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中央アジアの音楽を聴きながら
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中央アジア4ヶ国周遊の旅 編

ユーラシア旅行社 (2005.4.06〜4.22) [拡大] 中央アジア5ヶ国大周遊の旅・・であったが 出発前にキルギスの政変でやむなく訪問中止となり結局4ヶ国 周遊の旅となった。中央アジアと云っても即座に国名や位置・場所を 云える人は数少ないであろう!それほどマイナーな処である。 しかしシルクロードをご存じの方には、沿線の町名として覚えがあろう。 1991年に旧ソ連から独立した国々である。 世界遺産の多い「ウズベキスタン」、遊牧民が駆け抜けた大草原の 「カザフスタン」、独裁色の強い「トルクメニスタン」、 太陽に近い山麓の「タジキスタン」それぞれに特色があり観るところは多い。 何れもイスラム圏だが・・イスラム色の薄い多民族国家である。 シルクロードを通して西洋と東洋の文化の混成、混血の超美人の創生、 聞くと観るでは大違い、行ってみないと真実は分からない! 今回も新しい発見・驚きがあった。・・! 期待通りの素晴らしい所だった・・やはり旅は楽しい! アルマトウ・タラス・トルキスタン・タシケント・ヒワ・
アシハバード・マリィ・ブハラ・サマルカンド
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世界遺産・ヤサウイ廟
     ヤサウイは12世紀に活躍したスーフィ。
     1395年チムールの命により建てられた。
     巡礼者が後を絶たない・・
世界遺産・ヤサウイ廟!
中央アジア最大のドーム。 
大小15の部屋、大ホールには・・
直径2mの聖杯!とチムールの旗棒・・ 

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世界遺産・サマルカンド
サマルカンド・・言葉の響き! 
「青の都」「イスラム世界の宝石」
「東方の真珠」など多くの異名をもつ・・ 

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世界遺産・イチャン・カラ・・[拡大]
世界遺産・メルヴ・・[拡大]
世界遺産・シャフリサーブス・・[拡大]



*中央アジア周遊の旅・総括スライド 115枚/6分
時間のない方は20枚毎に
分割@ ウズベキスタン 編 * 分割A カザフスタン 編 *

分割B トルクメニスタン 編 *分割C タジキスタン 編 *

* 中央アジアの民俗舞踏・・・100秒のはこちら!!*


中央アジア4ヶ国周遊の旅 総括:
央アジアに行って来ました。と言ってもどんな国があるのか・・名前を聞いても直ぐには位置すら分か らない人が多いのではなかろうか・・私の場合、旅して来た国々を色別していると、ロシア、中国、イランに 挟まれた地域にポッカリ空白部分が出来た。割合大きな空白部分なのでよく目立つ。さて此処は何処だろう・・ くらいに軽い気持ちで調べてみると、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、 キルギスの5ヶ国であった。これが中央アジアと称されている。シルクロードに関心のある方はよくご存じ だろうが、私には聞いたことのある国であったが・・それ以上の詳しいことは知っていなかった。たまたま この5ヶ国大周遊のツアーがあったので参加したという単純な動機であった。    ところが、出発直前にキルギスの政変が起こり、外務省危険情報により見合わせ、結局4ヶ国周遊となっ た。残念であったがその代わりトルキスタンの世界遺産であるコジャ・アフメド・ヤサウイ廟が追加となり、 今回6ヶ所の世界遺産を見ることが出来た。このトルキスタンは一般のツアーには設定されてなく、ユーラシ ア社としても初めて行く地であり、その意味では貴重な存在であり、意義があった。    さて、中央アジアには成田経由関空からタシケントへ向けてウズベキスタン航空の定期直行便が出ており、       凡そ8.5Hrで着く。中央アジアへ行くには最も効率的な道であり、タシケントからは各国へ便が開けている。   初めて訪れる中央アジアには驚くことが沢山あった。何れも1991年ソ連崩壊と同時に独立した国々であり、 旧ソ連時代の風習が強く残っており、観光地としての受け入れ態勢は皆無に等しく、各所で検閲、検問、情報       開示の禁止、処理作業の遅延・・など観光客をガッカリさせる場面が多々あった。同じ時期に旧ソ連から       独立したバルト三国などとは、国力の差、国民の熱意の差、勢いなどなど大きな差を強く感じた。独立して  10年以上経っているが時代の流れは超スローテンポで・・変化の激しい日本からみれば、まるで別世界の 印象であった。   入出国には時間が掛かる!全て手入力で、しかも一人がトロトロとやっているので、処理が終わるのに2       時間以上も掛かる・・これはモスクワ入国でも同じことで、人を待たせることに全く意識が無い!また写真       撮影が禁止されている所が多いことにも驚く。国立博物館、絨毯博物館、地下鉄風景、バザールなど・・       観光立国するには大いに宣伝すべきと思うのだが何故か理解しがたい。また朝の散歩中に建物を撮影してい たら、何処からともなく人が出てきて連行され、撮した画像を消されたとの話まで出てくると益々分からな くなる。これが閉鎖された国家、旧共産圏の姿だろうか・・    外に雪が残っていても4月と云えば春!町中一斉に暖房は停止!着いて間がない頃部屋の中が寒くて寒くて、        暖房は?と聞いてみると、もう暖房は終わったと言う。エッツ!これでは寒くてシャワーのみでは、それも        ぬるい湯がチョロチョロでは風邪を引きそう。余分に毛布を出して貰って潜り込む有様・・。これは観光客              には辛い!5年前の5月モスクワホテルで同じ思いをしたことを想い出した。これも旧共産圏のシステムが        残っている・・          中央アジアでは、道行く様々な顔に出会う。ロシア系、イスラム系、アジア系・・多種多様。驚く無かれ、        多民族国家である。100くらいの民族が混在しているのである。歴史を遡ればシルクロードを通して東西        文化が混入し・・その結果として混血による超美人の創生!驚くような美人に出会う!世界でも希な美人の              産地(?)かも知れない・・また子供達の笑顔が素晴らしい!何処の国でも子供達は天使の様な可愛い顔を しているが、ここではホントに人懐っこくて誰でも笑顔で手を振って近づいてくる。特にカメラを持ってい ると撮ってくれと何時もせがまれるのである。   何れの国もイスラム圏であるが、スンニ派が圧倒的で、他のイスラム圏に比べ不思議なほどイスラムの臭い        がなく戒律は厳しくなさそうである。女性もチャードルやマーントーなどを被っている人も少なく、一日5回        のお祈りを実行している人も少ない。またアルコール類も自由に飲めるし特に禁じていない。名前だけの不              思議なイスラム教徒でありイスラム圏である。これも長い間旧ソ連の統治下での無宗教政策の影響であろう。              現地ガイドさんは、何れの宗教も入るのは易しいが、一旦入ってからの脱教は相当難しいのでよく考えて入ら              なければならないと話していた。   今回訪問した4ヶ国の中で異様に思ったのが、トルクメニスタンであった。現在の大統領は国民の支持が厚く、        98%を越える支持率だという。独裁君主制の臭いが強い・・。町中至る所に黄金の像が立ち、建物の入り口        には大きな肖像画が掲げられ、建物の中に入ればこれまた正面に大きなニコッツとした肖像画が掲げてある。              偶像崇拝にも等しい異様な感じを強く持った。何処にいても常に見張られているようで怖い!国民の生活はよ              いものではない・・。我々観光バスの途中検問も数回にも及ぶ異常さ!パスポートをチェックし人物確認。              博物館は全て撮影禁止、宿泊のホテルは指定された以外は駄目、これが見たこともない程汚い設備の最低の ホテルだ。情報開示を極力避けている感じだ。話に聞けば・・麦刈りの時期になると大統領がヘリコプター   でやって来て、畑に赤い絨毯を敷き、左右に民族衣装で着飾った女が並び、歩く足下に花びらを捲き、大統領              は金の鎌で麦の穂を刈り込む・・これが済んで一斉に収穫作業が始まるとか・・聞いただけで耳を疑う。拉致 問題の何処かの国を思い起こさせる・・第2の同じような国があることに驚いた。行ってみないと真実は分か らない! ザフスタンは世界第9位の国土を持つ大きな国である。日本の7.2倍と云うから凄い!ロシア、 カナダ、米国、中国、ブラジル、オーストラリア、インド、アルゼンチンに次ぐ。南北に1,600Km、東西に 2,800Kmの国土で、26%がステップ地帯(大草原)で広大な穀倉地帯を形成。特に此処で採れる小麦はグル テンが豊富で隣国のキルギスやウズベキや広く海外まで輸出されている。主食のナンやパンが美味しいのも 頷ける。この大草原をバスで駆け抜けたが広いのナンの、行けども行けども天山山脈と大草原が続く・・ これも驚いた。 空トイレが常識!この大草原では家などない・・2時間置きにトイレストップ!出来るだけ木陰を 選んで停車するが、恥ずかしいとかどうとか云えるようなものではない。大草原の寒風吹き荒ぶ処では大変だ! しかし不思議なことに慣れてくるとこれ程心地良さはない。町中のトイレはこれ又大変汚く、息を止めてしない と目が舞いそう。衛生状態は頗る悪い!これが中央アジアの現状だと覚悟して参加すべし・・ し生活の実態に触れておこう。代表的なウズベキスタンでは平均月収は大体、公務員で50$、医者で 約40$、教師で30$、ホテルマンで20$くらいである。1ヶ月の生活費は田舎で100$(5人家族)、 都会で300$相当なのでかなり苦しく、一人が定職以外に複数のアルバイトを持って働いている。しかし 食料品は、ジャガイモ1Kgが100スム(\10)、トマト3Kgが50スム(\5)、3Kgの西瓜が200スム(\20)、牛肉は高 く2500スム(\250)と一般品は安く買えるので何とか生活出来る。しかしロシアやカザフにも出稼ぎとか。 靴屋とか観光業などは日銭が入るのでよい。輸入品はバナナ、パイナップル、チョコレート、衣服などで特に 衣服はイラン、トルコ、台湾品が好評、中国品は品質が悪くて不評とか。カザフスタンでの平均月収は150 $程度で、見た目はウズベキスタンがよい様だが実態はカザフがよい。 央アジアに於けるインターネット事情。最近は小型携帯パソコン持参でLive旅行記をアップされる方が 増えてきた。確かに面白いが、荷物が増え、管理も必要になるし、さらにその国々でのインターネット事情に もよる。最近は世界的にも普及してきたが、まだ充分とは云えない。さて今回の中央アジア4ヶ国で通信が出 来たのはウズベキスタンのタシケント、ブハラ、サマルカンドだけであった。何れもダイアルアップ式で繋が るまで待ち時間が長く、料金の大半は待ち時間に消費しているようなものである。因みに料金は30'=3,000スム =約\300程度で、ブハラは若干安く30'=2$であった。料金的には日本と同程度か・・。   今回の旅もまた面白かった!いろいろ想像を越える環境の中での文化や大自然の雄大さに触れる              ことができ、考えさせられたり刺激を受けることができた。やはり世界を歩き新しい文化を見て体験して              感じることができる喜び・・・これが生きているという実感に繋がるのである。やはり旅は楽しい!

   
旅程&印象に残った・・・見どころスナップ


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外務省発行
*ウズベキスタンの危険情報
*カザフスタンの危険情報
*トルクメニスタンの危険情報
*タジキスタンの危険情報

参考:キルギスの危険情報
旅程マップ・・[拡大] ( 写真左 )
成田→アルマトイ泊(アルマトイ市内観光/バザール)タラス泊トルキスタン泊(アイシャ・ビビ廟/ヤサウイ廟/)タラス泊(オトラル観光)タシケント泊(タシケント市内観光/旧市街/パラク・ハン・メドレセ/カファリ・シャーシ廟/クケルダシュ・メドレセ)ヒワ泊(ヒワ観光/イチャン・カラ/イスラム・ホジャ・メドレセ/カリタ・ミナル/ムハマド廟/クフナ・アルク)アシハバード連泊(クフナ・ウルゲンチ観光/トレベク・ハニム廟/スルタン・テケシュ廟/アウナ遺跡/ニサ遺跡/アシハバード市内観光/国立博物館/絨毯博物館/競馬場)マリィ泊(メルブ遺跡/エルク・カラ/グヤウル・カラ仏教寺院)ブハラ連泊(ブハラ市内観光/アルク/木造のボロハウズ寺院/イスマイル・サマニ廟/カラーンミナレット/カラーンモスク/バザール・タキ/ナディール・メドレセ/ミル・メドレセ/リャビ・ハウズ/アイユーブ廟/シトライ・モヒ・ホサ)サマルカンド連泊(シャフリサブス/アク・サライ/グル・エミル廟/サマルカンド市内観光/天文台/アフラシャブ/ペンジケント遺跡/ルダーキ博物館/タシケント市内観光)機中泊→成田。


旅程・絵日誌・・・・・・ユーラシア旅行社添乗員 山口 明子さん記・・・・・


成田〜アルマトイ
アルマトイ〜タラズ
タラズ〜トルキスタン
トルキスタン〜タシケント
終日タシケント滞在
タシケント〜ヒワ
第1・2日目
第3日目
第4日目
第5日目
第6日目
第7日目
ヒワ〜アシハバード
アシハバード〜アナウ
アシハバード〜メルヴ
マリイ〜ブハラ
終日ブハラ滞在
ブハラ〜サマルカンド
第8日目
第9日目
第10日目
第11日目
第12日目
第13日目
終日サマルカンド滞在
サマルカンド〜タジキスタン日帰り
サマルカンド〜タシケント〜成田
第14日目
第15日目
第16・17日目


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ウズベキスタン国 
ウズベキスタンは日本の約1.2倍の国土を持つ。人口約2,650万人。国土の大半はキジルクム砂漠に覆われているが東部は天山山脈の枝脈が迫り緑豊かな盆地がある。綿花生産や金や天然ガスなどの資源に恵まれている。気候は典型的な大陸性で夏は非常に暑く、冬は比較的寒い。昼夜の気温差も大きい。降水量は少なく、乾燥している。世界遺産も多く観光客も増えて来ている。サマルカンド、ブハラ、ヒワなど一度は訪れてみたいところである。元気いっぱいの可愛い子供達が迎えてくれる。



世界遺産・サマルカンド ( 写真右 )
サマルカンドは「青の町」「イスラム世界の宝石」「東方の真珠」など多くの異名を持つ。常にシルクロードの中心都市として栄えてきた。その存在が世界に知られたのは紀元前4世紀。その繁栄は商才と工芸技術に長けたソグド人。数世紀にわたりサマルカンドを築き上げて来た。しかし1220年のモンゴル来襲で壊滅、人口の3/4が殺された。そのサマルカンドを蘇らせたのはチムールである。抜けるような青空に、さらに深い色合いの青のドームが映える。ほんとに美しい・・


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世界遺産・イチャン・カラ 
ヒワは古代ペルシャ時代からカラクム砂漠の出入り口として栄えたが、本格的な発展はヒワに首都が移された17世紀になってから。その後イスラムの聖都となり、町は外敵の進入を防ぐため、外壁と内壁の二重の城壁で守った。内部のイチャン・カラには20のモスク、20のメドレセ、6基のミナレットなど多くの遺跡が残されている。サマルカンドの青の町、ブハラの茶色の町並みとは違った雰囲気を感じる。1990年に世界遺産に登録された。



世界遺産・ブハラ歴史地区
ブハラは中央アジアのみならず、イスラム世界全体の文化的中心地として繁栄した町。ブハラでは、「光は地から差し、天を照らす」と一般とは逆の言い方になるほど特別な存在であった。ブハラの黄金期は9世紀のサーマン朝時代で優秀な宗教者や科学者や神学生などが集まって栄えたが、1220年のチンギス・ハーンの来襲で滅亡。その後16世紀に再び蘇ってモスクやメドレセが建造され栄えて来た。町中には昔の面影をそのままに観るべきものが沢山ある。


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世界遺産・シャフリサーブス 
シャフリサーブスはチムールが生まれた処として歴史に名を残す。この地を地盤に世界の支配者として帝国を築く。チムールが残した最大の建造物がアク・サライ宮殿跡 。現在はアーチの残骸だけが残っている。1380年に着工され死後の1405年まで建設が続いた。アク・サライと白い宮殿の意で、アーチの高さは38m、壊れる前は50m以上あったという。アーチの上まで上がることが出来、上からの眺めは素晴らしい。



ビビハニム・モスク( 写真右 )
中央アジア最大のモスク。かってはイスラム世界で最大の規模を誇った。現在大規模修復作業が終わり、美しい姿を取り戻している。チムールの妻ビビハニムがチムールのインド凱旋に応えて1404年に建てたもの。建設にまつわる伝説があり、ビビハニムは完成を急いだが、一方彼女に恋慕する建築家に言い寄られ結局は許すことになったが、それを知ったチムールにより建築家は死刑、妻はミナレットから投げ捨てられるという宿命的とも云える結末を迎えている。


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美しいスザニ( 写真右 )
スザニとは「装飾的な刺繍を施した布」のことで、針による刺繍が原義である。各地方に独特な刺繍模様があり、壁掛けや、ベッドカバーなど様々な用途に使われる嫁入り道具の一つである。ウズベキスタンが発祥の地といわれいる。日本でも2003年5月NHK総合テレビ「地球に乾杯」で紹介されたり、最近注目され人気が出ている。50年以上古い物は国外輸出を禁止しているとか。


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イスマイル・サマニ廟 ( 写真左 )
892年から943年に掛けて造られた中央アジアに現存する最古のイスラム建築様式の霊廟で世界の考古学者や建築家に注目されている。サマーン朝の王族の霊廟。モンゴル来襲で町が壊されたが幸いに土中に埋もれていて難を逃れた。1925年に発掘された。大きさは9m四方で、壁の厚さ1.8m、日干しレンガを積み上げた構造。壁面は積み上げたレンガの凹凸により、日差しの強弱、角度により明暗が変わるという。



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素敵な牧童 ( 写真左 )
シャフリサブスからサマルカンドへ向かう途中なだらかな丘陵地帯をバスは走っていた。遠くに放牧の羊などがゆっくり移動している。近くにいた一群を目当てに写真ストップした。牧童が近寄って来て短い時間であったが少しばかり会話した・・日に焼けた精悍な顔でにこにこした牧童は、まるで映画スターの様に輝いていた。いい男!であった。生まれてからずっと羊を追いながら高原を歩いて来たのだろう・・素晴らしい笑顔であった・・



チムール博物館( 写真右 )
1996年に建造の新しい建物で、入った正面ホールの3枚の壁画は素晴らしく、豪華な雰囲気がある。チムール一族を中心に、チムールの家系図やウズベキスタンの歴史上の人物などを紹介している。歴史上の事件を再現した絵画や、建築物の模型なども展示。また未完のカレンダーなども面白い。 ・・


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ウズベク歴史博物館( 写真右 )

ウズベキスタンの歴史を知る博物館。2階には石器時代からの鏃や土器、人骨などの展示品があり、中でも最大の見物は1-3Cのクシャン朝時代に造られた仏像。ファヨーズ・テペ遺跡から出土したもので穏やかな顔をした仏陀。第一級のガンダーラ仏と云われている。3階にはロシア帝国の征服以後の歴史、独立後の展示品も置かれている。


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カザフスタン国 
国土は世界第9位の広さで、日本の約7.2倍と云うから相当広い国。西はカスピ海に面し、東は天山山脈を経て中国と接している。カザフ最大の都市アルマティは札幌とほぼ同緯度で、夏は23℃冬は-6℃で比較的過ごしやすい。アルマティとは「リンゴの里」の意でリンゴの産地。南の方向には白銀を戴いた4,000m級の美しいザイリスキーアラトー山脈が眺められる。「カザフ」とは馬に乗る人の意でソ連支配までは遊牧をしていた。



世界遺産・ヤサウイ廟( 写真右 )
1395年チムールの命令で建てられた。高さ44m、ドームの直径22mと、現在中央アジアにに残っている歴史的建造物としては最大級のもの。ブルーの鮮やかなトルコ石のドームは美しい。内部は大小15の部屋があり、大ホールには直径2mを越す聖杯とチムールの旗棒がある。名前のコジャ・アフメド・ヤサウイは12世紀に活躍した高名なスーフィで詩人。イスラムの布教、定着に貢献した聖人。 巡礼者が後を絶たない・・2003年世界遺産に登録。


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アイシャ・ビビ廟 ( 写真左 )
アイシャビビの伝説。王子と商人の娘アイシャは恋に落ちたが父に反対され、不憫に思った母親は乳母のババジ・ハトウンを付けて王子に会いに行かせた。会う前に川で身を清めたアイシャは花嫁衣装に手を伸ばした時に毒蛇に噛まれた。呼ばれた王子はアイシャを抱き上げ息を引き取る前に結婚式を上げ、彼女のために立派な廟を造ることを誓った。幾何学模様の美しいタイルのアイシャ廟と乳母の廟が並んで建っている。



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トルクメニスタン国 ( 写真左 )
トルクメニスタンの国土面積は日本の約1.3倍。人口約500万人。国の5つの州を表す星が国旗に描かれている。国土の中央、全体の略70%を乾燥したカラクム砂漠に覆われている。産業は特にないが、世界中から引き合いがある名馬アハルテク種の原産地。国の東西に流れるカラクム運河は1,100Kmあり世界最長の運河である。民族構成は85%がトルクメン人で公用語はトルクメン語。町中、大統領の肖像画が至る所にあり独裁色が強い雰囲気を持っている。



世界遺産・古代メルヴ
メルヴはシルクロードきっての規模を誇ったオアシス都市でペルシャと中央アジアを結ぶ重要な中継点。セルジュク朝時代には「高貴なメルヴ」と呼ばれイスラム世界屈指の都に発展。その後1221年モンゴル軍により消滅。さまよえる町となった。周囲には新しい町が造られ5つの時代に築かれた町の跡を観ることが出来る。エルク・カラやグヤウル・カラ、ベニ・ハマン・モスク、仏塔跡、大キズ・カラなど・・


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チムールのミナレット( 写真右 )
クフナ・ウルゲンチは古代ホレズムの都。10-14Cまで500年間ペルシャに通じる大交易都市として栄えた。17Cに入り川の流れが変わり、水の利が絶たれ首都はヒワに移された。中央アジアで最も高い67mのミナレットで1335年に建てられた。娘に恋した建築家に建てさせたという伝説。この一帯にはスルタン・テケッシュ廟、イル・アルスラン廟、キャラバンサライなどが残っている。


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競馬場&厩舎 
「アハルテケ」と聞けば「幻の名馬」「天空を駆ける金色の天馬」「トルクメニスタンの名馬」と世界中に知られている乗用馬。古くはアレキサンダー大王、漢の武官などに献上された。汗血馬、千里馬、赤兎馬。此処の厩舎は2004年にオープン。240頭のアハルテケが飼育されている。艶やかな肌、優美な姿と滑るように走る様が有名である。数種の馬と曲芸なども披露して貰った。



タジキスタン国 ( 写真右 )
タジキスタンと聞いても直ぐに位置が分からないが人口約700万人、日本の約4割の国土。「太陽の麓の国」と呼ばれ、国土の93%が山地に覆われ、その半分が標高3000m以上にある高原の国。東部はパミール高原に占められ、7000m級の山々が観られ、トレッキングツアーなどもある。高山の氷河から流れる水資源は豊富で旧ソ連圏ではロシアに次ぐ水力発電能力がある。


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ペンジケントの遺跡 ( 写真左 )
ペンジケントは隣国のサマルカンドから約60Km位の所に位置している。町の南の台地にソグド人の古代都市が広がる。1933年に発掘されているが、5世紀頃の集落が残っていた。メインストリートに商店、住居が並び、拝火教の神殿、宮殿などがあった。現在は発掘後の跡に所々風化したレンガ積みのものが残っている程度で説明を聞いてやっと分かる程度のもの。発掘品はエルミタール美術館や地元の博物館に展示されているという。



中央アジアの町中風景 ( 写真右 )
1991年に旧ソ連から独立した国々であるが・・同じ時期に独立したバルト三国などに比べると国の勢いが随分違う感じがする。バルト三国では抑圧された政治から自由を勝ち取ったと言う喜びが国民の表情の中に見られて素晴らしい。一方中央アジアでは年寄りは新体制に順応出来ず旧統治体制を懐かしむ声さえ聞こえてくる。しかし若者は「自由」が得られたことが一番うれしいと言う。これから時代が徐々に変わって来ようが・・旧ソ連時代の厳しい管理システムが現存していることに驚きを感じる。


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人々の表情スナップ ( 写真左 )
中央アジアの国々は古くはシルクロードの町として東西文化の交流地点として栄えてきた。幾多の統治を経て多民族国家としての複雑さを持っている。町を歩く人々は様々な人種・・様々な顔を持っており不思議な感じすらする。何れも子供たちは直ぐに集まってきて話し掛ける・・日本人が珍しいこともあるが写真に撮ってもらうことをすごく喜んでいる。素朴で純真さに心を洗われる・・



お気に入りショット ( 写真右 )
町を歩いていると何気ないところに面白い場面が転がっていることがある。その土地の臭いを感じられるものや非日常的な面白いものを撮りたいと何時も思っているのだが、なかなか思うような写真が撮れない。まあセンスと実力がないので半分は諦めているのだが・・。一枚の写真はいくら優秀な100行の文章よりも数百倍の情報量を持っていると思っている。


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その他のスナップ ( 写真右 )
数多くの写真を撮っていてもなかなか気に入ったものが少ない。下手な鉄砲数打てば当たる!ではないが・・まあセンスと実力がないので半分は諦めている。一枚の写真にふと心が癒されるようなものがあれば嬉しいのだが・・。今回の中央アジアでは何処の国へ行っても子供たちの笑顔が素晴らしく、人懐っこくて可愛かったのが印象に残る。


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お気に入りの絵葉書 ( 写真左 )
何処に旅しても、絵葉書を必ず買うことにしている。美しい絵葉書は友人に雰囲気だけでも・・・と出すことにしている。大体、絵葉書の値段と切手の値段でその国の物価水準が判断できるのである。高いところは我々観光客にとって日常品が高いということになる。単なる風景のものより、主張を感じる絵葉書が面白いと思っているのだが・・・。



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My Photo ( 写真左 )
今回も一人旅であった。以前はビデオとカメラの2本立てで頑張っていたが、両刀使いも年をとればフットワークも鈍ってくるので無理をせずデジカメ一本で頑張ることにした。と言ってもデジカメで2,000枚以上も撮るので暇がないと言うのが本音である。ホームページ用の写真は欠かせない。被写体は風景や自然物などが多く、人物を撮ることは少ない・・。せいぜい数枚の写真であるが貴重なものである。



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