MUSIC♪♪・・・Aquella Melodia
キューバの音楽を聴きながら
その雰囲気を感じご覧下さい!

ようこそ!

情熱の島 キューバの旅 編

JTB旅物語 U808-90(2007.02.13〜02.21) [拡大] 情熱の島!キューバへ行って来ました。 成田からカナダ・トロント経由キューバの首都ハバナへ。 酷寒のトロントは外気温-14℃、着いたハバナは外気温30℃! この温度差何と44deg℃、更に時差は-14Hr 夜昼逆環境の旅は誠に厳しい! キューバと云えばカストロ議長の社会主義共和国。我々の自由主義経済圏とは別世界。 だがヘミングウエイはキューバを愛し「老人と海」を執筆した。 マンボ、チャチャチャ、ルンバなど お馴染みのラテンリズムは此処キューバで生まれた。 太陽の下、陽気な人々、情熱の島・・キューバは行ってみないと分からない。 今回もまた新しい発見、新しい感動があった。・・! やはり旅は楽しい! Toront・Habana・Torinidad・Santa Clala・Habana・Toront
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バラデロの美しい海!
     この美しい海の色!
     エメラルド色かコバルト色か・・
     素晴らしい眺めだ・・こんな海はじめてだ!
旧市街地風景
400年続いたスパニッシュコロニアルの 
雰囲気を持った町並みが続く・・。
世界遺産にも登録・・ 

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カストロ議長とヘミングウエイ!
キューバを代表する2ショット! 
お互い釣り仲間・・
賞を手に喜ぶカストロ議長! 

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1930,40年代のアメリカ車・・
古い車が堂々と走っている![拡大]
こんな花も珍しい!
名前が分からないが美しい花![拡大]
世界三大ショーの一つ!
素晴らしいトロピカーナ![拡大]



*情熱の島 キューバの旅・総括スライド 144枚/5分
時間のない方は40枚毎に
分割@ カナダ・ハバナ・他 編 * 分割A 世界遺産・旧市街地・他 編 *

分割B 世界遺産・トリニダー 編 *分割C トロピカーナ・ショー・他 編 *




キューバの旅 総括:
「カリブ海の真珠」と言われるキューバ!情熱の島!キューバへ行って来ました。キューバと聞いて思い浮 かべるのは、先ずカリスマ性の高いカストロ議長と社会主義共和国。次いでマンボやチャチャチャ・・など陽気な ラテンリズムやあのエネルギッシュな踊り、暑い常夏の国!さらに「老人と海」のヘミングウエイ、今でも見られ る古いアメリカ車、スペイン時代のコロニアルな町並み・・など色々あろう。しかし私が動かされたのは昨年末カ ストロ議長の健康上の問題が話題になってからである。後継者のことやアメリカとの関係など社会主義共和国の今 の姿がみたかった。それもカストロ議長の容態が落ち着いている今が旅時だと考えた。一たび政情変化があると旅 が出来る状態でなくなることは、過去のユーゴスラビアやレバノンなどを見れば明らかである・・行ける時に出か けるというのが私の旅スタイルである。    キューバは何処にあってどうやって行くのだろう・・案外知られていないのではなかろうか。意外に思ったのは アメリカのフロリダ半島の南方約145Kmに浮かぶカリブ海最大の島であり、アメリカにとても近い国であること。 面積は日本の本州の約半分相当で人口は約1,200万人弱、1/4の約300万人が首都のハバナに住んでいる。国土の1/4は 山岳地帯で平地ではオレンジやサトウキビなどを栽培。ムラート(白人と黒人の混血)と白人が全体の87%でアフリカ 系黒人は12%。カトリック教徒が大半。スペイン語が公用語。気候は亜熱帯性海洋気候で年間平均気温25.5℃、乾季       は11月〜4月でこの期間が旅行シーズン。日本との時差は-14Hr。日本からの直行便やアメリカからの便はない。メキ       シコかカナダ経由で入国することになる。かってはアメリカ依存の国であったが革命後は周知の如く友好関係には       なくその影を見かけることが多い。   今回の旅はカナダ・トロント経由ハバナへのルート。成田〜トロントまでの飛行時間は約12h10'、トロント〜 ハバナまで3h40'かかる。この時期トロントは外気温‐14℃、ハバナは30度。何と温度差は44deg℃もある。夏冬、       夜昼、逆の環境変化!こんな旅も正直身体に厳しく辛い!世界は本当に広く、世界を歩くと云う事はこんな環境変化       を耐え抜かなければならないと云うことだと何時も自分にいい聞かせている。それでも未知の国への旅は楽しい!   キューバの歩んできた歴史を簡単に触れておこう。1,492年コロンブスが到着。スペインの植民地化が進む。16世       紀-17世紀に掛けてフランス、イギリス、オランダなどから攻撃を受け、1,762年イギリス領となったが翌年フロリダ       との引き換えに成功、再びスペイン領となる。1,868-1,898年国内の独立戦争、そのさなか1,898年米西戦争勃発、       アメリカが勝利し400年のスペイン支配からアメリカ軍政下に入る。1,902年キューバ共和国成立。1,952年軍事 クーデターによりバチスタ政権樹立。1,953年カストロ蜂起、1,956年チェ・ゲバラと共に再戦し1,959年バチスタ 政権崩壊、遂にカストロ政権樹立、社会主義共和国として歩むが1,991年ソ連邦崩壊とアメリカによる経済制裁で経 済的にどん底に落ち苦難を経て今日に至る・・    カストロ議長の描く社会主義共和国とはどんなものだろうか・・我々の資本主義自由経済圏との違いはどんな        ところにあるのだろう。して国民の生活、生存意識はどうなんだろう?と色々興味が湧いてくる・・先ずカストロ        議長が唱えているのは、医療の無料化、教育の無償化、土地の国有化、企業の国営化、政治の民主化、公共施設の            是正・・などをあげている。我々の世界と考え方が随分違うことが分かるが実際はどうなのだろうか・・          キューバでの医療制度は4分類で、第1step:ファミリードクター(医者/看護婦各1名)、第2step:診療所、        第3step:病院、第4step:研究所の病院に分かれておりそれぞれの症状によりステップを上げて診察を受ける。医療        費は全て無料。死亡率が高いのは交通事故死、病気では心臓病、次はは癌。キューバは人口当たりの医者の数は世        界一!現在7万人とか。パキスタン地震の時にも医者を派遣し6ヶ月支援しその時の病院施設も寄付した。近隣の            ヴェネゼイラから石油の支援を受けており、お返しに3万人の医者を無料で派遣しているなど医療の充実、医者の            教育に力を入れている。統計的には乳児死亡率も低く、平均寿命も男77歳(女80歳)と高く他の貧国とは異なり、 医療、教育の充実化が見られる。   教育費も全て無料!制度は日本と同じ6・3・3制、大学は5年、医学部は6年、歯学部は4年。高校から大学        へは入試が厳しく高校の全国成績リストによって希望選考が出来る。(成績がよければ希望の大学に入れる)中学から        高校へは80%、20%は専門学校へ、また専門学校から大学へも入れる。授業形態は午前中勉強、午後は農場などで労            働しこれで費用を捻出する仕組み。保育園と幼稚園は有料!これは施設の数が少ないのでやむを得ず有料化になって            いる。学校は僻地でも生徒1人でも必ず先生が1人つき、テレビ、コンピューターも1台(ソーラパネルで作動)、        また医者と看護婦も付くことになっている。この辺が事実なら凄い!日本では考えられない! 卒業後の仕事は全        て保障されており現に失業率は僅か1.9%である。誰でも平等に教育が受けられる。従ってキューバは貧国であって            も他の国とは違い識字率は98%レベルですこぶる高い。          キューバでの教育は全て無料と云うことで、米国や他国から留学する人も多い。最近は中国人も増えている。        勿論日本からも音楽や踊りなど勉強に来ている人もあるという。経済制裁を受けているアメリカからでも無料で受        け入れてところが凄い。教育支援は発足当初の2,000年には2,000人程度であったが今では16,000人にもなっている        そうだ。キューバは決して豊かな国ではないが、国が持っているものが必要であれば何処にでも誰にでも提供する            という考えでやっている。このような考え方が社会主義なのだろうか・・    徴兵制度もあり1年間の義務である。原則男性は16歳から大学入学までに実施、兵役を終えて大学へ進むことに なるがこの1年のブランクは勉学意欲を損なうとの意見もあり見直しの方向にあるそうだ。女性は義務はないが希 望者には対応をしている。キューバでは離婚率が80%と非常に高い!平均結婚年齢は女性:18-19歳、男性:20-23 歳と早く、両親と5-6年間は一緒に生活するなど住宅問題や最近は女性の自立化が進んで来たこともその要因。結婚は 本人同士の自由意志で決められるそうで両親の強制はない。住宅は家賃を払っていくと(30年?)自分の物になるが売       ることは出来ない。子供も一緒に住めるが、親が亡くなったら子供が家賃を払うことになる。    キューバでは2重価格構造になっている。所謂兌換ペソとペソ。一般国民が生活する通貨はMN=モネーダナショナルと いわれるペソ、観光客や高級住民はCUC=ペソコンベルティブレ=兌換ペソである。1CUC=24MN=133円。24倍の差が ある通貨で、一般国民は我々観光客の1/24のマーケットで生活しているのである。このことを踏まえて、一般人の平 均月収(政府が支給)は約300MNペソ=\1,600程度、医者など高級取りで約700MNペソ=\3,800程度である。しかし農業な どは収穫量により割り増しがあり、時に医者よりも高給が貰えるときもあるそうだ。生活品の価格はパン1個:1MN=       \5.5、卵1個:1.5MN=\8、牛乳1L=1.75CUC=\232、スナック菓子:1.3CUC=\172・・・など。基礎的な食料品は配給       制で配給手帳を持って1カ月分の量をを分けて買いに行く。一人1日1個の丸パン、7歳までの子供は牛乳を毎日1本 支給。品物は限られており7-12歳までの子供は成長過程にあり牛乳も必要だが配給品以外の品物は24倍の兌換ペソ マーケットでないと買えない。牛肉などは高嶺の花で一般の人は中々口に出来ないのである。    キューバの社会主義共和国!今の生活も色々問題を抱えている。もう少し自由が欲しいと願っている人もいる。 個人での自由な旅行、日用必需品の購入、インターネットへの自由なアクセス・・これらは職業上に限り許されてい る範囲があるがそれでもある程度監視されている状態である。また資本主義の導入については一部取り入れている。 自分の車でタクシーをやったり、自宅の部屋をレンタルしたり、民芸品を作って売ったり、自宅で食堂を開いたり、 農作物をマーケットで売ったり・・など政府の許可を取って可能であるが勿論収益には税金が掛かる仕組みになって いる。    資本主義社会への移行について、中国などの先例があるがキューバ政府は徐々にやりたい考えである。一度に 大きな変化をやると失敗した時に取り返しに時間がかかるのでゆっくりやりたい。他国から早くやれとの声もあるが、 ステップバイステップ!考えながらやりたい。一番大きな敵が近くにいるのでミステイクがあればそれを機に介入の 恐れがあるのでそれに気をつけながらやりたい。と話しているようだ。世界何処でも介入するアメリカへの警戒心は 強く、中南米諸国は連携を強め対抗しようとする動きも見逃せない現実である。キューバの社会構造の変革には時間       がかかりそう。かってソ連邦の崩壊で経済危機に陥ったが'95年以降観光業の成長で回復の兆しを見せてきた。観光立       国は外貨獲得の大きな秘策になろう。観光客はここ数年年平均19%の高成長であるがまだ230万人程度でまだまだ期待 できよう・・カナダ、中南米諸国、ドイツなどが主で、因みに日本人観光客は年5-6,000人程度であり、2000年にJA Lが直行チャーター便を4回出した時が9,000人と云われている。確かに直行チャーター便が出ると観光客には歓迎で ある・・    最後にキューバと言えば、この人を語らずには終わらない!チェ・ゲバラである。国民的英雄で今でも国民の 心の中に生きている。書物など沢山の関連資料が出ているので多くを語る必要はないが、アルゼンチン人でありなが らカストロとの運命的な出会いにより共に戦ってキューバ革命を成功させた。カストロ議長に言わせれば「彼は現代 に生きる人ではなく、21世紀の革命家だ!」。キューバだけに留まらずアフリカや中南米を含めて常に革命に生きる 人であった。ボリビアでの革命に参加し、イゲラス村で捕虜となり処刑!1967.10 帰らぬ人となった。当時ゲバラに 最後の食事を出し、最後に話をしたイゲラス村の小学校教諭をしていた女性が今も生きていて当時の様子をはなして       いる。その後遺体は秘密裡に埋葬され行方不明であったが30年後の1997.10 ゲバラの遺骨はボリビアからキューバに       返還され、ハバナでの国民的追悼式典後サンタ・クララの霊廟に手厚く葬られている。20世紀の革命戦士として純 粋に無私な形で戦いそして死んでいった姿が全世界の心若き人々の魂をとらえて放さない・・   今回の旅もまた面白かった!いろいろ想像を越える環境の中での文化や大自然の雄大さに触れることが            でき、考えさせられたり刺激を受けることができた。やはり世界を歩き新しい文化を見て体験して感じることができ            る喜び・・・これが生きているという実感に繋がるのである。やはり旅は楽しい!

   

・・・・ 旅程の概要・・・・・


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旅程マップ・・ ( 写真左 )
成田→トロント泊(ナイヤガラの夜景)→ハバナ連泊(ハバナ市内観光/革命広場/ヘミングウエー博物館/モロ要塞/葉巻工場/カピトリオ/アシス修道院/バラデロ)→トリニダー泊(市内観光/チェ・ゲバラ記念霊廟/革命広場/インヘニオス渓谷)→サンタクララ泊(市内観光/コヒマル観光/ヘミングウエーの胸像観光/トロピカーナショー)→ハバナ泊(自由行動)→トロント泊(市内観光/オンタリオ州議会観光/CNタワー観光/クイーンズキーターミナル)→機中泊→成田。

外務省発行
*キューバの危険情報


・・・・ JTB旅物語添乗員 星野 かほり さん 寸評・・・・・



・・・・ 印象に残った・・・見どころスナップ・・・・・


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世界遺産・ハバナ旧市街地風景 
ハバナはキューバの首都であり全人口の1/4の人が住んでいる。このハバナは400年続いたスペイン植民地時代の面影を残す旧市街地と今や政治経済の中心地である新市街地とからなっている。1,982年に世界遺産に登録されたハバナ旧市街地は独特な雰囲気を持っており、石畳の古い道や家並み、そこに住んでいる人々の顔、一旦町中に入れば古き時代にタイムスリップした感覚に陥るから不思議である。



ハバナの市内風景 
ハバナは碁盤目状に整備された町区画で、そんなに大きな町でもなく歩きやすい。主な見所は旧市街地に集中しているので半日から1日観光で充分であろう。キューバは何と云ってもサルサやマンボ、チャチャチャ、ルンバなどの発祥地!明るく陽気な人々・・ラテンリズムとエネルギッシュな踊り・・。古いアメリカ車が堂々と走っており驚くとともに懐かしさを覚える。スペイン文化とアフリカ文化とアメリカ文化が融合した不思議な国!社会主義共和国家キューバである。


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ハバナのスポット! 
ハバナの町を歩いていると何処からともなく歯切れの良いラテンリズムが聞こえてくる。明るくて陽気なキューバ人は何時も音楽と共に生活をしている。2−3人寄れば楽器を持って何かを歌っている。ハバナに着いた夜はブエナ・ビスタの音楽レストランでキューバ料理を楽しんだ。音楽を聴きながらエネルギッシュなキューバダンスを楽しんだ。マラカスでリズムを取りながら腹の底から出して歌う美しい声に痺れた!何でこんなにいい声が出るのだろうか・・勿論彼らの演奏するCD(10CUC=\1,300)を買って帰ったのは云うまでもない。


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ハバナの革命広場 
革命広場は新市街地の中心部にある。毎年1月、5月にはカストロ議長の演説が行われ数十万人の人が参加すると言われる。広場を見下ろすように建つ高さ109mのホセ・マルティ記念博物館や白大理石で造られたホセ・マルティの像が目立つ。また広場の近くには内務省、陸運省、郵政省、国立劇場、国立図書館など国家機関が集まっている国家の中心地でもある。夜になると内務省の建物の側壁にはチェ・ゲバラの顔が浮かび上がるという。一見の価値がありそう・・



ヘミングウエイの大邸宅!!
アメリカの文豪・アーネスト・ヘミングウエイは1,928年29歳の時に初めてキューバを訪れた。キューバの風土が気に入ったのかそれ以来しばしばキューバを訪れ、スペインの内戦を描いた「誰がために鐘は鳴る」などを執筆し、その小説が当たり莫大な印税でこの大邸宅を買った。海と釣りの好きなヘミングウエイはこの家と漁村コヒマルを行き来しながら「老人と海」を書いた。彼がアメリカの故郷で亡くなってからはキューバ政府のものとなりヘミングウエイ博物館として公開されている。室内は在りし日のままに、また装飾や9000冊を超える蔵書など見応えがある・・


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モロ要塞の風景 
ハバナ港に通じる運河の入り口にモロ要塞とプンタ要塞がある。1762年イギリス軍はこのモロ要塞を襲撃し1年掛けてやっと落した。事実上イギリス領となったがスペイン政府はフロリダ半島と引き換えに再び取り戻し、その後方にカバーニャ要塞を追加するなど要塞を堅固なものとした経緯がある。かってはここで出入りする舟を管理していたという。その後は牢獄として使われたり今は灯台の役目を果たしている。内部は葉巻タバコやラム酒、土産物などの店がある。モロ要塞から眺める対岸の市街地風景も素晴らしい。



カピトリオ(旧国会議事堂)
旧市街地の近くに一際目立つ白亜の殿堂が聳え立っている。アメリカのホワイトハウスをモデルにして建てたと言う旧国会議事堂、カピトリオである。正面の長い階段を上れば大きな柱の上に堂々と建っている。内部は大理石が敷き詰められ正面には黄金の女性兵士の立像がある。高さ15mの立像は世界で3番目に巨大なものという。床には今はレプリカだが24カラットのダイヤモンドが埋め込まれていたとか、各部屋の内装や造りも贅を尽くした素晴らしいものである。1929年建築、幅208m、高さ98mの4階建て建築物。


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古いアメ車のオンパレード! 
町を歩いて驚くのは1920年30年40年代・・の古い古いアメリカ車が沢山走っていることだ。オンボロで錆付いた車もあるが今では中々見ることの出来ない懐かしい光景である。アメリカ時代に残された遺物である。今ではアメリカの経済制裁により補修部品の入荷も絶たれ、資源の少ないキューバでガソリン大食い、排気ガス撒き散らし・・などで段々姿を消していく運命にあるようだ。スペインコロニアル時代の街並みの中に馬車と古いアメ車が見られるのは面白い光景である・・



ハバナ郊外風景〜バラデロへ
ハバナ市内から約2時間走った所にマタンサスという小さな町がある。コロンブスが2度目に上陸したところ。ここで小休止し更に進めば海に突き出た半島がある。キューバ最大のビーチリゾート地のバラデロである。1930年頃にアメリカの大富豪たちが別荘を建て優雅なバカンスを過ごしていた。大西洋に面した美しいビーチ!白砂にエメラルド色の海の美しさ!1959年の革命によりオーナーたちはマイアミに亡命。残った別荘はキューバのものとなり、大型リゾートホテルも建てられ一大リゾート地として賑わっている。


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マリーナ・サビリン風景! 
海とくればボートに釣り・・マリンスポーツの拠点となるのがこのマリーナ・サビリン。釣り、ダイビング、クルーズ、セイリング、水上バイクのツアーなど楽しめる。ここから外洋に出て行く。我々も外洋クルーズをし小さな島に上がって昼食用にロブスターのバーベキューを楽しむ予定であったが、当日は風が強く外洋では相当船が揺れる!と脅かされ、結局は断念し町中でのレストランでロブスターを頂いた。船に乗れなかったのは残念であったがツアーのみんなが楽しく旅をすることが先決である・・



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デユポン・メイソン! 
船に乗れなかったその時間を利用して、現地ガイドのオスワルドさんが気を利かして特別に案内してくれたのがここデユポン・メイソン!。ご存知アメリカの大富豪デユポンの大別荘である。今はキューバ政府の管理下にあるが金持ちが住むところは一味違う!素晴らしい眺めの場所であった。3階のバーから眺める海の色に驚いた!こんなに美しい海があったのか!エメラルドグリーンというかコバルトグリーンというか太陽の強さにより色が変わる。こんなに美しい海は初めて見た!・・これも添乗員と現地ガイドの臨機応変な素晴らしい判断、対応に感心した。



世界遺産・古都トリニダー
ハバナから車で4-5時間の距離にあるトリニダー。キューバに残る古い町のひとつで世界遺産に登録されている。サトウキビ作りと奴隷売買で繁栄した古い町並みはキューバの貴重な建築物として保存されている。1514年頃からの町作りの歴史である。町を歩けば当時の趣がそのままに感じられて面白い。中心はサンティシマ広場でここを中心に碁盤の目状に石畳が続き、サンティシマ教会をはじめ革命博物館やロマンティコ博物館、考古学博物館、市立歴史博物館などがある・・


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トリニダーの市内風景 
石畳の道をゆっくり歩いていると家の前でのんびり座っている男や路地で元気に遊んでいる子供たち、観光客を相手に瀬戸物やファゴッティングという織物(布から糸を抜いて模様を作る)など売っている露店や竹の皮のようなもので作った篭などを売っている人、馬車に乗って観光している人たち・・様々な人たちに出会う。人口35,000人程度の小さな町だがゆったりした時間が流れている・・



サンティシマ広場風景
トリニダーの中心となる広場である。正面に数本のヤシの木と共にこのカテドラルがあり、周囲は博物館などが並んでいる。カテドラルの正面にはアートギャラリーや建築博物館がある。内部は自由に見学できるし、そのまま奥に進めば中庭なども見られる。古い石畳と家並みは何ともいえない風情があって写真を撮るポイントでもある。ゆっくり散策するのもよい・・


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トリニダー・革命博物館 
サンティシマ広場から少し歩いたところに黄色い壁に一際高い塔が目立つ建物が革命博物館である。元は修道院であったと言う中庭のある美しい建物である。内部の各部屋にはカストロ革命軍とバチスタ政権との戦いの歴史、記録、写真、武器などが沢山展示されている。スペイン語だけでの説明書きである。中庭にはボートとソ連製のトラックが置いてある。狭い階段を上っていけば塔の上から市内を一望できる。赤茶けた屋根瓦の向こうに見える石畳や町並みが美しい。



世界遺産・シエン・フェゴス風景 
2005年に世界遺産の文化遺産として登録されたこのシエン・フェゴス都市歴史地区。歴史的な街と建物が指定されている。チェ・ゲバラと一緒に戦った革命家にカミロ・シエン・フェゴス・ゴリアランという人がいるがこの町の名前はこの人と関係があるのだろうか・・。人口16万人のキューバの一大工業地帯である。丁度昼食時にこの町に寄ったが入ったレストランが素晴らしかった。美しい外観と凝った内装、有名老女(?)がピアノの弾き語りをやり自作のCDを販売していた・・ 


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チェ・ゲバラ記念霊廟 
ここサンタクララの霊廟にチェ・ゲバラが眠っている。ボリビアで捕われ処刑されたゲバラの遺体は亡くなって30年後にキューバに帰ってきた。この霊廟の中はそんなに広くはなく埋葬室と資料室に分かれている。資料室には当時の使用品や武器や写真やカストロへの最後の手紙など展示されている。埋葬室は戦ったボリビアの山地を思わせる植物が植えられておりその中に眠っている。壁には一緒に戦った同士の銘板が埋め込まれている。ただひとりの日系人の名前も見られた・・。内部は撮影禁止!手荷物も持ち込み禁止!



装甲列車襲撃記念碑
革命軍が決定的な勝利をもたらした装甲列車襲撃事件と言うか戦い。数の上では圧倒的に少ないチェ・ゲバラ率いる革命軍に対し苦戦をしているオリエント州軍への増援部隊や戦闘物資を積んだ装甲列車を爆破転覆させ政府軍へ甚大な損害を与えた。逆にこれらの戦闘物資は革命軍の増強に繋がり期待以上の戦果を得た記念すべき戦いの現場。線路の犬釘を抜くバールや火炎瓶、ブルドーザーなどがその当時のままに保存されている。


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サンタ・クララのホテル風景 
Los Caneyes 。広い敷地内にわらぶき風のコテージが幾つも散在していてとても雰囲気があってよい。レストランは入り口付近にあり、各コテージからは森の中の小路を歩いて出てくる。小道の脇には色とりどりの花が咲いていて楽しい。夜は薄暗く路灯を頼りに歩くしかない。丁度この時期ファッションショーが開催されていて夕食時にモデルさんが券を売りに来ていたが1CUCペソと言うから慈善事業のようなものだろう。同行の数名が見に行った様だが結構楽しかったそうだ・・



ヘミングウエイの愛したLa Terraza
ヘミングウエイは此処コヒマルを愛した。このラ・テラサに立ち寄ってはラム酒を酌み交わしエビなど海産物を食べながら漁師たちと話をすることを楽しみにしていたようだ。奥のテーブルに座り窓越しに海を眺めていた・・。今は部屋の壁には在りし日の写真がズラリと貼られている。釣り仲間でもあったカストロ議長との2ショットも飾られている。ヘミングウエイも飲んだであろう漁師のスープも美味しかった。かって彼が「深い海の水の色をした酒は作れないものだろうか・・」と云ったそうだが、正に美しいブルーのカクテルが出てきたのには驚いた!!


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コヒマルの町中風景 
ハバナの市内から車で約15分・・。「老人と海」の舞台となった小さな漁村!コヒマル!ヘミングウエイが海を愛し釣りを楽しんだ愛艇ピラール号を係留していた。此処に来てはメキシコ湾の海を眺め、白い波を見て、漁師たちと話をしているうちに「老人と海」の発想をしたと云われる。入り江の入り口にはスペイン時代の砦が聳えている。その近くに白色の円形の枠の中にヘミングウエイの胸像のモニュメントがある。白色と海の色を表す青色で彩られている。このモニュメントは彼が母国・アイダホ州の自宅で亡くなったことを偲び、漁師たちが自分の舟の錨やスクリューなどを出して鋳込んで造ったという・・



素晴らしいトロピカーナ・ショー!
世界三大ショーの一つと云われている。他の二つは何処だろう・・誰も教えてくれない!屋内のショーか屋外も含めてか分からない。私が見たり聞いたりしたしたうちから想像すれば・・ラスベガスのショーも素晴らしい!ブラジルのサンバショーも素晴らしい!リオのカーニバルも素晴らしい!パリのムーランルージュも素晴らしい!・・トロピカーナも確かに素晴らしい!規模と言い出し物もラテン系のエネルギッシュなリズムと踊りが飛び跳ねる・・プチプチした美女も素晴らしい!大満足なショーであった。踊り子も国家公務員とは・・キューバらしい。


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中継地・カナダ・トロントの風景 
日本からキューバに直行便はない。メキシコかカナダ経由となるが今回はトロント経由となった。着いたトロントの外気温は-14℃と酷寒!道路は凍結している・・早朝の出勤時は除雪車のフル出動である。たまたまその場面に遭遇したがそのお陰でスムーズに空港まで辿り着くことが出来た。これでも今年は世界的な暖冬でこの程度ですんでいるが・・真冬のトロントはそれは凄いもの!



キューバの人たち
風俗習慣人の表情・・何時も関心を持って旅をしている。国が違えば価値観も変わってくる。良し悪しは別として価値観の違いを知ることはとても面白い。また人の表情にはその人が歩んできた長い長い歴史が感じられる。そのような表情を撮りたいのだが、中々正面で写真を撮ることは少ない。撮らしてくれる人もあれば嫌がる人もある。人それぞれ・・。キューバの人種構成はムラート(白人と黒人の混血)と白人が全体の87%、アフリカ系黒人は12%、中国系アジア人1%である。


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可愛い子供たちの表情!
大人と違って子供たちは純真無垢である。表情が多種多様・・。精一杯の顔をしている。特に目が生き生きと輝いており、目で訴えているのだ。話が分かるわけでないから彼らも良く知っている。笑顔笑顔・・精一杯の笑顔!笑顔には警戒心がない!人と人、心と心の触れ合いである。そんな子供の写真を撮るのが好きだ!撮った写真をその場で見せてやると大喜びだ!撮って撮って・・と何時までもせがんで来る。子供は写真に写るのが大好きなようだ・・


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キューバに咲く花 
旅をして目に付いた花々は撮ることにしている。国によって様々な花がある。初めて見る珍しい花もある。それが楽しみの一つでもある。キューバでも色々花の写真を撮った。キューバの国花はマリポーサ(蝶百合)であることも知った。ジンジャー、プルプラタなど呼び方が色々あるようだ。どの国でも国花を知ることは面白い。その花が国民の心を表現しているのだ。因みに花言葉は「豊かな心」とか・・日本人にとって桜は心の故郷であるのと同じ・・



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お気に入りショット 
町を歩いていると何気ないところに面白い場面が転がっていることがある。その土地の臭いを感じられるものや非日常的な面白いものを撮りたいと何時も思っているのだが、なかなか思うような写真が撮れない。一枚の写真はいくら優秀な100行の文章よりも数百倍の情報量を持っていると思っている。写真は素晴らしい!私のお気に入りのショットを並べた。BGMと一緒に聞いて貰うと少しは雰囲気が感じられるかも・・



その他のスナップ ( 写真右 )
数多くの写真を撮っていてもなかなか気に入ったものが少ない。此処ではちょっと変わった風景や珍しいものとかその土地の雰囲気を表している物などを選んでいる。一枚の写真にふと驚くものや心が癒されるようなものがあれば嬉しいのだが・・。今回はキューバの旅。キューバらしいものがあればいいのだが、目に付いた面白いものを紹介しよう・・


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お気に入りの絵葉書 ( 写真左 )
何処に旅しても、絵葉書を必ず買うことにしている。美しい絵葉書は友人に雰囲気だけでも・・・と出すことにしている。大体、絵葉書の値段と切手の値段でその国の物価水準が判断できるのである。高いところは我々観光客にとって日常品が高いということになる。単なる風景のものより、主張を感じる絵葉書が面白いと思っているのだが・・・。流石キューバは社会主義共和国だけあって何処でも値段が統一されているのが面白い。絵葉書1枚が0.75CUC(\99.75)、切手も同じ0.75CUC(\99.75)で思ったよりも高いいことに驚いた。



添乗員・星野 かほりさんと・・ 
旅に出ると何時も思うことがある。先ずはお天気!平生の行いがいい人とそうでない人の分かれ道・・雨女雨男の人は論外。何時も雨と云う人は心を入れ替えるかお祓いをした方がよい。次ぎに何と云っても旅が楽しく、元気で帰国できること。あまりにスムーズに行った旅は印象が薄いので、多少はハプニングがあった方がよい。しかし私が一番重要だと思うのはやはり添乗員と現地ガイドさんの資質と連携プレーである。これが楽しい旅をする決定的要素と思っている。今回も素敵なコンビで大満足!感謝! ・・


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My Photo ( 写真左 )
今回はツアー参加の旅であった。最近はホームページ用の写真をデジカメ一本で3,000枚以上も撮るので自分を撮る暇がないと言うのが本音である。ホームページ用の写真は欠かせない。被写体は風景や自然物などが多いが、最近はその土地の人物を撮ることに興味が湧いてきた。今回のキューバでも、写真を撮るのに夢中で、自分の写真は数枚しかなかった。



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