ようこそ!

ベトナムの旅 編

JTB旅物語 (2004.10.17〜10.24) [拡大] ベトナムへ行って来ました。ベトナムと言えば すぐ思い浮かぶのは、あの悲惨なベトナム戦争のシーン。 数々の映画やピュリッツア賞を受賞した戦火を逃げまどう母親と子供たち シーンだ。もうあれから3-40年が過ぎていると言うのに・・ 時は流れ、現在のベトナムはかっての敵国とも国交正常化を果たし 経済的にも大きく発展しつつあるのも皮肉なことだ。 過去は過去!現在を強く生きようとするベトナム人の姿が印象的であった! 世界遺産は5つ、日本人の口に合う美味しいベトナム料理・・。 よく働きカカア天下と言われているベトナム女性も、ノウラを被り アオザイを着て、黒髪をなびかせて歩く姿は、とても魅力的で心を揺する! しかしバイクが主要な交通手段で、市内を走り回る膨大な数には驚く! 喧噪と排気ガス汚染は想像以上に大きな問題を残している・・ 旅には新しい発見がある・・! 行って見ないとこの感動は得られないだろう・・やはり旅は楽しい! ハノイ・ハロン・フエ・ホイアン・ホーチミン
クリックすると拡大写真がみれるよ
クリックすると拡大写真がみれるよ
世界遺産・ハロン湾!
     「海の桂林」とも呼ばれる景勝地
     神秘的な奇岩、奇峰を眺めながら・・
     静かな湾内をクルーズする・・
世界遺産・古都フエ!
ベトナム最後の王朝!阮朝王宮! 
1993年ベトナム初の世界遺産登録・・
王宮門を入り大和殿へ・・ 

クリックすると拡大写真がみれるよ

物凄い数のバイク!バイク!バイク!
主要な交通手段!ホーチミンでは 
800万の人口に対し600万台のバイク・・
騒音と排気ガスは大きな問題!・・ 

クリックすると拡大写真がみれるよ
クリックすると拡大写真がみれるよ
クリックすると拡大写真がみれるよ
世界遺産・ミーソン遺跡・・[拡大]
アオザイ姿の女子高生・・[拡大]
ベトナム戦争の終結・・[拡大]



*ベトナムの旅・総括スライド 83枚/5分
時間のない方は20枚毎に
分割@ ハノイ周辺 編 * 分割A 世界遺産・ハロン湾周辺 編 *

分割B 世界遺産・フエ周辺 編 *分割C 世界遺産・ミーソン遺跡周辺 編 *

ベトナムの旅・お気に入りショット 24枚 


ベトナムの旅 総括:
ベトナムは成田から僅か5時間30分で着く。昼食を取って一眠りすれば着いている感じだ。日本では 朝夕寒い時季であるがハノイは30℃の外気温、10月としては涼しいとのこと。真夏では39℃、湿度80% と言うから聞いただけでも汗が出てくる。ハノイに降りて先ず驚いたのは、マスクをしている人が実に多いのだ。 中には目だけ出して顔を覆っている人さえいる。銀行強盗スタイルだ。おや!SARSは沈静化したはずなのに・・。 その理由はすぐに分かった。町中バイクの洪水!物凄い数のバイクが走っている!これには驚いた!バイクの排気 ガスや砂塵予防なのだ。ハノイの人口が約300万人でバイクの数は約100万台という。3人に1台の割合。しかし ホーチミンでは人口約800万人にバイクは600万台というからまだ凄い!現地ガイドの第一声が「バイクに気を付 けてください!前から横から後ろから・・信号無視して走って来ます!」。ノーヘルメット、3人乗り4人乗り までいる。聞けば50cc以下は免許不要だそうだ。中国は自転車王国!ベトナムはバイク王国!であった。交通事 故死も毎日30人平均と言うから年間10,000人以上の計算だ。危ない危ない!これが第一印象・・    ベトナム料理は実に美味しい!種類も沢山あるが、何れもクセがなく日本人の口にピッタリ合うのだ。特に 北部ベトナムの方が味が薄口で日本人には合うという。基本的には薄口なので自分の好みに調味料で調整する。 変な臭いや味がないので食べやすい。北部のハノイから南部のホーチミンまで縦断してベトナム料理を食べたが 同じ名前の料理でもその土地それぞれの味があって美味しかった。常食のポー(麺類)、揚げ春巻き、生春巻き、 海鮮、野菜サラダなど美味しく、ご飯も日本のものに似てやわらかくて粘りがあり、また豆腐の煮込みも美味しい。 勿論フランスの伝統を引き継いだパンも美味しい。ベトナム料理がこんなに日本人に合うとは、美味しいとは思っ ていなかっただけに嬉しかった。アジアの中でも屈指の美味しいベトナム料理 と思った。聞けば日本でも凄いブー ムになっているそうでファンが多いとか。これが意外な第二印象・・   ベトナム社会主義共和国。これが正式国名であるが、社会主義共和国とは名ばかりで実体は資本主義市場経済、 自由経済国である。1990年から始まったドイモイ政策(ドイ=変わるの意、モイ=新しくの意)が効を奏し、今では       中国を凌ぐアジア第一の経済成長率(8-12%、今年は7.3%)を達成していると言う。今まで中国が一番と思っていた       が(6.9%)それ以上の発展を続けていることに驚いた。日本が何時までも抜け出せない低迷振り(1.5%)を考えると  凄い国である。何処にそのような実態が有るのだろうか・・歩いて見る限りでは町中のバイクが右往左往している 数は凄く町全体の活気は感ずるが・・ベトナムの産業、特に輸出品は原油、衣料、履き物、水産品、米、木工品、 コーヒーなど。原油は輸出総額の20%を占める。お米はタイに次ぐ世界第2位、コーヒーはアジア最大の生産国、 胡椒は世界最大の輸出国となっている。これらが高い経済成長率を実現しているのだろう。ベトナムでの失業率 は6%と言うからこれは立派な数字だ。    ベトナム人の月収は、大卒初任給が\20,000、その内厚生年金、社会保険、健康保険などが約15%引かれて実質       的には\17,000程度。生活費はアパートの家賃が\7,000/月、ガス、水道代を含めると実際には\8,000-9,000。食費  は一日約$3、月に\8,000-9,000でありギリギリの生活と言うことになる。しかし殆どの人は残業を2-3hしてその収       入が\17,000程度。全収入は月\34,000。夫婦共稼ぎなら\68,000/月で半分は貯金できると言う。食料費が比較的安く             上げられるので助かっている。必需品のバイクは$500〜$1,500、大きいもので$5,000程度。日本製が圧倒的に多い。 ガソリンはリッター当たり\55で日本の半分以下で安いように思うが生活レベルで考えれば結構高く、最近3ヶ月 で約37%値上がりしたと嘆いていた。北部と南部で若干賃金格差があるが南部のホーチミンでの平均月収が\200,000 程度と言っていた。   ベトナム人が金が出来たら一番欲しいものは、@家、土地 Aバイク(ホンダ$1,500=1年分の給料相当) Bテ        レビC自動炊飯器 Dビデオデッキ だそうだ。自動炊飯器とは意外に思った。逆に必要としないものは、@風呂       (平均体温が日本人より1℃高い) A冷蔵庫(その日食べるものしか買わないので保存する必要がない。価格、電 気代が高い) B洗濯機(水圧が低くて使えない。価格、電気代が高い) C掃除機 などがあげられる。今ハノ イでは土地の価格が急騰中。人口が増え、観光客も急増中、限られた土地だけに需要が高い。因みに1u当たり \300万とか。高層マンションも急増中で2DKで\3,000万とか、庶民には高嶺の花。出生率は2.2%で日本よりは高く、 発展途上にあると言える。    ベトナムの教育制度について少し触れておこう。義務教育は日本と同じ9年だが、小、中学校6、3年に対し        5、4年になっている。高校、大学は日本と同じ。義務教育は96%の子供が受けており、識字率はアジアの中        ではスリランカと並び相当に高い教育国と言えよう(カンボジア/ラオス:60%、インド:38%)。高校への進学率              は70-80%、大学へは25%程度と低いが国立が主で学費は無料という。面白いのは農業国だけあって進学しない人        は政府から一人当たり330坪の土地を借りて、税金だけ払って農業を営んでいるそうだ。          ベトナムには老人ホームがない! ベトナムの宗教は80%が仏教であるが、北部は日本と同じ大乗仏教、南        部は小乗仏教である。同時に儒教の普及も熱心で現在でも常に先祖を敬うことなど人々の生活習慣や考え方の根        底に儒教的な影響が強く残っている。従って親の面倒を見るのは子供の努め・・と認識している。日本人はどう              だろうか・・同じ仏教国でも儒教的な考え方が遙かに薄いものになっているのは少し寂しい気がする。仏教はイン ドで生まれ各国各地を経て数百年後に日本に伝わって来たが、スリランカ、タイ、カンボジャ、南部ベトナムま では厳しい小乗仏教であり、北ベトナム、中国、日本へは大乗仏教に変わって来ている。善し悪しは別として仏 教も遠方に来るほど思想原点から離れ日本の仏教はかなりずれたものになっていることを感じる。東南アジアを 歩いてみると同じ仏教国と言っても中身がいろいろ違うことに気が付いた・・   ベトナム戦争について思うこと。ベトナムと言えば悲惨なイメージが強い!つい数年前のことのように生        々しく記憶が蘇るが、あれから3−40年の時が流れているのだ。それほど強烈に脳裡に焼き付いている。だが        この悲惨なイメージは現在のベトナムからは感じられないほど復興している。国の力、民族の力は凄い!事はベ              トナムの南北戦争でアメリカが南ベトナムに加担し、ソ連、中国が北ベトナムに加担し南北を分ける戦いに発展              した。アメリカは54.1万人、韓国、タイ、オーストラリアなど加えると60.4万人もの兵力が投入され、58,000人              もの死者を出し、結局アメリカが敗退しベトナム戦争は終結した。この戦争での傷跡は未だ各地に残っている。 多量に使用された枯れ葉剤攻撃や毒ガス弾は遺跡を壊し、多くの遺伝子損傷の奇形胎児を残した。その被災者達 は成長し養護施設で観光土産物などを作り生活しているが、結婚は出来ないという悲惨な傷を残している。 一方アメリカ軍が敗退し南北が分離されず統一されたことは、現在の朝鮮半島の南北問題を見れば、皮肉にも 戦後復興の大きな助けになったといえよう・・   世界遺産のハロン湾が美しい!ベトナムには世界遺産が5つ登録されている。自然遺産が2つに文化遺産が        3つ。自然遺産の一つがこのベトナム屈指の景勝地ハロン湾である。中国の「桂林」に対して海の桂林と言われ        ているように石灰岩層が長い間の風雨に浸食されて奇岩、奇峰が林立した、自然が創り出した美しい景観である。              どちらも遜色付けがたい美しさであるが、中国の桂林は璃江川を下りながら見る墨絵の世界。一方このハロン湾              は、広い湾内をクルーズしながら大小2,000もの島々の奇岩、奇峰を見て回るダイナミックな世界である。日本              の松島の感じがあるがスケールが全然違う。雄大な景色である。静かな湾内をゆったり、のんびりクルーズする のは心が癒される。世の中には美しい処が沢山あるものだ。   ベトナムは中国と同じ他民族国家だ! 一寸意外に思ったが53の少数民族がいる。これらはベトナム総        人口の約10%を占めており、中国の少数民族の比率と似たようなものだ。最も多い民族はキン族(ベト族ともいう        )で5,600万人が主体。少数民族の中ではタイ族、ターイ族、ムオン族など多く100万人規模である。少数民族で              あっても政府から認められてそれぞれの文化、風俗、習慣が尊重されて生活している。中国の雲南省やベトナム              北部の少数民族などを巡る旅は、また異なった中国、また異なったベトナムを発見できて面白そう!   ベトナムで意外に驚いたことに、アオザイ姿の女性がとても魅力的で美しく見えた! 不思議な感じであった。        そもそもこのアオザイなるものはかしこまった場で着る礼服。誰でも着ているものではないが、制服などに使われ        ているので見かけることは多い。女子高生は白色、ホテルや売店の従業員や航空会社の人、観光ガイドの人などな              ど。昔のアオザイは寸法に余裕をとりゆったりした感じであったが、1960年代にもっと魅力的に見せるために身体              にフィットさせるデザインを考え、それが今日のものになっている。従って美しく見せるために細かく最低でも              15ヶ所は採寸するという。比較的背が低く小柄で肩幅が狭い細身のベトナム人にはピッタリあった素晴らしいデ ザインである。下着がうっすら透けて見える程度の薄手の絹地で動く度に深く切れ込んだスリットから見える肌 やシルエットには色気が漂う。それと組み合わせでノウラという葉っぱの三角帽子を被った姿はぞくっとする ほど美しい!女子高生の白いアオザイの制服姿は清々しく可憐な美しさにハッとさせられた。   今回の旅もまた面白かった!いろいろ想像を越える環境の中での文化や大自然の雄大さに触れることが              でき、考えさせられたり刺激を受けることができた。やはり世界を歩き新しい文化を見て体験して感じることが              できる喜び・・・これが生きているという実感に繋がるのである。やはり旅は楽しい!


   
旅程&印象に残った・・・見どころスナップ


クリックすると拡大写真がみれるよ

旅程マップ・・[拡大] ( 写真左 )
成田→ハノイ泊→(水上人形劇観賞/ハノイ市内観光/バチャン村)ハロン泊→(ハロン湾クルーズ)夜行寝台列車泊→(古都フエ市内観光)フエ泊→(ホイアン市内観光)ホイアン泊→(ミーソン遺跡)ホーチミン泊→(メコン川クルーズ/ホーチミン市内観光)機中泊→成田。


ベトナムの「外務省の危険情報」


クリックすると詳細写真がみれるよ

ベトナム伝統芸能・水上人形劇 クリックするとスライド写真がみれるよ
ベトナムの伝統芸能である水上人形劇。壇上で奏でるベトナム音楽に合わせて、水上で人形が踊ったり、飛び跳ねたり、よくもあれだけ微妙な動きが出来るものと感心したり、驚いたり。すべて簾の仕切の奥で、7−8人の人が半身水に浸かって操っている。1時間も水の中に入っているので、夏はよいが冬の辛さは言い難いだろう。ベトナム伝統の17話が演じられ、此処でしか見ることが出来ない珍しいものであった。西洋人の観光客が多かった。



ハノイ市内観光 ( 写真右 )
ベトナムの首都。南部のホーチミンが商業、経済の中心なら、ここハノイは政治、文化の中心都市。人口約300万人で、1000年の歴史を持つ町は古く由緒あるお寺やフランス統治時代の建物が残っており、落ち着いた町である。特に旧市街地は保存指定地となっており独特な雰囲気を持っている。


クリックすると詳細写真がみれるよ


クリックするとスライド写真がみれるよ

文廟  ( 写真左 )クリックするとスライド写真がみれるよ
1070年に孔子を祭るために建てられた廟であるが、1076年にはベトナムで最初の大学が開設され、以来700年の間に沢山の学者や政治家を輩出した。中でも奎文閣は亀の上に載った82の石碑が並んでおり、官吏登用試験に合格した82人の名前が刻まれている。オレンジ色の瓦屋根の建物は美しい。ハノイの象徴の一つになっている。


クリックするとスライド写真がみれるよ

陶芸の里・バチャン村  ( 写真左 )
ハノイ市から南東に約15Kmの所にある陶磁器の村。もともとこの村は煉瓦造りが盛んで約600年の歴史がある。村には約100軒の工房があり9割の住民が従事しているという。日本との関わりも古く16世紀頃には日本に輸出され茶人達に愛用された。また当時日本人が注文したトンボをモチーフにした絵柄はベトナム人にも愛され、今でも多く生産されている。工房は広くはないが型込め、窯焼き、絵付けなど数名の女の子がやっていた。



世界遺産・ハロン湾( 写真右 )クリックするとスライド写真がみれるよ
世界遺産のハロン湾クルーズ。港には所狭しと数十艇の観光船が待機。船は5-60人は乗れそうなものであったが、我々だけの貸し切りで約3時間掛けての楽しいクルーズであった。途中の昼食には美味しい海鮮料理を腹一杯食べて満足であった。静かな湾内をゆっくり、のんびり美しい奇岩、奇峰の景色を眺めていると心が安らぐ。30秒のミニ映像が見られるよ!


クリックするとスライド写真がみれるよ


クリックすると詳細写真がみれるよ

寝台夜行列車 ( 写真左 )
ハノイからフエまで寝台夜行列車に乗った。ハノイーサイゴン間を30時間で走る南北縦貫線、いわゆる「統一鉄道」と言われている重要路線である。フエまでは夜7時発ー朝8時着の約13時間。狭軌のせいか振動、揺れ、騒音が酷く寝れたのもではない。1等個室と言っても2段ベットの4人部屋でカーテンの仕切もないものだった。普通車は3段ベットになっている。乗車すると車掌がトランプ大のプラスチックカードをくれる。記念品かと思ったが到着前に再検札で本券に換えてくれる。何でこんな面倒なことをするか分からない・・



世界遺産・古都フエ ( 写真右 )
世界遺産・古都フエ。ベトナム最後の王朝の都があった町である。フォン川のほとりに王宮、寺院、皇帝廟など風格ある建物が点在する。1993年にベトナム初の世界遺産に登録された。阮朝王宮やティエンムー寺、トウドック帝廟、カイディン帝廟などを見学した。


クリックすると詳細写真がみれるよ


クリックすると詳細写真がみれるよ

世界遺産・阮朝王宮 ( 写真左 )クリックするとスライド写真がみれるよ
阮朝王宮のフラッグタワーは何処からもよく見える。丁度王宮門の前に位置している高さ凡そ30mの塔が目印。正面の石門をくぐれば龍を彫刻した4本柱のアーチがあり、内堀には沢山の緋鯉が泳いでいる。目の前にはオレンジ瓦屋根の平屋の美しい大和殿が見える。屋根には色鮮やかな龍が舞っている。北京の紫禁城を真似て造られたというが規模は小さい。内部は皇帝の即位式が行われた金箔の椅子と台座が置かれている。此処もベトナム戦争で破壊され何度も修復されている。


クリックすると詳細写真がみれるよ

ハイヴァン峠 ( 写真左 )
ダナンとフエの間にある幹線の峠で海抜496m。かなりの急坂で交通量も多く、トラックなど喘ぎあえぎ登っている。峠の頂上にはベトナム戦争当時に使われた数個の要塞が不気味に残っている。天気がよい時には眼下に真っ青な海が見えると言うが残念ながら霞んで何も見えなかった。2002年から峠下にトンネル工事が始まっており、将来的には大幅に時間短縮出来るそうだ。



世界遺産・ホイアン( 写真右 )
チャンパ王国の時代に中国とインド、アラブを結ぶ中継貿易港として栄え、16-17世紀には阮朝の交易の中心地であった。アユタヤ、マニラと並んで日本からも朱印船でやって来た商人達が活躍し、日本人町も造られ最盛期には1000人以上の日本人が住んでいた。江戸幕府の取った鎖国政策以来日本人町も衰退し、今では来遠橋(日本橋)がその面影を残している。古い木造建築や往時の雰囲気を残している古い町並みは1999年に世界遺産に登録された。


クリックするとスライド写真がみれるよ



世界遺産・ミーソン遺跡( 写真右 )クリックするとスライド写真がみれるよ
ホイアンの南西約45Kmの所にあるミーソン遺跡。2世紀末から17世紀まで栄えたチャンパ王国の聖地で4世紀後半王がシヴァ神を祭るために多くのレンガ建造物が造られた。現在は8世紀から13世紀に掛けて造られた70を越える遺構が草木に埋もれて残っている。此処のレンガ建造物は一切の接着剤を使わずすり合わせて造られた所に大きな特徴がある。またシヴァ信仰の強かったチャンパでは祠堂の中に女性を象徴するヨニ、その上に男性を象徴するリンガが多く安置されているのが目に付く。此処もベトナム戦争で多くの遺跡が破壊されている。


クリックするとスライド写真がみれるよ


クリックすると詳細写真がみれるよ

郊外の家庭訪問 ( 写真左 )
ダナンからホーチミンへ向かう途中で沿道の一般家庭を訪問した。子供2人の4人家族でご主人は外の務め、奥さんは農業の傍ら内職?に春巻きの材料となるライスペーパーを造っている。納屋の一角に仕事場があり造っているところを見せて貰った。 このライスペーパーは見ていると簡単に造れそうだが薄く均一に円形に造ることがなかなか難しいようだ。米の粉を水で溶いて薄く延ばし釜の上で蒸して取り上げて台の上に並べ天日に10時間ばかり干して出来上がり・・



ベトナム戦争終結の統一会堂
南ベトナム政権時代の大統領官邸。1975年4月30日、解放軍の戦車がこの官邸の鉄策柵を突破して無血入城を果たし、ベトナム戦争は終結した。現在は統一会堂と呼ばれており、内部は一般に公開されている。1962年から4年間掛けて造られた大小100以上の内閣会議室や大統領執務室、大統領夫人の宴会室などと屋上にはヘリポート、地下には原爆でも大丈夫という6-70cm幅の鉄鋼で造られたシェルターがあり、作戦司令部となっていた。会堂前庭には記念すべき戦車2台が鎮座している。


クリックすると詳細写真がみれるよ



クリックすると詳細写真がみれるよ

メコン川クルーズ ( 写真左 )クリックするとスライド写真がみれるよ
ホーチミン市から南西に約2時間行けばメコンデルタの入り口ミトーに到着。小さな船に乗り換えてメコン川をクルーズしながら中州の島に上がり農家を訪れて自家製の焼酎や蜂蜜、取れたてのリュウガン、マンゴー、パパイヤなどをご馳走になる。その後島内を少し歩いて今度は島の女性の手漕ぎの小舟に乗ってマングローブの林の中を奥へ奥へと進む・・冷んやりした風が頬を撫でる違った静かな空間を進んでいる感じであった。



美しい花・果物いろいろ ( 写真右 ) クリックするとスライド写真がみれるよ
ベトナムの気候は高温、多雨で熱帯モンスーンに属しているので色の鮮やかな花やマンゴー、パパイヤ、バナナ、リュウガンなどが豊富である。花はプルメリアの白い花、ブーゲンビリアそれと日本名「砂漠のバラ」に似たピンクの底白の花をよく見かける。これはホーチミン廟では大きな鉢に植えられて並べられていたし、あちこちの廟でも見かける。何れも背丈1mくらい大きくなったものである。熱帯特有の背丈の高い、大きく成長した木が多い。


クリックするとスライド写真がみれるよ



クリックすると詳細写真がみれるよ

ベトナム市内風景 ( 写真左 )クリックするとスライド写真がみれるよ
市内風景と言っても目に付くのは、やはりバイクの洪水!女子供から老人までが走り回っている。ノーヘルメットで3人4人乗りで車の前をすり抜けて行く。特殊な技量がないと乗れたものではない。町中には天秤を担いだ行商?の姿をよく見るし、屋台と言うか路上に木箱を並べて食卓代わりの一膳屋?。ベトナム人は朝食は家で作らず外食が多いとか・・埃っぽく汚いが、中国やインドなどの汚さはほんとに湿った感じの汚さであるが、ここはそれとは印象が違う乾いた汚さだ。




旧市街地36通り町中風景 クリックするとスライド写真がみれるよ
旧市街地の通りは別世界だ!狭い間口のお店がずらり並んで歩道を半分以上占領して物を並べている。肉屋も新聞紙の上で裁いていたり、鳥屋も生きた物を締めていたり、野菜も路上に所狭しと並べていたり、電柱の根本で座って豆腐を売っていたり、宝くじ屋がいたり・・様々な人間模様を見ている感じで凄い!兎に角狭い路上に座り込んでいる人が多い。車道はバイクがけたたましく流れている・・


クリックするとスライド写真がみれるよ



美味しい! ベトナム料理 ( 写真右 )
総括でも触れたが、ベトナム料理が日本人の口に合い、とても美味しいのに驚いた!アジアでは一番美味しい料理ではないかと思う。変なクセガなく辛くも甘くもない全体に薄口で、好みによって調味料で加減する。種類も豊富で、ご飯も日本米に似た粘りがあり、ポウと言う麺も日本のうどんとラーメンの中間的なもので結構美味しい。今や日本でも大ブームになっているとか・・意外な発見であった。


クリックするとスライド写真がみれるよ


クリックするとスライド写真がみれるよ

ベンタイン市場  ( 写真左 )クリックするとスライド写真がみれるよ
生鮮食料品から衣料、雑貨まで何でもある。ホーチミン市最大の市場だ。物凄い人混みで1平方メートルに4人のスリがいると言うから周りがスリに囲まれているようなものだ。特に日本人には気安く日本語で話しかけて来て油断している間にすられるケースが多いそうだ。値段が安いので大丈夫かと疑うが日本の物価が高い、高すぎると言うことであって、いい物も沢山揃っている。勿論偽物も並べてあるのでご用心!アオザイなども品数多く安く買えるが、これなどは信用ある店で採寸して作らせても、遙かに安い買い物になる。



刺繍工房の訪問 ( 写真右 )クリックするとスライド写真がみれるよ
ベトナムではアオザイをはじめ絹の織物、刺繍製品が多い。此処では蚕を孵化させ飼育し、繭を採って絹糸を紡ぎ生地をを創る。その生地に刺繍を施しテーブルクロスや飾り絵などの制作過程が見学できる。出来た物を展示販売しているが製品が出来る過程を原材料を創るところから一貫して見ることが出来るのは参考になる。町中で蚕を飼っているとはちょっと驚いた。


クリックするとスライド写真がみれるよ


クリックするとスライド写真がみれるよ

アオザイを着た美しい娘  ( 写真左 )クリックするとスライド写真がみれるよ
アオザイ姿の女性がこんなに魅力的に感じたのは初めてであった。実に女性の美しさを上手く表現している、素晴らしいデザインである。チャイナドレスも美しいがそれ以上に美しい。採寸も15ヶ所から20ヶ所も念入りにすると言うからボディーラインがそのまま出てくる。これを薄い絹地で柔らかく覆っている。その布地は風に吹かれて艶めかしく揺れる・・深く切れ込んだスリットの下からうっすら肌が見える・・アオザイは女性を最も美しく見せる衣装だと感じた・・



私のお気に入りショット ( 写真右 )クリックするとスライド写真がみれるよ
数多くの写真を撮っていてもなかなか気に入ったものが少ない。下手な鉄砲数打てば当たる!ではないが・・まあセンスと実力がないので半分は諦めている。一枚の写真にふと心が癒されるようなものがあれば嬉しいのだが・・。


クリックするとスライド写真がみれるよ



その他のスナップ ( 写真右 )
町を歩いていると何気ないところに面白い場面が転がっていることがある。その土地の臭いを感じられるものや非日常的な面白いものを撮りたいと何時も思っているのだが、なかなか思うような写真が撮れない。まあセンスと実力がないので半分は諦めているのだが・・。一枚の写真はいくら優秀な100行の文章よりも数百倍の情報量を持っていると思っている。


クリックするとスライド写真がみれるよ



クリックすると詳細写真がみれるよ

お気に入りの絵葉書 ( 写真左 )
何処に旅しても、絵葉書を必ず買うことにしている。美しい絵葉書は友人に雰囲気だけでも・・・と出すことにしている。大体、絵葉書の値段と切手の値段でその国の物価水準が判断できるのである。高いところは我々観光客にとって日用品が高いということになる。単なる風景のものより、主張を感じる絵葉書が面白いと思っているのだが・・・。



クリックすると詳細写真がみれるよ

My Photo ( 写真左 )
今回は一人旅であった。以前はビデオとカメラの2本立てで頑張っていたが、両刀使いも年をとればフットワークも鈍ってくるので無理をせずデジカメ一本で頑張ることにした。と言ってもデジカメで2,000枚以上も撮るので暇がないと言うのが本音である。ホームページ用の写真は欠かせない。被写体は風景や自然物などが多く、人物を撮ることは少ない・・。せいぜい数枚の写真であるが貴重なものである。



最後までご覧頂きありがとうございました。如何でしたか・・? 皆様の声を参考に、よりよいページを作って行きたいと考えています。 このページに関するご意見・ご感想をお寄せ下さい。

掲示板へ感想の書き込みをどうぞ! E-Mailの方はこちらへ!


前回の訪問国 九寨溝、黄龍、四姑娘山の旅 へどうぞ!

画像旅行記 ★ 旅いつまでも・・ ★ リンクフリーです。バナーをどうぞ! Top ページへ