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スリランカの旅 編
JTB旅物語 (2004.5.13〜5.20) [拡大]
スリランカ・Sri Lanka "光輝く島"を意味する。
日本から約9hで行けるインド洋上に位置する島国。
日本との共通点は、仏教国であること、米を主食とし、
島国であること。これらの共通した環境条件が、意外にも
親しみや似た考え方を持つという。北海道を一回り小さくした
ほどの大きさであるが、世界遺産は7つもあり、熱帯性の美しい花々や
果物が豊富、美しいビーチ、美味しいセイロンティーの本場などなど
面白い中身でいっぱい!行って見ると思わぬ穴場であることに大満足!
行って見ないとこの感動は得られないだろう・・やはり旅は楽しい!
Negonbo・Dambulla・Kandy・Nuwara Eliya・Colombo
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謎の美女・シーギリアレディ
1400年の深い眠りから覚めて我々の前に
美しい姿を見せた。この絵を見た人々は
素晴らしさに感動する・・
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世界遺産「アヌダラブーラ」!
今からおよそ2500年以上も前に
スリランカ最古の都として栄えた・・
仏教はこの地から世界へ!・・
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黄金ビーチのネコンボ
エメラルドグリーンの澄んだ海。
リゾート地でもありスリランカ最大の
漁港として賑わう・・
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世界遺産・ダンブッラ石窟・・[拡大]
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世界遺産・ボロンナルワ・・[拡大]
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インド象の水遊び・・[拡大]
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*スリランカの旅・総括スライド 110枚/6分 
時間のない方は20枚毎に
分割@ アヌダラブーラ/ミヒンターレ 編 *
分割A シーギリア/ボロンナルワ 編 *
分割B ボロンナルワ/ダンブッラ 編 *
分割C キャンディ/象の孤児院 編 *
スリランカの旅 総括:
13:20成田発コロンボ行きUL461便は新婚と思われる若いカップルや逞しく日焼けした若者達で賑わっていた。
若い人たちも結構スリランカに行くのだナーなんて思っていた。マーレ経由コロンボ、マーレと言う地名も分か
らない私にはマレー半島でも経由するくらいにしか考えていなかった。成田を出て12時間(時差4H)経過して
マーレに着いて若者の大半が降りて行った。これは大きな異変に気付き此処は何処だ!と機内誌を見るとモルデ
ィブ諸島の玄関口マーレであった。最近人気の海のリゾート地、美しい島々、スキューバーダイビングやサーフ
ィン・・若者達の楽園であることを知った。やがて機は搭乗者平均年齢をグッと上げてコロンボへ向けて出発した。
コロンボへの直行便なら9時間で行けるのにわざわざ通り過ぎてマーレまで行って引き返してコロンボ到着
である。わざわざ往復に2時間、マーレでの機内掃除に1時間など計3時間が無駄な時間となる。
何故この様な理屈に合わないルートが組まれるのか理解に苦しむ。コロンボ経由マーレ着でも良いように思うの
だが・・搭乗者の気持ちを無視したルートだ!
こんなことをやっておきながらスリランカ航空は人気エアーラインとして数々の賞(中央アジアのベスト
エアーライン賞や世界で最もフレンドリーな客室乗務員賞など)を貰っている。機内に搭乗の際胸の前で手
を合わせてニッコリ笑って迎えてくれる清々しさは悪い気はしないし、また機材も新しいものを使い清潔にも配
慮されているのは嬉しい。
スリランカに来て2つの発見があった。一つは日本が1951年9月サンフランシスコ講和会議において、
セイロン代表のジャワルダナ蔵相(当時)の名演説により、日本が戦争の賠償責任を免れることができた。
同じ仏教国として、仏陀の教えを引用し「憎悪は憎悪によって止むことなく、愛によって止む」というもの。
ソ連の制限案に反対し、参加国に寛容の精神をもたらしたと言われている。それ以来日本との親交は深まり、
今やスリランカに対するODA援助も日本が一番多い国として多くの国民から感謝されている。先頃親交50周年を
記念して「シギリアの美女」の記念切手が発行されたという。現在の経済大国日本があるのは、この様な当時の
恩恵によるところも少なくないと感じた。
もう一つは仏教の原点があること。元来仏教は紀元前3世紀頃インドからスリランカに伝わって来たもの
であるが、日本には9世紀頃タイやカンボジャ、中国・・などを経て伝わったと言われている。しかしそれは大
乗仏教(自分の悟りを求めるだけでなく、他者をも救済するもの)であって、此処スリランカは小乗仏教の中心地
である。これは出家を前提に自己の救済を求めるもので、大乗仏教より遙かに厳しいものである。例えば僧侶は
妻帯しない、お金は扱わない・・などは鉄則である。スリランカ人が日本の仏教の話(僧侶は妻帯、高級車に
乗り、保育園や幼稚園経営にまで手を広げている話)を聞いてとてもとても信じられないと言う。表面的には
同じ仏教国とはいえ日本の仏教は原点からずれ、その中身は随分と大きな差があると思った。
スリランカの人は会うと必ず笑顔で挨拶する。「お早うございます!」なんて声を出して言わない。
笑顔が挨拶であり、それ以上声を出して言うと念を押すことになり異常なのだそうだ。また日本では
「よろしくお願いします」という挨拶言葉も、スリランカにはないそうだ。このように日本には何気なく使っ
ている言葉でも、外国人が聞けば理解できない言葉が多いという。日本語には曖昧な表現、意味の言葉が多いと
いうが、個人の主張がない!に等しいということなのだろうか。中庸の美徳なんて聞こえがいいが世界に通じる
言葉が必要であろう。
今回の旅のハイライトは何と言っても、世界遺産のシーギリアの美女の岩絵を見ることにあった。
目にした時その鮮やかな色、美しい姿で現存していることに驚きと同時に不思議な気持ちがした。今まで
見たフレスコ画で最高の美しさであった。5世紀の後半に描かれたもので、1875年に発見されるまで凡そ1400年
間人の目に触れることがなかったという。今は18人の美女しか見ることができないが、当時は500人も描かれて
いたというから凄い!195mのシギリアロックはジャングルの中に忽然とそびえ立っており遠くからでも目立つ。
絵のある中腹まで急峻な階段を上り最後は垂直な螺旋階段を登って辿り着く。途中の厳しさはあるが絵を見たと
きその疲れは吹き飛んだ。素晴らしい岩絵であった。
スリランカは民主社会主義共和国である。その特徴は全ての病院で医療費は無料!小、中、高、大学も学費
は無料!但し義務教育は小中まででその後は試験があり合格者に恩典がある。この国の識字率は90数%という高い
レベルにあり、いかに教育に力を入れているか分かる。財政的には豊かな国ではなく、輸出3大商品は紅茶、天
然ゴム、ココナッツである。失業率は20-30%で働きたくても職がないのが現状。働いている人でも年収は低い。
生活物資が安いので月々の生活費は\30,000程度で出来るそうだ。物価は住民と観光客との二重価格になっている
。ビールなど日本と大差ない。ガソリンはリッター\60程度で安いが他の価格からみればやはり高い。絵葉書は一
枚\20-25、日本までの航空切手は\23程度だからこれは安い。消費税は贅沢税の様なものが適用されており自動車
などは100%の税金が掛かるそうだ。
驚くのは町を走っている車の8割方は日本の中古車である。日本で使われていた○○商店、△△株式会社・・
の看板そのままである。結構需要は高く、仕入れ価格の3倍で売れるそうだ。また中古パーツも繁盛しており、
整備修理するというよりパーツの取り替えで済ます。長い間英国統治下にあったので右側通行、右ハンドルと日
本と同じなので、日本の車や部品がそのまま利用できる。今は観光バスが不足だと言っていた。品質のよい丈夫
な日本車も10年20年後の第2の人生(車生?)を此処スリランカで有益に過ごしている。
最後に、現地ガイドのMr,スヒットさんが披露してくれた日本人向けのスリランカ料理法を2−3紹介する。
@白いご飯に七味唐辛子を掛け塩をふって混ぜて食べる。七味唐辛子だけでは辛いので塩をふるのがミソ! A
鷹の爪に切り口を入れ、塩水に浸けた後天ぷらにする。少し焦げ目が付いたところで取り上げて食べると、パリ
パリしてとても美味しい! Bパイナップルの美味しい食べ方。唐辛子と塩を掛けて食べるとパイナップルのク
セがなくなりパイナップルの甘味が引き出されて美味しい!やはり塩を一緒に用いるのがミソ! この様に唐辛
子に更に塩を振りかけて食べるなんて日本人の発想にない! がお試しあれ・・
今回の旅もまた面白かった!いろいろ想像を越える環境の中での文化や大自然の雄大さに触れる
ことができ、考えさせられたり刺激を受けることができた。やはり世界を歩き新しい文化を見て体験して
感じることができる喜び・・・これが生きているという実感に繋がるのである。やはり旅は楽しい!
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旅程マップ・・[拡大] ( 写真左 )
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成田→Male経由→Negombo泊→Dambulla連泊(アヌダラブーラ観光/ミヒンターレ観光/シギリアロック/ボロンナルワ)→Kandy泊(ダンブッラ/キャンディ市内観光)→Nuwara Eliya泊→Colombo泊(市内観光)→Male経由→成田。
スリランカへの「外務省の危険情報」
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黄金のビーチ・ネコンボ ( 写真左 )
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コロンボの北35Kmの海岸にあるスリランカ最大の漁港ニコロンボに最初の宿をとった。此処ニコロンボも漁港としての歴史は古い。しかし最近は国際空港コロンボに近くトランジット客のためのリゾートホテルが建ち並び、リゾートエリアの一つとして発展している。早く起きて美しい海岸を散歩するのも気持ちがいい。蒼い海、白い波、白い砂浜、横たわるカタマラン(双胴船)など絵になる。
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世界遺産・アヌラダブーラ ( 写真右 )
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紀元前500年頃から栄えたスリランカ最古の都があったところ。インドから紀元前3世紀頃伝わってきた仏教は、この地からスリランカ全土に広がり、さらにビルマ、タイ、カンボジャなどを経て中国、日本へと世界各地に広がっていった。此処にはインドのブッダガヤにある菩提樹の分け木が大きく成長し歴史を感じさせる。
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ミヒンタレ−の遺跡 ( 写真左 )
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ミヒンタレーはスリランカで最初に仏教が伝えられたとされる聖地。仏教伝来の日と伝えられる6−7月は多くの人で賑わう。憎達の食堂跡にある大きな米櫃や会議場をみて更に階段を上がってアムバスタレー大塔に着く。此処で靴を脱いで中に入り、インビテーションロックに登る。アルバイト学生が下手な日本語でああだこうだと話しかけて来て助っ人に付きまとい煩い。頂上からの眺めは素晴らしい。
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世界遺産・シギリアロック ( 写真右 )
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謎の美女壁画を残す伝説の岩山。5世紀の後半、ほんの11年間の統治であったがカーシャ王はこの岩山に傑作を残した。当時は500体もあったという壁画も、今は僅か18人しか見ることは出来ないが、その素晴らしさに誰しも驚く。発見されるまで1400年間も深い眠りに入っていたのも感動を与える。鮮明に色鮮やかに描かれた姿が残っていることが不思議でもある。
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世界遺産・ボロンナルワ ( 写真左 )
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10世紀の末にタルミ人達に侵略され、アヌラーダブラを追われた後、10〜12世紀にシンハラ王朝の首都として栄えたところ。この地で仏教の普及に尽力し多くの仏教建築物、石像が残されいる。仏教都市としてアジア有数の大遺跡群は世界に広く知れ渡っている。ガル・ヴィハーラの座像、立像、涅槃像の3石像は大傑作で前に立つと穏やかな表情に救われる。
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世界遺産・ダンブッラ ( 写真左 )
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スリランカ最大の石窟寺院。岩山の頂上付近にある天然の洞窟に極彩色の壁画が描かれ、多くの仏像が彫られている。5つの石窟からなり一番古い物は2100年も前のもので、全長14mもある涅槃仏は有名である。入り口の付近で野生の猿が沢山出迎えてくれた。よく慣れたもので生まれたばかりの赤ん坊猿を抱いた母親猿もいた。
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世界遺産・キャンディ( 写真右 )
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シンハラ王朝最後の都があったところ。英国の植民地に置かれる1815年までの約300年間王朝の最後の都であった。王権の象徴である仏歯を祭った仏歯寺があり、スリランカ人の仏教徒にとって最高のシンボルとなっている。中に入るには所持品の検査、ボデーチェックが行われ、その厳しさには少々驚いた。。
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キャンディアンダンスショー 
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キャンディ地方を中心に広がっている「高地の踊り 」である。宗教的な儀礼から始まったようで悪霊払いが目的。今はスリランカを代表する芸能でスリランカ各地の民族舞踏を組み込んであり、ショー的な性格が強くなっている。ショーは激しいドラム音楽で始まる。色々出し物があって最後は手にした松明を振り回したり、口に含んだり、火の上を歩く火渡りの儀式があり迫力があった。

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避暑地・ヌワラエリア ( 写真左 )
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高原地帯の中央に位置する美しい町である。英国の植民地時代には避暑地として栄えた。今でもその面影を残した広い芝生の庭やイギリス風の建物や、ゴルフ場に競馬場などが残っている。一歩町を出れば周囲の小高い丘は一面の茶畑で美しい緑の絨毯が敷き詰められたようである。勿論ここはセイロン紅茶の特産地である。
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インド象の孤児院( 写真右 )
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キャンディから約30Km西のKegalleと言う町の近くにある。ジャングルで親を見失ったり、はぐれたり、怪我をした子象など約50頭が保護されている。育った象や治癒した象は寺院や象使いに引き取られる。中では一緒に写真を撮ったり、触ったり、決められた時間に行われるミルクの授乳風景なども見ることが出来る。また近くの川での放象水浴びなど迫力があり壮観である。
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コロンボ市内風景( 写真右 )
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コロンボはスリランカで一番大きい都市。経済・文化の中心地であり、実質上の首都でもある。昔は小さな漁村に過ぎなかったが、アラブ商人が入って来て、香料や宝石などの交易が行われるようになり、本格的な港湾都市として発展してきた。ポルトガル、オランダ、イギリスと植民地政策を経ており外国人によって作られた町とも言われている。中心部はビルが建ち並んでいるが周りは交通渋滞や市場などその喧騒も凄まじい。
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スリランカの町中風景 ( 写真左 )
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スリランカの人口は約2,000万人。その10%が大都会のコロンボに住んでいるが後は農村部に散らばっているので極端な人口集中はない。島の中心部の観光ルートをバスで走ったが通過する町々は小さな薄汚れた店に多くの人々が集まって喧騒たる風景であった。丁度北部パキスタンの郊外風景と似た感じであり、住居も生活設備も生活風景も大きな違いがある・・
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スリランカの花・いろいろ ( 写真右 )
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スリランカは熱帯性気候と単純に思うが、島国であるからこそモンスーンの影響を受けやすく、地形の影響もあり地域によって大分差があるようだ。海岸部や低地は暑いが、中央高地部では年平均16℃で一年中春のような気候である。南西海岸部は4-6,10-11月が雨期で特に雨が多い。南東部・北西部は年間を通じて雨が少なく砂漠に近い地域。北部は日中かなり暑い。10-1月が雨期で雨が多くなる。この様な環境で咲く花々も多少変わってくるようだ。何れも原色に近い色で美しい。
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スリランカの果物・いろいろ 
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スリランカの気候は上記の如く地域によって大きな差があるが、一般的によく目にする果物は、バナナ、パイナップル、マンゴ、パパイヤ、ジャックフルーツ、ココナッツ、マンゴスチン、ドリアン、アボガドなどなど。これらの果物は何処にでも生育している。ホテルの食事時には何時も新鮮な果物が沢山並んでおり、楽しみである。店頭で買っても馬鹿安い!
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その他のスナップ ( 写真右 )
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町を歩いていると何気ないところに面白い場面が転がっていることがある。その土地の臭いを感じられるものや非日常的な面白いものを撮りたいと何時も思っているのだが、なかなか思うような写真が撮れない。まあセンスと実力がないので半分は諦めているのだが・・。一枚の写真はいくら優秀な100行の文章よりも数百倍の情報量を持っているものである。
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お気に入りの絵葉書 ( 写真左 )
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何処に旅しても、絵葉書を必ず買うことにしている。美しい絵葉書は友人に雰囲気だけでも・・・と出すことにしている。大体、絵葉書の値段と切手の値段でその国の物価水準が判断できるのである。高いところは我々観光客にとって日常品が高いということになる。単なる風景のものより、主張を感じる絵葉書が面白いと思っているのだが・・・。
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My Photo ( 写真左 )
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以前はビデオとカメラの2本立てで頑張っていたが、両刀使いも年をとればフットワークも鈍ってくるので無理をせずデジカメ一本で頑張ることにした。と言ってもデジカメで2,000枚以上も撮るので暇がないと言うのが本音である。ホームページ用の写真は欠かせない。被写体は風景や自然物などが多く、人物を撮ることは少ない・・。ましてや自分の写真はせいぜい数枚であるが貴重なものである。
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最後までご覧頂きありがとうございました。如何でしたか・・?
皆様の声を参考に、よりよいページを作って行きたいと考えています。
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画像旅行記 ★ 旅いつまでも・・ ★
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