局の インタビューを雨宮さんが受けた。 暴走タクシーにも乗ったし面白かった! イスファハンはとても綺麗な街だった。 9/13 5金
シラーズ
05:00 起床 07:00 モーニンク゛コール 09:00 ホテル発 市内観光 09:30 バンク教会 10:15 金曜のモスク 12:10 昼食 13:50 Hotel帰着/荷物整理 15:00 Hotel発〜揺れるミナレット/ 鳩の塔/アーティブガーフ/ハージュ橋 18:45 イスファーハン発 19:55 シラーズ着 20:40 ホテル着 今日は一番にバンク教会に行く。 内部は撮影禁止なので金を払って許可を 取った。キリスト教会だ。同じ敷地内に 博物館があり、此処には世界最小の0.7Grの本や 髪の毛に書かれた聖書の文字など珍しいもの が展示してあった。引き続いての金曜の モスクはイランで最も古いモスクで内部の 飾りや模様は少ないが美しいデザインだった。 昼食後一旦ホテルに帰り小休止。 今夜はシラーズに飛ぶことになっており、 それまで駆け足で数箇所見学する。 9/14 6土
テヘラン
05:00 起床 06:30 朝食 08:30 ホテル発 11:00 ペルセポリス遺跡 13:20 昼食 13:50 サーディ廟着 16:00 エラムガーデン 18:10 シラーズ発(B9 985) 19:35 テヘラン着 20:00 ホテル着 今日は待望のペルセポリスの見学。 出発時刻になっても我々のバスが来ない。 他の組は全員乗り込んで出発! どうした のだろうか。昨夜の空港への出迎えもなく 他の組のバスに便乗させてもらった。 皆がおかしいと思い始めた。出発して暫く してマイクは聞こえないし、クーラーは 効かない。シートは破れているし、不満の 声が上がった。このバスを変えて欲しい! 何故我々だけがオンボロバスに乗らなければ ならないのか? 他の組は新車のバスだ! 不公平だ!とだんだん声が大きくなってきた。 添乗員に対してしっかりしないからだと罵声が 飛ぶ。昨夜の件にしてもお詫びの一言もない! 帰りは絶対にバス交換を要求!説明では来る 予定のバスが事故で、代わりのバスを探したが 間に合わなかったとのこと。添乗員も不満の 大きさに泣き出しそうな応対だった。 これがオンボロバス事件だ! ペルセポリスの朝貢の使者のレリーフは素晴ら しいものが沢山残っている。 ナグジェ・ロスタムも凄い!大きな岩山に 十字を掘り込んで墓としている。ここの レリーフも素晴らしい。 9/15 7日
機中
07:00 起床 10:00 ホテル発 10:30 北のバザール/スーパーマーケット 13:00 「Bizi」の昼食 14:00 宝物博物館 15:00 イラン考古学博物館 15:40 現地ガイド・アリさん宅訪問 21:55 テヘラン発(IR-800) 今日はいよいよ帰国の日だ。 午前中は自由時間で行きたい所の 希望を取ると、バザールやスーパー マーケットの希望が出る。合わせてアリさん の実家訪問が追加になる。先日のバス事件の お詫びのようだ。 昼食は名物料理の「BIZI」を食べる。手間が 掛かった料理だ。煮込み野菜を擂り潰して ナンに付けて食べるのだ。まあまあの味だ。 午後の宝物博物館は唸るような凄い宝石が一杯、 182crt世界一のピンクの大きなダイヤモンド があった。銀行の地下金庫が博物館になって おり厳重な警備が施されている。ケースに触れ るとブザーがけたたましく鳴る。凄い宝石の 数々だ。これだけの宝石があるのに驚いた。 アリさんの実家は大きな3階建てのビル。 3階のダイニングルームに26名が座って 果物などご馳走になった。両親、妹さんが 気持ちよく迎えて下さった。感謝! イランの印象はとてもよく、参加した全員が 今回のツアーには大満足だと話していた。 期待以上の旅であった。 9/16 8月
成田
12:00 成田空港着 12:40 通関後解散 13:15 成田発リムシ゛ン 14:20 羽田着 18:10 羽田発(JAL173) 19:25 広島着 21:20 無事帰宅 成田は予定通りに到着。 入国審査もスムーズに行く。荷物も何とか 出て来て一安心。やっと帰って来た感じ になる。帰りの宅配を頼む。 次の羽田行きリムシ゛ンに乗り70分で到着。 羽田で時間があるので食事をする。 日本そばと生ビールの美味しいこと。日本 に帰って来たと感じる。 後は予定通り広島へ。家に着いたのは 21時過ぎ・・・ 長い一日であった。
前回の訪問国 中国 へどうぞ!
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