MUSIC♪♪・・・Halicha Lekesaria
イスラエルの音楽を聴きながら
その雰囲気を感じご覧下さい!

ようこそ!

イスラエルの旅 編

ユーラシア旅行社 II08(2007.03.24〜03.31) [拡大] ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共存する国 聖地・イスラエル!へ行ってきました。 イスタンブール経由でイスラエルのテルアビブまで 約15Hr'! 時差-6Hr イエス・キリストの生誕、そして磔刑の死! その後の再臨! 旧・新約聖書の世界を見るようで各地にその聖跡が残る・・ 世界中から多くの信者が訪れてくる! 日本の四国よりやや大きい面積に人口約 650万人。 大部分が(79%)ユダヤ教徒、その他イスラム教徒 16%、キリスト教徒 3% 無宗教の多い日本人でも・・・一度は訪れてみたい国! 内戦、治安の心配も杞憂であったことを喜ぶ やはり行ってみないと分からない・・聖地・イスラエル。 今回もまた新しい発見、新しい感動があった。・・! やはり旅は楽しい! Jerusalem・Tiberias・Ein Bokek・Tel Aviv
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黄金の屋根「岩のドーム」
     エルサレムの象徴!と云われ
     神殿の丘に建つ・・美しい青タイルのイスラム建築
     ユダヤ教徒、イスラム教徒の心の支え・・
嘆きの壁!
ユダヤ民族の心の故郷 
神殿の再建とメシアの再臨を願い続ける・・
壁の石の隙間には悲願を記した紙切れが・・ 

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受難のイエス!
マリアが受胎告知を受け・・イエス生誕 
ヨハネより洗礼を受け、宣教、数々の奇跡を
生み・・最後は十字架を背負って「悲しみの道」・・! 

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カイザリア・・
地中海の面した美しい遺跡![拡大]
今は黄色い花の最盛期!
この美しい風景![拡大]
世界遺産・マサダ!
ユダヤ人最後の砦・・[拡大]



*イスラエルの旅・総括スライド 144枚/5分
時間のない方は40枚毎に
分割@ オリーブ山、万国民教会・他 編 * 分割A 嘆きの壁、岩のドーム・他 編 *

分割B ヴィア・ドロローサ、カイザリア・他 編 *分割C 受胎告知教会、マサダ要塞・他 編 *




イスラエルの旅 総括:
イスラエルへ行ってきました。ついにと言うか、とうとうと言うか・・。前から一度は行ってみたい国の一つ であった。別にクリスチャンでも宗教に興味を持っているわけでも神の存在を信じているわけでもない。普通の日本 人に多い無神論者である。しかしユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教が共存する国、聖地!、と言う意味 で興味があった。また今までイスラム圏には特に興味を持って歩いてきた。しかし入国が実現しなかったのは、イス ラエルが特異な政情国であり、一旦この国に足を入れると周囲のシリア、レバノン、リビア、イエメン、オマーン、 スーダン、イラン、パキスタンなど対立国のアラブの諸国に入国拒否される現実があるからで、イスラエルに入国し パスポートのスタンプが証拠となるのである。もう一つはパレスチナとの内戦による政情不安による危険性である。 この二つの理由は幾ら旅好きだといっても簡単には動けない。しかしここに来てやっと実現できたのは、パレスチナ との一時的な停戦、パスポートへのスタンプが「NO STAMP PLEASE!」の一言で回避出来ることが分かったからであ る。後者は兎も角、前者についてはこれから先和平が続く保障はない!のである。民族紛争、宗教対立は我々が想像 する以上に根が深く、人間の愚かさを過去の歴史が何度も証明しており、何時再発するか分からないのである。こう 考えると今が旅どきのチャンスと判断した・・    周辺のアラブ諸国がイスラエル渡航者を入国拒否しているが、一方のイスラエルはこれらアラブ諸国渡航者 を完全に拒否していないところが面白い。これがよく言えばイスラエルが懐の広い国と云うか三大宗教の聖地たる所 以かも知れない。逆に前者のアラブ諸国は、政治とは関係ない観光客まで入国拒否する理由が理解できず単なる感情 的な行動としか思えないのである。観光客が自由に行き来できることは観光事業による収益も大きくなり両国にとっ てプラスにこそなれマイナスになることはないと思うのだが・・   イスラエルの入出国審査は世界一厳しい!と言われている。前記入国拒否はなくても審査に掛かる時間は 半端ではない。特に対立国に渡航のスタンプがある人は別室に送られ見通しの計れない長時間の質問が待っていると       言われる。私など対立国のスタンプが沢山押してあり別室は当然と覚悟していたが、意外にも2−3の質問だけで数       分で通過できた。勿論「NO STAMP PLEASE!」で回避できた。質問は、訪問の目的は?何日滞在するか?くらいで他  の一般国の審査と何ら変わらなかった。しかし同行の添乗員と他の若手女性の3名が別室送りとなったが待つこと3 0’くらいで出られたのは奇跡的だったかも知れない。勿論荷物検査もフリーパスであった。こんなラッキーなこと もあるようだ。審査官は全て女性官吏であったが人にもよるのかも知れない。イスラエルよりも中継地のイスタンブ ールでの検査の方が遥かに厳しかった。乗り継ぎでありながら個別にパスポートのコピーを撮られ、航空券まで預か  られ、搭乗前に別室(送迎バス内)で荷物の開放検査がありやっと搭乗できた。この洗礼のお陰(?)でイスラエル入 国が恐怖の心境であったが、結果的には最善の通過となったのは皮肉なこと・・   通常国では出国は簡単な国が多いが、逆にイスラエル出国は厳しかった。先ず空港に入ったところで整列       させられ、審査官による一人ひとりの質問、長い人で4-50分!何処のホテルに泊まったか?土産物は何処で買っ       たか?荷物の支度は誰がしたか?人から預かったものはないか?・・等々。果ては両親の名前は?家の電話番号は?       まで聞かれやっとシールを貼られてX線検査、更に別室で荷物開放検査、ここでまた質問、買ったもの、貰ったもの を見せろ!それを通過して航空会社のチェックイン、手荷物、身辺検査、出国審査・・「NO STAMP PLEASE!」で やっと搭乗となる。通常の国では国際線手続きは出発の2時間前だがイスラエルは出発3時間前でも危ういくらいで ある。ここまで厳重にされるのは安全確保の意味では有難いことだが効率化の改善はありそう。イスラエルに限らず 世界の治安を考えれば今後更に厳しくなっても簡便になることはあるまい・・2007年3月より日本発国際線で液体物  の機内持ち込みが厳しくなったのも一つ。    イスラエルと聞いて危険な国だと思う日本人はまだ多い!周囲の人も旅行することに眉をひそめるが、        今回の旅ではそれは全く杞憂であったことを喜んでいる。しかし要所要所の警備は厳しく警察官と兵士が自動小銃を        片手に町中を巡回したり、見張っている場面は彼方此方で見られた。それらによって多くの観光客や国民市民の安全         が守られていると言えよう。これはやはり異常な国であることには間違いない。また観光ルートもパレスチナ周辺や 危険地域を避けていることも事実であり当然である。イスラエルのガイドさんは帰国したら是非周りの人に危険では              ないので観光に訪れて欲しいと伝えて欲しいし、またの訪問を願っています・・と心から話していたことが印象的で          あった。それだけイスラエルには見るべきものが沢山あり、宗教に無関係の人でも感じるものは多々あり、ましてや           信仰の厚い人には必見の国であることには異論はない。それだけ価値の高い旅ができると云えよう。        イスラエルの面積は日本の四国よりやや大きいくらいであるが、人口は約 690万人程度。その内ユダヤ        教徒が約77%、イスラム教徒が約16%、キリスト教徒が約2%の比率であり、圧倒的にユダヤ教徒の国である。キリスト        教徒が意外に少ないと思うがイエス・キリストの聖蹟は数多く残っている。と言うことは世界中に広がっている約22億        人と云われる多くのキリスト教徒(日本国内のキリスト教徒約200万人)がこの国を訪れていると云えよう。三宗教が共存           出来るのはお互いの共通点があるためでユダヤ教からキリスト教が生まれ、キリスト教からイスラム教が生まれた経緯           や最高神エホバや旧約聖書を共有するユダヤ教とキリスト教、新約聖書を聖典とするキリスト教とイスラム教など共通 点は多い。またイスラム教の最高神はアラーと言われているが、アラーとエホバは同一の神とする説もあるくらいであ る。三宗教とも唯一神による天地創造の神話やこの世の終わりには死者も蘇り最後の審判を受けるという終末観も殆ど 同じものである。やはりイスラエルは三宗教にとって聖地であると云えよう。   話題を変えて面白い風習について、イスラエルはイスラム圏と云っても禁酒地域ではない。普通にビール        やお酒・アルコールが飲める国である。ところが3/29の朝ホテルのレストランで何時ものパンが見当たらない!小麦粉        で作った煎餅のような物が代品だという。こんなことも珍しいと思っていたが、夕食時にビールを頼んだらビールがな           い!という。パンもなければビールもない!いよいよおかしい!ホテルが破綻したのか・・!よく聞くと復活祭を前に            パンとビールは市場から消えたと言う。キリストの苦難を享受する・・とか、こんな風習があるのもイスラエルならで        はのことかも知れない。今年の復活祭は4/8と云うからこの前一週間はビールも飲めないことになるのである。旅の最中        では困るが一日だけの精進ですんで良かった・・         イスラエル人の成人式はヴァル・ミツヴァ=戒律の息子(女はバット・ミツヴァ)といわれ、男子13歳、        女子12歳である。13歳で大人の仲間入りである。成人の儀式は「嘆きの壁」で行われることが多く、13歳(12歳)        になった誕生日週の月曜日か木曜日に行われる。この成人式ではヘブライ語で書かれた旧約聖書の中のトーラ(律法)の        部分を皆の前で朗読できなければならない。家族や親族から祝福を受けると同時に大人としての自覚と責任が要求され           るのである。ユダヤ人社会では5歳から宗教の勉強を始め、10歳でユダヤの伝統を学び、13歳で神の律法を知り、           実践訓練を受けるのである。日本の20歳と比べると随分早い!成人の意識もなくただ式を上げ成人になった気分だけ で、精神的貧困さを丸出しして馬鹿騒ぎをしている日本人に比べその中身は随分差があるように思った。聞けばイスラ エルでは若年層の非行、犯罪が非常に低いという。高校を出ると男は3年、女は2年兵役に付くことが義務であり、こ の間に更に人間的成長を遂げる・・この国が若者を必要としおり、それをみんな知り自覚しているという。素晴らしい ことだ。日本の教育再生も議論より実践!精神的な甘えの構造を打破しないと世界的に取り残されていくように思う・・    もう一つ、イスラエルではユダヤ教の食事規定「コシェル」がある。我々日本人には豚も牛もミルクも ごちゃ混ぜで食べている国民には馴染まない作法であるが郷に入ったら郷に従わなければならない。そのコシェルとは、 食べられる獣肉:ヒズメが分かれており、反芻するもの。ex牛、羊、鹿など。食べられない獣肉:豚、ウサギ、ラクダ など。食べられる鳥:鶏、七面鳥など。食べられない鳥:ダチョウ、ふくろう、コウモリ、ペリカンなど。食べられる 魚:ヒレとウロコを持つもの。食べられない魚:ドジョウ、アナゴ、うなぎなど。その他食べられないもの:イカ、タ       コ、ナマコ、貝、えびなど。食べられる肉でも屠殺の方法が規定にのった物だけ。その他肉と乳は同時に取らない。食       後のコーヒーにはミルクを入れない。食器も区別し、お肉が触れたらチーズや乳製品は載せない。更に乳製品を摂った ら30分しないと肉類はだめ、またお肉を食べたら6時間経たないと乳製品は食べない。食後にアイスクリームは出ない。 ビュッフェにはハムやソーセージは出ない・・等々細かい規定である。レストランのビュッフェなど何時もの国より 品数が少ないし偏っている。こちらも覚悟して旅することになる・・ 見逃してはならないヤド・バジェム!エルサレムの西、ヘルツエルの丘近くに位置する博物館で、2005/3 従来の4倍の広さを持って新資料博物館が完成。第2次世界大戦中、ナチスドイツによって虐殺された約600万人も のユダヤ人を慰霊するために建てられた。ヤド・バジェムはヘブライ語で「記憶と名前」という意味。慰霊堂と資料館 があり収容所で描かれた絵や写真、故人のファイルなどが収められている。沢山の資料と生き残った人の証言ビデオを 沢山使い生々しく演出されている。見て行くうちに息も詰まるような悲惨な気持ちになる。故人の素顔の写真が、空に 開けていく円錐状の壁面に沢山貼り付けてある場面は涙が出そうになった。最後に展示場を出たところが美しい谷が広 がり希望の明かりが見えてホッとした。理由は兎も角このようなことがこの地球上で二度とあってはならないと強く思 った。広島の原爆資料館の展示方法もこのヤド・バジェムを参考にされると見応えがある物が出来ると痛感した・・    最後に何時もの、イスラエルの生活状況に触れておこう。教育制度は大体日本と同じだが、小学校就学 年齢が6歳であり1年早い。幼稚園:5歳、小学6歳から12歳まで、中学13歳まで、高校18歳までで義務教育。 教育費は教科書代と暖房費を支払う。4年生から英語教育、中学でアラビア語も習うが会話ではなく、読み書きできる  もの。選択言語はフランス語、ドイツ語、スペイン語。イスラエル人は世界各国から帰還している人が多いので、世界 の言語を話す人が多く、この面での能力は高い。学校給食制度はないが10時頃に食事時間がある。朝食兼昼食弁当を       持参する。子供たちはボランティアでキブツ(イスラエルの農業共同体)などでよく働く。高校を出ると兵役に付く。       男3年、女2年。その後兵役から帰って直ぐには大学に進まず、予備校に行ったり、旅行をしたりその間に進路を考え       る。大学の費用は1年間3,000$、私立は約3倍の9,000$。日本よりはかなり安い。教育は進んでおり識字率は100%であ       るがアラブ人の女性の中には自分の名前を書けない人もおりサインが必要な時には母印などで代用している。   平均月収は、観光ガイドで8,000シェケル(約2,000$)。普通の人で2,000$以下、移民している人では10 万円以下である。学校の先生が1,100$(12-13万円)で教育熱心と云われていても先生の給料は低い。所得税はMax50%、       子供の有無、年収にもよるが、平均12-13万円の人で25%-30%の所得税が引かれるので生活はかなり苦しい。殆どがロ       ーンを抱えて自転車操業である。健康保険は国の制度としてはない。民間の大きな保険会社が3社あり各自が加入し  ている。この場合国から補助が出る仕組み。ファミリードクターの基本的医療費は保険により無料、薬は処方箋で割 引になる。専門医に見てもらう場合は\1,000くらい支払う。平均寿命は男73歳、女77歳で日本よりは低い。国は福祉 国家を目指しているが、現実は殆どが共働き、但し子供がいればかなりの税金控除がある。失業率はイスラエル5%、 アラブ人8−9%。失業保険はあるが非常に低く生活できる額ではないという。   イスラエルは輸入関税が高く、従って輸入品が高い。中でも自動車など日本で200万円のものが400       万円もするのである。それでも走っている車は殆どが輸入車であり日本車ではマツダ車が圧倒的に多く走っていた。       車が多く交通渋滞も酷く場所を構わず駐車した車が多い。輸入電化製品も高く、電気掃除機など最近アメリカ製品の安       いものが入ってきてやっと使われるようになってきたそうだ。お湯はソーラパネルを利用したものが多く屋根の上に貯 水タンクを並べた家が目立つ。当然雨の日はお湯が使えない。またユダヤ人の住家は屋根瓦がオレンジ色で貯水タンク の色は白色、アラブ人の屋根は水平で工事途中のものが多く、貯水タンクの色は黒色と外観からも住人を判別できると いうのも面白い。    もう一つ三宗教が共存している特徴として宗教法廷が3つに分かれており、結婚や離婚などそれぞれの        宗派で行われる。ユダヤ人同士の結婚なら問題ないが宗派が違う場合は国内では挙式できないので他国で結婚し、その        証明書を提出して許可を待つことになる。結婚式は誓いだけの簡単なもので、食事と踊りが中心となる。ユダヤ人の場         合は夜22-24:00に行われることが多い。イスラム教徒の場合派手で結婚パーティは3日間続くという。またユダヤ人と は母親がユダヤ人の場合のみその子がユダヤ人と云われ、母親の系列で構成される。従って父親の属性は関係なく、母              親が異宗教の場合には親族から改宗を迫られることが多いという。          今回の旅もまた面白かった!いろいろ想像を越える環境の中での文化や大自然の雄大さに触れることが           でき、考えさせられたり刺激を受けることができた。やはり世界を歩き新しい文化を見て体験して感じることができる           喜び・・・これが生きているという実感に繋がるのである。やはり旅は楽しい!

   

・・・・ 旅程の概要・・・・・


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旅程マップ・・ ( 写真左 )
羽田〜関空〜イスタンブール経由→テルアビブ経由エルサレム蓮泊(エルサレム観光/オリーブ山/ゲッセマネの庭園/万国民の教会/考古学公園/嘆きの壁/ヴィア・ドロローサ/聖墳墓教会/死海写本館/ヤド・バジェム)→ガリラヤ湖畔泊(カイザリア/受胎告知教会/聖ヨゼフ教会/婚礼教会)→エンポケック連泊(山上の垂訓教会/ガリラヤ湖クルーズ/奇跡の教会/クムラン/マサダ/死海浮遊体験)→イスタンブール経由→機中泊→関空〜羽田。

外務省発行
*イスラエルの危険情報


旅程・絵日誌・・・・・・ユーラシア旅行社添乗員 峯島 沙和子 さん記・・・・・


羽田〜関空〜イスタンブール経由〜テルアビブ
テルアビブ〜エルサレム
エルサレム〜ガリラヤ湖畔
ガリラヤ湖畔〜エンポケック
エンポケック〜テルアビブ〜イスタンブール経由〜関空
第1・2日目
第3日目
第4日目
第5日目
第6・7・8日目


・・・・ 印象に残った・・・見どころスナップ・・・・・


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受胎告知のナザレ 
ナザレはイエス・キリストが青年時代を過ごした町である。聖母マリアがイエスの誕生を大天使ガヴリエルから告げられ、イエスが伝道活動を始めるまでの約30年間を過ごした地である。それまで知られていなかったナザレも新約聖書に登場してから世界中のキリスト教徒がこのナザレを訪れるようになった。そういう訳でナザレにはイエスとその家族ゆかりの教会が多い。



奇跡の舞台・ガリラヤ湖畔 
北はゴラン高原を挟んでレバノン国境、シリア国境と接しているガリラヤ湖は東西12Km、南北21Kmで、ヨルダン渓谷が陥没して出来た淡水湖である。日本の霞ヶ浦よりやや小さい。イスラエルで使っている飲料水の1/3はこの水源を利用している。このガリラヤ湖畔はイエスが数々の奇跡を行った場所として知られている。暴風を鎮めたり、湖上を歩いたり・・弱わき者や貧しき者を助けた奇跡の舞台である。


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エルサレム・受難の予感 
ガリラヤ湖畔を中心に教宣活動をして来たイエスはやがてエルサレムに出て行くことを考えていたが、すでにこれからわが身に起こるであろう受難を予言していたという。エルサレムでイエスは昼は神殿で説法をし、夜はオリーブ山で過ごした。イエスの奇跡に預かろう、イエスの言葉を聴こうと日々群集は神殿に集まっていった。その頃から律法学者たちはイエスを殺そうと企んでいた。その時12弟子の一人、ユダに裏切られて・・



ヴィア・ドロローサ「悲しみの道」
最後の晩餐を終え、ゲッセマネの庭園でこの後に起こる事を予感し、血の様な汗を流し、父なる神に祈り続け、やがてユダの裏切りにより兵士に捕まり、鶏鳴教会の地下牢で最後の一夜を明かし、翌朝裁判に掛けられ死刑の判決を受ける。鞭で打たれ重い十字架を背負わされて悲しみの道を躓きながらゴルゴタの丘まで歩いて行き磔刑になって息を引き取る・・この間の出来事を14のステージで説明されている。これがヴィア・ドロローサ「悲しみの道」である。今でも毎週金曜日は修道士が十字架を担ぎながら行進する・・


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悲しみの丘・聖墳墓教会 
「悲しみの道」の第10 ステージからは全てこの聖墳墓教会の中にある。衣を脱がされ、十字架に磔刑にされ、十字架で息を引き取り、降ろされて、身繕いをし、墓に葬られる・・。この最後の場面は沢山の信者や観光客で身動きできないくらいで、並んで順番を待ってお祈りしたりするのである。涙を流して真剣にお祈りをしている人たちの中で、我々クリスチャンでもない、神をも信じない人間にとって甚だ場違いな感じがして身の置き場がなかった。とても神聖な場所であった・・



嘆きの壁・ユダヤ人の心の故郷
ユダヤ民族の心の故郷 嘆きの壁!かってユダヤ教の神殿が建っていた所。ヘロデ王が改修した神殿がローマ軍によって崩壊させられたのが70年、その時に一部残ったのがこの西側の外壁。多くのユダヤ人が集まり、神殿の再建とメシアの来臨を祈り続ける。壁の石の隙間には人々の悲願を記した紙切れが詰まっている。1948年からヨルダンの管理下になり、ユダヤ人は近づくことも出来なかったが1967年からは自由にお祈りできるようになった。21mの嘆きの壁 ここには長い歴史が刻まれている・・男女は仕切りで区別されている。嘆きの壁から岩のドームへの連絡通路付近では 今でも遺跡の発掘作業が続いている・・


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黄金の屋根・岩のドーム 
神殿の丘に建つ岩のドーム!今やエルサレムのシンボルだ。イスラム教徒は、預言者ムハンマドが天使を従え天馬に乗って昇天した聖岩がある場所といい、キリスト教徒は、アブラハムが息子イサクを神の生け贄に捧げようとした所という。岩の下の洞窟はアブラハム、ダビテ、ソロモン、ムハンマドなどの聖人が祈りを捧げた所と云われている。礼拝堂は691年に建てられ、1522年にペルシャで焼かれたブルーのタイルが加えられ、1964年にドームが金メッキのアルミ板になった。因みにヨルダンのフセイン国王が純金80Kgを贈ったそうだ。黄金のドーム、ブルーのタイルで飾られた独特の八面体は実に美しい!



世界遺産・旧市街地風景
旧市街地の中は凡そ5つの地区に区分されており、神殿の丘、イスラム教徒地区、ユダヤ人地区、キリスト教徒地区、アルメニア人地区になっている。この城壁に囲まれた旧市街地は8つの門、ダマスコ門、ヘロデ門、聖ステパノ門、黄金門、糞門、シオン門、ヤッフォ門、新門によって外部と通じている。但し黄金門は唯一開かずの門で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教ともに救世主がここからエルサレムに入ってくると信じている。最も重要な宗教的意味をもつ門である。これがエルサレム旧市街地である。


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オフェル考古学公園 
神殿の丘の南側に位置する公園。公園と云っても神殿跡である。ヘロデ王がBC37〜4に造った神殿であるがAD70年に焼き払われ南の壁の一部が残っている。壁には橋の取り付け部の一部が残っているが、橋の下はかってユダヤ人の商店が並んでいた。また身体を清めるための泉や水槽なども残っている。3000年前のモザイクも見つかっており、発掘は今も続いている・・



死海写本館の風景
独特な形状の屋根を持つが、これは死海写本の入っていた壷の蓋をイメージしたもの。この写本館は写真の撮影は一切禁止であるので内部の紹介は出来ないが、洞窟を思わせるように照明を落している。写本は今日発見されている聖典の中でも世界最古のヘブライ語聖典である。この他イザヤ書や詩篇など600を超える巻物がほほ完全な姿で見つかった。内部中央の円形展示ケースには写本がぐるりと読めるようになっている。室内の温度管理のためか外の屋根には常時噴水が流れている。また館外には第2神殿時代の精巧な1/50模型が見られて楽しめる。


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クムラン・死海写本発見の地 
死海写本が見つかったクムラン!1947年、羊飼いの少年が偶然素焼きの壷7本見つけた。壷の中には巻物に書かれた旧約聖書や外典文書、ユダヤ経典などが出てきて、これがイエスが生きていた時代とほぼ同じだった為世紀の大発見!といわれた。このクムランには紀元前8世紀ころから人が住み始めており、紀元前2世紀の終わりにはクムラン教団というユダヤ教の伝統や習慣を重んじた修道的生活をしていたという。ここで発見された写本は死海写本館に展示されている。一方ヨルダン考古学博物館にも同様に死海写本の壷と本が展示されているが出所は同じであろう・・



世界遺産・マサダの要塞
ユダヤ民族結束の象徴といわれるマサダ!死海の西側に聳え立つ要塞。死海から450mの高さ、南北600m、東西300mの山頂。紀元後70年、ローマ軍によりエルサレムが陥落するが、ユダヤ急進派の人たちはこのマサダを最後の砦として戦った。ローマ軍は砦を取り巻き戦いは3年にもわたる。最後に15万人のローマ軍が侵攻した時には約1,000名のユダヤ人が自決していた。生きて辱められるより民族の誇りを持ち死の道を選んだ。国を作る精神的な柱となっており、今でも軍の入隊宣誓式はここで行われる。


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カイザレヤの遺跡風景 
カイザリアはテルアビブの北約40Kmにある地中海に面した美しい遺跡である。ここにはヘロデ王がアテネに匹敵する程の大きな港と城塞都市を造った。当時の半円形劇場や宮殿、競馬場の跡や近くには山から水をひいた導水橋なども残っている。直径170mの半円形劇場は地中海に面し音響効果も考えられており、今でも使われているそうだ。元々この地には紀元前2世紀にフェニキア人の港町があったという。またこの場所はエルサレムがローマ軍に占拠されていた時に一時的に首都であったとか。美しい地中海が見渡せるところである。



死海のエン・ポケック 
死海は海面下約400mの地にある塩水湖で長さ78Km、幅18Kmと細長く隣国ヨルダンとの国境に位置する。塩分濃度は約32%と高く魚などが棲めないところから「死海」と云われている。ヨルダン川から流入する水は強烈な太陽熱で蒸発し、水中の塩分だけが濃縮されてきたものである。どんな金槌人間でも浮遊するから面白い!またこの死海の水は豊富なミネラルを沢山含んでいるので健康や美容によいと大人気で、治療やエステに訪れる人も多いという。最近は死海の水位も下がり南側では湖底が浮き出てきており2分されている・・  


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ヤド・バジェム博物館 
エルサレムの西ヘルツエルの丘近くにあるホロコースト(虐殺)博物館。第2次世界大戦中ナチスドイツに虐殺された約600万人のユダヤ人を慰霊するために、従来あった建物を4倍規模に拡充して建てられた。ヤド・バシェムとはヘブライ語で「記憶と名前」という意味だそうだ。慰霊堂と資料館があり、収容所で描かれた絵や写真、故人のファイルなどが収められている。生き証人のビデオなどを沢山使い臨場感溢れる展示になっている。建物の周囲にはユダヤ人救済に尽力した人の名前を付けた木が植えられ、日本人では当然杉原千畝さんの木も植えられている・・



新しい都市・テルアビブの風景!
テルアビブは20世紀に生まれた新しい都市である。首都はエルサレムと言うことになっているが、各国の大使館や大学、主要企業などがあり政治、経済、文化の中心都市になっている。外国からイスラエルへの入出国は殆どがテルアビブのベン・グリオン国際空港を使う。今では40万人を超える大都市になっているが、20世紀の初頭には荒廃した砂丘に過ぎなかったと言う・・。テルアビブとはヘブライ語で「春の丘」の意味である。ここテルアビブには見るべき歴史的なものはない・・


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中継地・トルコのイスタンブール風景
今回のイスラエルは関空発着のトルコ航空を利用した。中継地は当然イスタンブールである。行きは乗り継ぎでのセキュリティで時間をとられ、外に出ることは出来なかったが、帰りは充分時間もあり、市内の旧市街地などを散歩した。相変わらずイスラム圏のスークには独特の雰囲気があり見て歩くだけで楽しい。このイスタンブールでは店員さんの日本語が上手なことに驚いたが如何に日本人の観光客が多いことか分かる。


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イスラエルの人たち 
風俗習慣人の表情・・何時も関心を持って旅をしている。国が違えば価値観も変わってくる。良し悪しは別として価値観の違いを知ることはとても面白い。また人の表情にはその人が歩んできた長い長い歴史が感じられる。そのような表情を撮りたいのだが、中々正面で写真を撮ることは少ない。撮らしてくれる人もあれば嫌がる人もある。人それぞれ・・イスラエルでは座り込んで瞑想に耽っているような人が目に付いた。



可愛い子供たちの素顔!
大人と違って子供たちは純真無垢である。表情が多種多様・・。精一杯の顔をしている。特に目が生き生きと輝いており、目で訴えているのだ。話が分かるわけでないから彼らも良く知っている。笑顔笑顔・・精一杯の笑顔!笑顔には警戒心がない!人と人、心と心の触れ合いである。そんな子供の写真を撮るのが好きだ!撮った写真をその場で見せてやると大喜びだ!撮って撮って・・と何時までもせがんで来る。子供は写真に写るのが大好きなようだ・・


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美しい日の出のシーン!
日の出のシーンや夕日のシーンは美しい!しかし撮るのがなかなか難しい・・。動きが非常に早いのだ!思った以上に明るさの変化や情景が変わってくる。もたもたしているとタイミングを失することがある。今回の旅でも数回チャンスがあったが中々思うような写真が撮れなかった・・。ガリラヤ湖に映る日の出と死海に映る日の出のシーンを数枚見てみよう・・


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イスラエルに咲く花々 
旅をして目に付いた花々は撮ることにしている。国によって様々な花がある。初めて見る珍しい花もある。それが楽しみの一つでもある。イスラエルでも色々花の写真を撮った。この時期はモミザとかシュンギクとか黄色い花が咲き乱れていた。オリーブが国花であることも知った。どの国でも国花を知ることは面白い。その花が国民の心を表現しているのだ。日本人にとって桜は心の故郷であるのと同じ・・



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お気に入りショット 
町を歩いていると何気ないところに面白い場面が転がっていることがある。その土地の臭いを感じられるものや非日常的な面白いものを撮りたいと何時も思っているのだが、なかなか思うような写真が撮れない。一枚の写真はいくら優秀な100行の文章よりも数百倍の情報量を持っていると思っている。写真は素晴らしい!私のお気に入りのショットを選んだ。BGMと一緒に聞いて貰うと少しは雰囲気が感じられるかも・・



その他のスナップ ( 写真右 )
数多くの写真を撮っていてもなかなか気に入ったものが少ない。此処ではちょっと変わった風景や珍しいものとかその土地の雰囲気を表している物などを選んでいる。一枚の写真にふと驚くものや心が癒されるようなものがあれば嬉しいのだが・・。今回はイスラエルの旅。イスラエルらしいものがあればいいのだが、目に付いた面白いものを紹介しよう・・


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お気に入りの絵葉書( 写真左 )
何処に旅しても、絵葉書を必ず買うことにしている。美しい絵葉書は友人に雰囲気だけでも・・・と出すことにしている。大体、絵葉書の値段と切手の値段でその国の物価水準が判断できるのである。高いところは我々観光客にとって日常品が高いということになる。単なる風景のものより、主張を感じる絵葉書が面白いと思っているのだが・・・。イスラエルでは絵葉書1枚が0.5シェケル(\15)、切手は1枚03$(\36)で非常に安いことに驚いた。



添乗員の峯島 沙和子さんと・・ 
旅に出ると何時も思うことがある。先ずはお天気!平生の行いがいい人とそうでない人の分かれ道・・雨女雨男の人は論外。何時も雨と云う人は心を入れ替えるかお祓いをした方がよい。次ぎに何と云っても旅が楽しく、元気で帰国できること。あまりにスムーズに行った旅は印象が薄いので、多少はハプニングがあった方がよい。しかし私が一番重要だと思うのはやはり添乗員と現地ガイドさんの資質と連携プレーである。これが楽しい旅をする決定的要素と思っている。今回も素敵なコンビで大満足!感謝! ・・


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My Photo ( 写真左 )
今回もひとり旅であった。最近はホームページ用の写真をデジカメ一本で3,000枚以上も撮るので自分を撮る暇がないと言うのが本音である。ホームページ用の写真は欠かせない。被写体は風景や自然物などが多いが、最近はその土地の人物を撮ることに興味が湧いてきた。今回のイスラエルでも、写真を撮るのに夢中で、自分の写真は数枚しかなかった。



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