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ナイジェリアベナントーゴガーナ

ブルキナファソマリセネガルコートジボアール

西アフリカ8カ国の旅 編

旅のデザインルーム (2010.11.04〜11.21) [拡大]
西アフリカ8カ国を回って来ました。 最近一部の旅行社でツアーが組まれるようになってきたが、まだまだ観光資料は少なく、 西アフリカに於いても名前すら知られていない国もある。
資料がないので観光に値するところか否かは行ってみないと分からない状況である。
今回はナイジェリア、ベナン、トーゴ、ガーナ、
ブルキナファソ、マリ、セネガル、コートジボアールの8カ国を一度に回って来た。
すべての国にビザが必要であり、申請書類に18枚の写真と黄熱病対策のイエローカードが必携である。 さらにマラリア対策にも気を使わなければならず、それなりに準備も大変である。
そんなにまでして何故行くのかと言われそうだが・・・
私の率直な感想では、高温多湿の気候と未舗装悪路に耐える強靭な体力と
奴隷貿易など過去の歴史を受け止める強い精神力を持っていないと楽しめない・・・
アフリカの人々は、戦争、貧困、病気・・など我々の想像を超える生存環境の中で、 将来への希望を持って一生懸命に生きて行こうとする姿には感動する。 今回もまた新しい発見、新しい感動があった。 やはり旅は楽しい・・!! Lagos・Cotonou・Lome・Accra・Kumasi・Tamale・Ouagadougou
・Mopti・Tombouctou・Segou・Dakar・Abidjan・Cape Coast
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世界遺産 世界遺産・ジェンネの大モスク&月曜市!!
マリ共和国ジェンネにみる
堂々たる泥で造った大モスクと
その前で開かれる月曜市の賑わい・・
世界遺産世界遺産・ドゴン族の仮面踊り!
マリのサンガ村でみる勇壮な 
ドゴン族の仮面踊り
2mを越える竹馬に乗り飛び跳ねる・・ 

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世界遺産世界遺産・セネガルのゴレ島!
セネガルから3km沖合の小島
奴隷貿易の本拠地であった・・
  今は芸術の島として生まれ変わり・・

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市場の一風景!
西アフリカでみる市場風景!
物凄い人たちで賑わう・・[拡大]
頭上に物を載せ歩く女たち!
何でも頭上に載せ
バランス良く歩く特殊能力・・[拡大]
サンガの村の一風景!
日干し煉瓦で造った建物
ドゴン族が逞しく生き延びている!・・[拡大]

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子供たちの笑顔!
出会うと
にっこり手を振り応えてくれる![拡大]
子供たちの元気な姿!
苦しい環境に会っても
明日の希望を持って・・[拡大]
何時も笑顔で!
美しい眼差し
心が癒される・・・[拡大]




*西アフリカ8カ国の旅
総括スライド 50枚+50枚+50枚+50枚+29枚/745秒

*お気に入りショット ! 50枚+50枚+24枚
*お急ぎの方への お気に入りショット ! 100枚



政府観光局基本情報 !! ナイジェリア ベナン トーゴ ガーナ
ブルキナファソ マリ セネガル コートジボアール 外務省



      西アフリカ8カ国の旅 総括:
いよいよと云うか遂にと言うか・・西アフリカ8カ国を回って来ました。アフリカには53カ国もある。 しかし紛争地域もありすべてを訪問することは一般には難しい。最近一部の旅行社でツアーが組まれるようになっ てきたが、まだまだ観光資料は少なく、西アフリカに於いても名前すら知られていない国もある。資料がないので 観光するところか否かは行ってみないと分からない状況である。ナイジェリア、ベナン、トーゴ、ガーナ、ブルキ ナファソ、マリ、セネガル、コートジボアールの8カ国を一度に回るツアーは知っている限りでは日本では1−2社 しか実施していない。一般にはこの西アフリカまで足を延ばす人は、もう他に行くところがなくなった旅好きな金 と暇のある人、この地域に特別な拘りを持っている人、人の余り行かない秘境・僻地を好んで旅している人、ちょ っと変わった人・・などと言われている。私もそのうちの一人かもしれない。すべての国にビザが必要であり、申 請書類に18枚の写真が必要であり申請料金もかかる。また黄熱病対策のイエローカードも必携である。マラリア 対策にも気を使わなければならない。それなりに準備も大変である。そんなにまでして何で行くのかと言われそう だが・・私の率直な感想はバスによる悪路の長距離の国境越えや単調な風景、物凄い人が集まる市場風景や貧民街 の風景、凄いゴミや埃の風景など、体力と強い精神力を持っていないと楽しめないと感じた。しかし一方で人間の 生きる力、行く国々の人たちが希望を持って一生懸命生きている姿には感動する・・   今回の旅で私の目標としていた「世界100カ国を歩く!」を達成し訪問国は103カ国となった。記念 すべき100カ国目はブルキナファソであった。沢山の方から「目標達成おめでとう!」と労いの言葉をいただいたが、 その中に「マラリア、エボラ、エイズ・・などの病気や食事や栄養面を心配しながらよく行きましたね。西アフリ カ8カ国まで行かないと100には届かないのですね!」と云う言葉があった。フッと思わず口から出た言葉だろ うが、私には真実を突いた言葉でドキッときた。その通りだ!と思った。100カ国と云っても簡単ではないことを痛 感していたからだ。一般にはよく旅をしている人で30-40カ国であろう。ここまでは意識しなくてもすうっと国数は 進む。それから50までは選んだ好みの旅になる。少し聞き慣れない国が入ってくる。50を越え80カ国くらいまでは 秘境・僻地の領域に入ってくる。ツアーのある旅を探すようになってくるし、ツアーがなければ自分で計画して旅 をするようになる。一般には知られていない国が入ってくる。更に80カ国を越えると80%の人には馴染みのない 国になってくる。ツアーも日本で1-2社しかない秘境・僻地専門の会社になってくる。更に行きたくても人数が集ま らず催行できないことすらある。今年駄目なら来年と年一度のツアーならそうなる。チャンスは数年かかる、そう なると自分の健康状態や家族のことも考えなくてはならなくなる。段々旅をすること、国数を増やすことが難しく なる。私には今回の西アフリカ8カ国の旅が最後のチャンスかも知れないと思った・・          私は本来長期間の旅は好まない。精々10日間前後の旅が好きで、それは緊張の持続する期間である。それを 過ぎると惰性の旅になる。何でも見てやろう!聞いてやろう!写真に撮ってやろう!・・という気持ちが薄れて くる。旅の疲れも加算し、毎日の食事や旅人との会話にも飽きてくる。今回の旅は私にとっては異例の旅であっ       た。前泊を含めて19日間という今までの最長の旅。旅の中身も不勉強でただ国数を稼ぐ旅となった。家族のこ       とを思えば19日間は長い、旅先の勉強をしようとしても何しろ西アフリカなんてまず行く人が少ないので資料が       ない・・など条件は悪かった。本来旅は楽しいものだ!と自負していたが今回の旅に関してはいささか考えさせ       られた。今まで95カ国の旅は素晴らしいものであった。それは事前の調査で楽しい光景が想像できたからだ。勿       論選んだ旅でもあった。今回は何でも100カ国訪問の目標達成が先行した旅であったことに大きな反省が残った。       旅はゆっくりのんびり好きなところを選んで楽しむのが本来の姿だ・・          この西アフリカの旅を終えて、強く印象に残ったのは人・人・人の多さ、特に生きる原点である市場の光景       など云い尽せない物凄い人で賑わっていることに驚き、世界の最貧国が多い中で想像を遥かに超える生存環境の中       で希望を持って明るく生きようとしている姿、子供たちの笑顔に感動し、アフリカの女性が意外にお洒落で魅力的       であると云うこと。奴隷貿易と云う過去の暗い傷跡に対し、白人のみでなく同胞の黒人にも非があった事実を冷静       に受け止め過去にとらわれず二度とこのような非人道的なことを繰り返さないで前向きに生きるという姿。未だに       続いている国境役人の賄賂の実態。観光産業へのインフラ整備が遅れていること・・などを感じた。ツアーそのも       のは国を走り抜けるだけで観光の中身のないものであった・・・・    今回の旅で特に印象的であったナイジェリアからベニンへの国境越えの様子について触れておく。役人の賄賂        については世界どの国でも後を絶たない周知の事実である。ここの国境越えは通関時間が2時間とも5時間とも云        われ、添乗員泣かせの関所!私が知る限りではアフリカ一、いや世界一の関所かもしれない。その時の状況により          時間が定まらないので旅を急ぐ我々には厄介な関所と言えよう。全て裏金のやり取りによって決まる。国境が近付 くと数か所に検問所があり、バスを止めて役人が乗り込んで来て、「何が必要か分かるね?」の一言。サッサと金 を出せば短時間で通過できる。「どうして?何で?」なんて云っていたら、難癖を付けられて延々と時間が過ぎて 行くのだ。一難去っても次の難関が待っている。数か所の関所を通過しなければならない。たとえ金を出しても金 額が気に入らなかったら「馬鹿にするな!」と逆効果である。ここが相手の腹の内を読むベテラン添乗員の業であ る。我々の男性添乗員の奮闘ぶりには敬服した。これが女性添乗員ではこんな役人を相手に通過できるか甚だ疑問 に思った・・   今年 は驚くことに3回で16カ国を旅した。3月には「中米7カ国の旅 17日間」6月に「パプアニューギ ニアの旅 8日間」。中米7カ国も今回と変わらず長旅であったが、今回に比べ中身に大きな差があった。どちら も高温多湿地帯で直射日光は強く一寸歩くだけで汗が出るのは辛かったが、国々の変化は中米の方が大きくそれ       ぞれの国で充分に楽しめた。西アフリカはどの国も同じような風景、同じような人々、市場風景などで他に大し       た観光地もなく見映えがしない。最初のうちはまだ珍しさもあるが、そのうちに飽きてくる。精々お勧めはマリ とセネガルくらいであろうか。この辺りに絞った旅が期間と費用を考えれば効率的であろう。私は何時も旅先か ら知人友人に絵葉書を出すことにしているが、送った友人から「何時も最後に”旅は楽しい!”と書いてあるが、 今回はその言葉は書いてなかったね!」と云われ期せずして内心を見透かされたように思った。正直なものだ・・   道中車窓からの風景で意外にもバオバブの木が多いことに気がついた。バオバブと云えば先ず浮かぶのは       マダガスカルである。逆さまの木と云われその奇妙な印象に残る木は少ない。世界で8種類あるそうで、マダガ       スカルに6種類、オーストラリアに1種類、このアフリカに1種類あるそうだが、やはりマダガスカルのものと       形が違う。幹が太く背はそんなに高くはないが遠くからでもよく目立つ。幹からの枝が下から出ているところが       特徴だろうか、マダガスカルの方が幹がスラッと長くスマートである。マリのサンガ村では沢山の実を付けたバ       オバブがあったが、新芽は食用、実は食用、薬用、石鹸の材料などになるそうだ。また殻は楽器などにもなりガ              ーナのケープコーストでは売っていた・・・・    もう一つ特徴ある光景は、女性が頭上に物を載せて歩く姿だ。他の国でも見かけるがこのアフリカほど多く        はない。大から小、重い物から軽い物まで何でも上手に載せて歩いている。重い物は飲み水や洗濯物や行商の果物        などを運んだり、長い物は身長を越える薪の枝を運んだり種々雑多である。小さい時からやっているので首の筋肉           と背筋を伸ばした姿勢が出来ているのだろう。両手が自由に使えて便利と云えば便利だが。マリのジェンネでは頭 上に載せる容器をカラフルに美しくペイントした物をみたが生活の道具として愛用していることがよく分かる・・   2002年からユーロ通貨発行でヨーロッパへの旅が楽になったことは周知だ。しかしユーロ圏でない西アフリカ 8カ国も回れば通貨の換算や両替も大変だろうと思われがちだが、実際にはナイジェリアがナイラ(10na=\6)とガ ーナがセディ(1se=\60)だけが独自通貨で後の6カ国はセーファーフラン(10SFA=\2)が基本通貨である。ユーロとセ       ーファーフランは為替相場が固定で認められている。上記2国を除く国で我々がUS$をSFAに両替する場合にどうな       るか、各国共通のレートで処理されるのだろうか。私の例ではベナンで40US#=11,000SFA、マリでは同じ40US$=12,500 SFAとマリの方が13.6%もレートがよかったのだ。国によってレートが違うのだろうか?違わなければその国の両替 したホテルの手数料の差によるのだろうかとの疑問が残ったがどうなのだろう・・   「元気なアフリカを目指して、希望と機会の大陸」との基本メッセージを持ったアフリカ開発会議は1993年から 5年毎に開かれ過去4回開かれた。日本と国連と世界銀行が共催の会議でアフリカ諸国を支援する会議である。 日本のODA援助額は年間94億ドル(2008年=8000億円)程度拠出しているが、その内アフリカには22%程度の1800億円       (2007年)が出ている。今回の西アフリカ8カ国についてみれば2009年に300億円、2010年には57億円程度である。何       れも食糧援助、感染症予防、自然災害対策、道路、橋梁建設、青少年の職業訓練・・などである。現実に西アフリ カの貧困率は高く一日の所得が1米ドル以下の国民の割合は、マリ:72.3%、ナイジェリア:70.8%、ガーナ:44.8%、 ベニン:30.9%・・と云ったところである。具体的にガーナの例をみると平均月収は大卒銀行員:1200$、大使館職員 :1000$、高校教員:700$、小学校教員:400$、ホテル従業員:200$、程度である・・   アフリカは豊富な資源の宝庫として、将来発展の可能性が秘められており、世界から注目されている。中でも いち早く目を付けたのが中国で、大量の資源と100万人を超す労働者を送り込んでいるが現地では中国人社会を作り 地元に還元する形になっていない。それに比べ日本は現地の雇用や生活水準の向上などに貢献し、長期的な信頼関       係を築くやり方である。西アフリカではガーナの油田開発に参加。その他リビア(油田開発)、モロッコ(肥料)、ガ       ボン(油田)、アンゴラ(セメント)、南ア(石炭ガス)、エチオピア(太陽光発電)、マダガスカル(ニッケル生産)、エ ジプト(油田)などに参画している・・   気になったことに博物館などでの写真撮影禁止!が多かったこと。最近の他国ではノーフラッシュなら構わ ないと云う処が多い中で、この西アフリカでは意外であった。理由を聞くことはしなかったが、昔ならフラッシュ によって展示物が化学変化をし劣化すると云われてきたが、現在ではカメラの機能も向上しフラッシュを付けなく       ても充分撮影できるようになってきた。折角の展示物を広く世界の人に訴えるには撮影媒体は願ってもない手段で       ある。この視点から考えれば折角の宝の持ち腐れではなかろうか、勿体ないと思う。百行の文章より写真の一枚で も撮れれば見た人が興味を示し、出掛けてみようかと思い観光収入の一助になるのではなかろうか・・ 残念なことに私の失敗談を一つ。治安のよい処 悪い処が云々されているが、この西アフリカの中には世界最貧国 の一つとして上げられている国もある。当然他の地域と比べ治安が良い筈がない。旅行者もその積りで覚悟して行 かなければならない。とは思っていたが一寸油断し被害を受けた。どの国か確証できないが、食事に出たちょっと の隙に部屋のスーツケースの中を物色され小さなポシェットに入れていた100$紙幣のみ 数百ドルを抜かれた。一緒 に入れていた日本札には手を付けていない所が慣れた手口だ。旅行中は分からず、帰国後に気がついたという後の お祭り。自分の不注意なので仕方ないが、やはり西アフリカは治安が悪いと思った。基本に忠実!ちょっとの間でも 留守をする時は貴重品があればケースに鍵をかけなくてはならない・・   今回の旅もまた得るところが多々あった!いろいろ想像を越える環境の中での文化や大自然の雄大さに触れ           ることができ、考えさせられたり刺激を受けることができた。やはり世界を歩き新しい文化を見て体験して感じる            ことができる喜び・・・これが生きているという実感に繋がるのである。やはり旅は面白い!

   

・・・・ 旅程の概要・・・・・


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旅の日程・・

外務省発行の危険情報
*ナイジェリア*ベナン*トーゴ*ガーナ *ブルキナファソ*マリ*セネガル*コートジボアール

旅程マップ・・ ( 写真左 )
成田→ローマ経由→ローマ泊(ナイジェリアのラゴスへ)→ラゴス泊(ラゴス市内観光など午後ベナン入国)→コトヌー泊 (アボメーヘ、王宮博物館、午後国境を越えトーゴに入国、首都ロメの市内観光、独立広場、大聖堂、など)→ロメ泊(午前、国境を越えガーナに入国、アクラの市内観光、野口英世記念展示室、メモリアルガーデン、エンクルマ記念公園の見学など)アクラ泊(クマシへ、ビシアシ神殿、クマシ市内観光、マニア宮殿など)→クマシ泊(タマレへ向かう、タマレの市内観光、マーケット、モスク、伝統的住居など)タマレ泊(国境を越えブルキナファソへ、ワガドウク市内観光、モシ族の王宮など)→ワガドウク泊(マリに入国、コロ村、バンカス村、バンディアガラの断崖、ジキボンボ村、など) モプティ泊(トンブクトウの市内観光、古い三つのモスク、マーケット、など)トンブクトウ泊(モプティの市内観光、サンガ、ドンゴ族の踊りなど)モプティ泊(午前、月曜市の見学、午後セグーへ、セグーの町の散策など)セグー泊(セコロ村の観光、モスク、バマコ市内観光、マルシェなど)→ダカール泊(ゴレ島の観光、ダカール市内観光、など)アビジャン泊(アビジャン市内観光、セントポール大聖堂、大洗濯場、国立博物館、グラン・バッサムなど)→ケープ・コースト泊(世界遺産・城塞群の観光、エルミナのセント・ジョージ城塞、深夜、空路、ローマへ、など) 機中泊→成田


旅程・絵日誌・・・・・・旅のデザインルーム 添乗員  梁瀬 昌宏さん記・・・・・


成田〜トーゴ
トーゴ〜ブルキナファソ
ブルキナファソ〜マリ
マリ〜セネガル
セネガル〜ガーナ
第1〜第5日目
第6〜第9日目
第10〜第12日目
第13〜第15日目
第16〜第18日目



・・・・ 印象に残った・・・見どころスナップ・・・・・



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[ NIGERIA・ナイジェリア概況 ]
ナイジェリアの面積は924,000平方q(日本の約2.4倍)、人口は15,470万人(2008年)、首都はアブジャ。民族はハウサ族21%、ヨルバ族20%、イボ族17%でこれが主要3部族。公用語は英語、宗教はイスラム教47%、キリスト教が35%。一人当たりの国民所得は290$。通貨はナイラ(0.95円、1$=148ナイラ)。ギニア湾の最奥部に面した国で、アフリカ最大の人口を抱え、アフリカで唯一人口1億人を超える国。主要産業は、石油に恵まれ輸出の9割を占める。その他天然ガスやカカオや落花生など農業も盛んである。経済成長率は5.6%(2009年)、失業率はNAである。物価上昇率は12.4%。在留邦人126人、在日国人2,598人・・・・



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ラゴスの市内風景!
ローマから西アフリカ最初の入国地はナイジェリアのラゴスであった。ローマから約6時間弱の飛行であったが、夜遅く21:00 着となった。空港は出迎えの人たちでごった返していた。治安上のセキュリティは厳しい。到着時は天気予報通り雨が降っており、これから先を案じた。翌朝は雨が上がっていたが、道路はぬかるみと水溜り状態。早朝の散歩に出かけた。ただホテルの周辺を歩くだけでなく、出来るだけ住民の生活風景が見られるように路地の中に入って行った・・・。子供たちの賑わいと朝の歯磨き姿など見られた。やはり白人たちが珍しいのか逆に一緒に写真を撮らせてくれと言う場面も・・想像以上に面白い光景に出くわした・・



ラゴス博物館の風景!
ラゴスでの最初の観光は、かっての黒人王国の豊かな芸術と文化が展示されているという国立博物館であったが、開館時間でも閉まっていた。万事がこの調子だろうか・・。内部展示物はこの地方を代表するイボ、ヨルバ、ハウサ部族の伝統的な楽器や王の装飾品、各部族の戦争の歴史や武器、生活品などが展示されていた。展示館は平屋二棟で中庭を挟みロの字形になっており、新館には最近の発掘土器などが展示されている。館内は撮影禁止である。建物の入口広場には庭園があり小さな赤い花が咲いており、その中に数点のブロンズ像が置かれていた・・・


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ラゴスのホテル風景!
ラゴスのホテルはWelcome Center夜遅く着いて周辺の状況が分からなかったが、翌朝見るとホテルは鉄柵で囲まれており、出入り口は数名のガードマンによってチェックされていた。やはり治安が悪いようだ・・・。町中に出てみれば貧困の度合いがよく分かる。ナイジェリアはOPEC第6位の産油国であるが長年の放漫財政で深刻な財政赤字、巨額の累積債務に陥っており、貧困の緩和やインフラ整備が進んでいないようだ・・。道路はちょっと雨が降れば水溜り状態である・・


ラゴス〜ベナンへの道中風景!
今日はナイジェリアから国境を越えベナンに入る。泣く子も黙るナイジェリア〜ベニンの国境越え!と言われ、国境役人との壮絶な賄賂を巡るやり取り!通関時間が2時間とも5時間とも言われ、国境をスムーズに通るにはいかにうまくやるか添乗員泣かせの関所である。国境付近には数か所に検問所があり、バスを止め役人が乗り込み「何が必要か分かるね?」の一言。サッサと金を出せば短時間で通過できるが「どうして?何で?」なんて言っていたら難癖を付けられ延々と時間が過ぎて行く・・・・


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現地ガイドの話!

[ BENIN・ベナン概況 ]
ベナンの面積は112,622平方q(日本の約1/3)、人口は890万人(2008年)、首都はポルトノボ。民族はフォン族、アジャ族、バリバ族、ヨルバ族など46部族。公用語はフランス語、宗教は伝統宗教65%、イスラム教15%、キリスト教が20%。一人当たりの国民所得は380$。通貨はCFAフラン(0.19円、1E=655.9CFA)。ギニア湾に面した国で、かつては奴隷貿易の基地となり、沿岸は奴隷海岸とも呼ばれた。主要産業は、綿花が重要な輸出品となっている。その他港湾業も盛んである。経済成長率は5.1%(2009年)、失業率はNAである。物価上昇率は9.4%。在留邦人78人、在日国人31人。唯一日本で知られているゾマホンさんはこのベナン出身である・・・・・・



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世界遺産世界遺産・ダホメーの王宮群!
アボメイ王国は、首都ポルトノボの北西140kmにある。17世紀初めギニア湾岸のアラーダ王国のド・アフリン王子がアボメイに建った国がアボメイ王国(後にタホメイ王国に改名)である。絶対君主の12代の王の下で300年間西海岸最強のフォン族の王国として奴隷貿易で繁栄した。奴隷売買が行われたことから、この辺りは「奴隷海岸」と呼ばれた。現在アカバ宮殿など12の宮殿遺跡と要塞跡が各地に散在し、王宮の一つはアボメイ歴史博物館になっておりゲゾー王時代のタペストリー、グレン王ゆかりのレリーフなどが残っている・・。内部は撮影禁止!



コトヌーの町中風景!
やっとナイジェリア〜ベナンの魔の国境を越えベナンに入りコトヌーに向かう。ナイジェリア側の国境、ベニン側の国境それぞれに役人との鬩ぎ合い!此処の成否によりコトヌー到着の時間が決められる。全く予定が立たない。我々は前者で約1時間、後者で約40分で通過できた。とても上手くスムーズに通過することが出来た。お陰で夕刻にはホテルに入れた。やはり手慣れた梁瀬添乗員の腕に感謝である・・



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コトヌーからダホメーへの道中風景!
今日はコトヌーからダホメー経由し国境を越えトーゴまで走る長旅である。コトヌーを出て目に付くのはバイクが多いこと。道路は所々舗装が切れて泥道となる。道ばたでの物売りや途中大きな市場があり下車して見学。バナナも通常よりも2倍くらい大きい。トイレストップでは思わぬ将軍の像に出会う。付近の畑では主食のキャッサバが植えられている。また炭焼き場も見え、白い大きな袋に木炭を一杯詰め路上に並べられている。さらに行くと杵と臼が並んでいるがこの辺が産地だろうか・・



道中の市場風景!
途中市場の前を通りかかり、物凄い人で賑わっているのに愕き、途中下車して見学した。凄い凄い人たちだ!足の踏み場もないほどで人を掻き分け中に入って行った。物凄い活気でウカウカしていたら撥ね飛ばされそう・・。バナナなどの果物や野菜、穀類、日用品何でも揃っている。後で見る他の市場も同じようだが、これだけの人が集まってくることに先ず驚いた。考えてみれば当然で此処市場でしか生活の物資を手に入れることが出来ないのだ。生きるための日常の光景であろうか・・


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途中偶然に出会った将軍の像!
今日はベナンのコトヌーを出発しダホメー王宮を見学し国境を越えトーゴに入国する予定だ。コトヌーを出発し郊外に出てトイレ休憩の場所を探していてたまたま止まったところにこの立派な銅像が建っていた。近づいてよく見るとトウサン・ルーヴェルチュールの将軍像であった。彼はハイチに於いて1,804年黒人奴隷の反乱により世界で初めて黒人国家を作った、所謂ハイチ革命に成功した指導者でハイチ建国の父の一人として名を馳せた人であり、このベナンの出身者であったのだ。後にナポレオンの命に背きフランスに送られ獄中病死したと伝えられている・・・



アボメー近くのレストラン風景!!
このレストランは庭の中で食事するようになっていて、庭の木々の幹には色んな仮面の彫刻が打ちつけてあった。なかなか面白い趣向である。食事の前でも後でもゆっくり見て歩くといろんな顔があって面白い。別棟には本来の土産物が並んでいて此処で買うようになっているが思ったより安い値段で買えるようだった。食事に来た観光客相手の商売でご主人は商売気がなく昼寝の最中で・・


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ベナンからトーゴへの道中風景! 
ベナンからトーゴへ国境越えである。この国境は先のナイジェリア〜ベナンと違い国境での役人の賄賂の請求はなかった。トーゴ側で約1時間を要したが、此処で時差-1Hrあるのでラッキープレゼントになった。それでも観光しながらの長距離移動なのでホテルに着いたのは21:00過ぎであった。道中風景も同じように見え新鮮味に欠けてくるのが残念だ・・・・




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[ TOGO・トーゴ概況 ]
トーゴの面積は56,785平方q(日本の約1/6)、人口は660万人(2008年)、首都はロメ。民族は南部はエヴェ族(約35%)、カビエ族、北部はハム系コトコリ族、など40の部族。公用語はフランス語、宗教は伝統宗教が過半数、キリスト教が25%、イスラム教8%。一人当たりの国民所得は270$。通貨はCFAフラン(0.19円、1E=655.9CFA)。ドイツ領から第1次世界大戦後フランス領となり1,960年に独立した。主要産業は、綿花が重要な輸出品となっている。その他カカオやコーヒー、リン鉱石も産出される。また最近は油田やウラン鉱の開発も進められている。経済成長率は1.8%(2009年)、失業率はNAである。物価上昇率は8.7%。在留邦人1人、在日国人18人・・・・・・



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首都・ロメの町中風景!
トーゴは独裁国家として知られている。平和国家としての再出発を国民は願ったが、大統領死去後その息子が政権を引き継ぎ独裁政治が続いている。アメリカは見て見ぬ振りをしているのは不思議。外国放送を見ることまでは規制していない。フリーポートにしており外国人の商売は出来るように配慮している。硬軟の政策を取って一方的な反発をかわしているようだ・・・



首都・ロメの大聖堂!!
海岸の近く国道幹線を挟んだ処にレンガ色と白色の美しい大聖堂が聳え立つ。19世紀ごろにはドイツの植民地であったが第1次世界大戦ではフランスに占拠された歴史を持つ。建物はドイツの影響を受けているのだろうか・・中に入ることは出来なかったが周囲を一周し外観のみの観光になった。大聖堂の周囲は市場になっており沢山の人で賑わっている。ロメとは現地語で「小さな市場」と言う意味だそうだ。ロメはトーゴの首都であるが町の大きな施設としては、この大聖堂の他には国立博物館、大市場、ロメ大学くらいしか<ない・・


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首都・ロメのホテル風景!
ホテルの前は遠浅の海岸が続いている。ホテルから海岸まで歩いて数分で行ける。海岸には奴隷海岸のモニュメントなどがあり、海岸で寛いでいる人や走っている人など様々・・・・。ホテルの前には庭があり美しい花々が咲いており、奥まった所にはプールなどもある。ホテル入口正面には大きな「旅人の木」があったが珍しい・・。部屋からは海の上に上る美しい日の出の光景が見られた・・




ロメからアグラへの道中風景!!
トーゴのロメからガーナの首都・アグラへ向けて走る。ロメは見るところなし。国境通過も1時間程度で済んだ。ガーナに入って田舎道を延々と走るが最初は湿地帯が続く、バオバブの木もマダガスカルのものより背が低く形も異なる。途中の民家は椰子の葉を重ねて使ったものが目に付く。学校もあり、オレンジと茶色の制服。サトウキビのようなものも収穫している。さらに進むと赤土の真っ直ぐな道が続く。途中レストランもなく昼食は15:00過ぎる。市内見学、野口研究室を見てホテルへ・・


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現地ガイドの話!

[ GHANA・ガーナ概況 ]
ガーナの面積は238,537平方q(日本の約2/3)、人口は2,390万人(2008年)、首都はアクラ。民族はアカン族(約44%)、ダゴンバ族(16%)、エウエ族(13%)、など。公用語は英語、宗教は伝統宗教が38%、キリスト教が43%、イスラム教128%。一人当たりの国民所得は290$。通貨はセディ(0.01円、1$=1.43セディ)。アフリカのギニア湾に面する国で、1,957年にイギリスから独立。古くから金の採掘が盛んで、主要産業は、貴金属、非鉄金属、カカオ豆を主とした農業など。経済成長率は4.0%(2009年)、失業率はNAである。物価上昇率は16.0%。在留邦人331人、在日国人1,906人・・・・・・



世界遺産世界遺産・エルミナ城塞群!
ヴォルタ、アクラ、中部、西部各州の砦と城塞はガーナの湾と海岸域に展開する。ポルトガル人が15世紀半ばにガーナに進出したのを皮切りに1,482年から1,786年にかけてオランダ、スエーデン、イギリスなどの貿易商人が相次いで進出した。彼らは金、象牙、香辛料、ゴム、それに奴隷の交易所としてケタとベインとの間の海岸に大砲などを装備したケープコースト砦やエルミナ砦など数多くの要塞を建設した。今は多くが荒廃しているが、行政府、博物館、学校などとしても使われている・・このエルミナ城は1,482年ポルトガル人によって造られ、奴隷貿易が盛んな頃は奴隷船が到着するまでの奴隷収容所として使われた。この非人間的な行為の証しとして世界遺産に登録されている・・


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世界遺産ビシアセ神殿!
ガーナ南部の都市・クマジの北東にある。アシャンテ族が17世紀に内陸部の森林地帯に日干し煉瓦に草葺き屋根と独特の装飾壁を持つ伝統建築物を築き、18世紀にアシャンティ文明の最盛期を誇ったアシャンティ王国を築いた。アシャンティ王国は奴隷と金を白人に売って栄えたが、英国と覇を競って敗れ植民地化された。建築物の中でも、最高神ニヤメを侵攻するアシャンティ族が建設した神殿群は英軍と戦った際に破壊され、現在あるものは復元されたものばかりであるが、径年と天候のために劣化が進んでいる・・・・



野口英世記念展示室の風景!!
ガーナで最も有名な日本人として広く知られている野口英世。福島県猪苗代市出身。日本でも知らない人はいない、お馴染み千円札の表紙に2004年11月顕彰されている。黄熱病の研究に取り組み自らこの地を選び研究半ばにして皮肉にも黄熱病に罹りその生涯の幕を閉じる。研究室には研究成果や家族との手紙や写真などが残されている。中でも彼が何時も口にしていた忍耐!「 忍耐 大正4年10月 英世」と達筆で書かれた書が壁に飾られていた。また彼が最も愛した母親から「死ぬまでに一度会いたい・・」という手紙なども展示されている・・・・


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野口メモリアルガーデンの風景!
研究室のすぐ外に小さな和風のメモリアルガーデンがある。此処にも「忍耐」と彫り込まれた石碑と黄金色の胸像が建っている。北里柴三郎に師事して細菌学を学び、1900年渡米後ロックフェラー研究所員となる。奥さんはアメリカ人で研究の拠点をニューヨークに置いたが、黄熱病の研究が進まず、周囲の反対を押し切ってガーナに来て黄熱病の研究を続けていた。2005年に日本の首相として初めて小泉純一郎氏がガーナを訪問しており、野口英世アフリカ医学賞を創設している。ガーナと日本の友好関係は深い・・



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アグラの町中風景! 
野口英世が一大決心をしアメリカから船でやっと着いたアフリカの地・ガーナの港町は研究所に近いこの近くであった。今は貧しい人たちが住んでいるが当時の灯台も残っている・・ 。Vodafoneのコマーシャルカラーである赤と白色が家々の壁に塗られているのは異様である。



アグラのホテル風景!
ガーナの首都・アグラのホテルは ERATA。部屋数50の小さなホテルであったが偶々か部屋は広くキッチン付きであった。周辺の治安は余りよくないのかセキュリティは厳重であった。レストランは別棟の2階にあった。US$からの両替が難しかった、結局は出来たがレートは頗る悪かった・・


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アグラ〜クマシへの道中風景!
赤土の道を走るので沿道の木々は砂埃で赤くなっている。途中の民家はボロボロで貧しそう。市場も見える。庭先で赤い実のようなものを干しているが何だろうか。鍋と石を積んで竈を作れば何処でも炊事が出来るようだ。黒い素焼きの皿も売っている。小さな村にも市場風に店が並び沢山の人で賑わっている。凄い人だ。草を刈るような鉈も売っている。これが世界遺産かと驚くビシアセ神殿を見学。中では子供が子亀を沢山出して見せてくれた・・



マニア宮殿博物館の風景!!
王宮の一角にあるマニア宮殿博物館。此処には120年前の玉座や日傘など王室の歴史的なものが展示されている。現在の王様は60才で英国に留学し経営学を勉強しビジネス手腕に長けていると云われるが、親であるプレンペイ1世は悲劇の王様と云われ、1,817年英国とクマシが平和条約を結び、クマシに英国の領事館を置くほど良好な関係であったが、英国がその条約を守らず関係は悪化し最後は戦争にまで至り、1,874年に英国に捕らわれセーシェルに島流しとなる。その後1,921年に再び帰ってきて即位するが既に英国の植民地化は進んでいた。1世が捕らわれている時夫人のヤーアアサンティが銃を持って立ち上がるが結局は捕らわれて島流しとなる。700年代天から降って来たアシャンティ王の黄金の椅子があるそうで何処かに保管されている・・内部は撮影禁止!


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クマシの町中風景! 
クマシは首都のアグラに次ぐ第2の都市で人口約200万人。かってこの地方を支配していたアシャンティ王国の古都でもある。アシャンティ王は植民地政府の許可の下クマシに帰還。ガーナ独立後の現在もアシャンティ王国の王は正式な王位はないが絶大な権力を持っており、大統領以上とも言われている・・・・。この町にアフリカ1−2と云われる大きな市場があるが、余りにも大き過ぎて中に入ったら安全に出てこられるか確信が持てない程のもので車窓から見学となった。モロッコのフェズの迷路のようなものであろうか・・。それにしても人が多い・・



クマシからタマレへの道中風景!
今日はガーナ北部の中心都市タマレに向かう。出発早々渋滞で市内を抜けるのに1時間もかかた。途中タイヤ交換している筋肉粒々の男、椰子の実を売っている。自動車の中古パーツを売っている町を通過。青空トイレ。ガソリン補給。車内で昼弁当。途中の民家は日干し煉瓦を積み泥を塗り、屋根には椰子の葉を重ね。大きな芋を売ってる売場へ、買え買えとシツコイ!途中の町は洪水で水浸し、バスを降りて少し歩く。干した川魚を売っている。女学生に出会うが手を振って挨拶してくれる。後50kmの所でバスのエンジントラブルで低速走行・・・


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タマレのモスク!
交通の激しい交差点の近くに建っている立派なイスラムのモスクである。ガーナの国教はキリスト教であり国民の半数がそうだが北部ではイスラム教が主流である。建物の四隅に小さなミナレットがあり、中央ドームにはイスラムシンボルの緑色(自然、豊かな大地)の三日月(発展)と星(知識)が見える。外観だけの見学で中には入れなかったが、イスラムでは一日5回の礼拝が義務付けられておりその告知のアザーンが流れるのだろうか・・



タマレの町中風景!!
タマレは人口約310,000万人のガーナ第4の都市で北部の中心都市である。標高210m、幹線道路が走っており、また空港もあり交通の要所でもある。住民はイスラム教徒のダゴンバ人が多く住んでいる。朝の通勤時などバイクが圧倒的に多い・・


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学校訪問の風景! 
恒例の朝の散歩で偶然この学校に飛び込んだ。校長先生には西アフリカの学校の現状を見て回っていると言うと途端に張りきって授業中の全15クラスを案内してくださり、日本は優れた技術を持っており、日本国政府からも、わが政府よりも多大な恩恵を受けている・・と紹介。中には国家を合唱して返礼してくれた。日本をこのように理解してくれていることに嬉しく誇りに思った。このように日本政府が海外にODA援助を行い彼らの生活を支援している例は少なくなく、私自身同じような経験は少なくない。とても素晴らしいことをしていると思う・・。恵まれた日本と違い、生徒たちは早朝の7時から電燈もない薄暗い教室で、板切れで作ったような机で一生懸命熱心に勉強している姿には感動した・・



タマレのホテル風景!
入り口正面の建物は足場を組んで建築中であるが、これは昨年火災に遭ったそうで現在修復中の作業をしていた。宿泊の部屋はバンガロー式に分散していた。食事は入り口側の広場で取るようになっている。虫が多く各部屋の門燈などに集中して、窓を開けることも出来ないほどであった。庭には珍しい花や木の実などが見られた・・


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ケープコーストのホテルの風景!
到着時は付近の村人たちが歌や楽器演奏などをして歓迎してくれた。周囲は夜で何も見えなかったが、翌朝起きて見ると海辺のすぐ側にあり、広く広がった美しい砂浜、打ち寄せる波の音、遠くに見える町の風景、小舟に乗って漁に出掛ける村人たちなど、朝の散歩にも丁度よく、とてもよい環境に建っていた。部屋はバンガロー式で幾棟にも分散しており、食事は浜辺に近い庭で海風を受けながらできた・・、



世界遺産ケープコーストの要塞風景
ケープコースト城は16世紀にポルトガル人が貿易の拠点として造った小さなロッジの跡に、1,630年オランダ人が建設し、その後スエーデン人の手に渡り、1,664年には英国の所有となった。それ以来何百万人の奴隷をアメリカやカリブ海へと輸送する拠点となった。1,887年に首都がケープコーストからアグラに移るまで英国の植民地政府として使用された。今では保存状態も良く奴隷貿易の公立博物館として公開されている・・。エルミナ城も同じような目的で造られたのは悲しい・・


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ケープコーストの町中風景!
ガーナのエルミナ城近くの入り江の市場風景に驚いた。今まで路上での市場風景は沢山みてきたが、この海辺の近くで開かれる市場は海上から小舟でやって来るのか、この狭い入り江に小舟がギッシリと並んでいた。何処でも市場には沢山の人が集まってくるがこの小舟の数も相当なもので荷物を買って帰るときに自分の船がどれか分からなくなるのではなかろうかと要らぬ心配になった・・



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タマレからブルキナへの道中風景!
今日はガーナから国境を越えブルキナファソのワガドウグへ向かう。昨日のエンジントラブルの修復に時間が掛かり出発が遅れる。出発して突然の民家訪問!交渉OK。国境越えに1時間かかる。ここで小さいオンボロバスに乗り換え、途中で後輪パンク!車内で昼食弁当、小さいサンドイッチ2切れでみんなブウブウ!スイカを売っている光景、ポリスマンの水くみ風景など、バオバブの木が多く目に付く。ブルキナに入ると直線道路でよくなり運ちゃんぶっ飛ばす!ワガドウグに入ると今度は渋滞が続く・・・




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現地ガイドの話!

[ BURKINA FASO・ブルキナファソ概況 ]
ブルキナファソの面積は274,200平方q(日本の約70%)、人口は1,520万人(2008年)、首都はワガドウグー。民族はモシ族(約50%)、ボボ族、ダルーウンシ族、ロビ族など。公用語はフランス語、宗教は伝統宗教が65%、イスラム教30%、キリスト教12%。一人当たりの国民所得は220$。通貨はCFAフラン(0.19円、1E=655.95CFAフラン)。国名はオートヴォウタと呼ばれていたが、1,984年に清廉潔白な人々を意味する現在の国名に変更された。主要産業は、とうもろこし、タロイモ、綿、牧畜などの農業。経済成長率は4.0%(2007年)、失業率はNAである。物価上昇率は3.4%。在留邦人97人、在日国人13人・・・・・・



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郊外の民家訪問!
これも民家を突撃訪問した。実際にその国の人々がどんな処に住み何を食べてどんな生活をしているかはとても興味がある。旅の楽しみである。通リすがりに外から見るだけでなく、突然の訪問に意味がある。ここは添乗員の梁瀬さんの独創的なアイデアと交渉力の成果である。民家の人も快く受け入れてくれた。食事などを作る中央広場を囲むように個別の部屋があり、中にはベッドがある部屋もあった。広場では杵と臼があり餅のような物を作ったところであった。広場の片隅にはトウモロコシが沢山置かれていたが粉にして食べるのだろうか・・



ワガドウグの町中風景!
ブルキナファソの首都・ワガドウグの町は、同国の中央部に位置する人口148万人の内陸の町。標高316m、直径10kmの盆地全体に町が広がる。11世紀に出来たワガドウグ王国の都として栄えた。ブルキナファソには60の民族が住んでいて、中でもモシ族が多い。現在のモシ族の王は象徴的存在で実権はないが人々からは崇拝されている。毎週金曜日には王宮前で儀式が行われる。途中立ち寄ってみたが王は出てこなかった。儀式は撮影禁止!ブルキナファソは世界最貧国の一つで国民の半数が貧困ライン以下の生活をしている・・


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ワガドウグのホテル風景! 
ワガドウグのホテルはインディペンデンス。大きなホテ ルで中央にプールがありレストランはその横にある。建物が広く分散しているのでレストランまではちょっと歩く。フロントロビーでも蚊が飛んでいたが、この国の死亡原因の中でマラリアによる死亡率は45.8%と高く注意が必要であるが、オスに噛まれても心配はないが、飛ぶ羽音が聞こえないメスの蚊が影響力を持っているので余計に面倒である・・・・



ブルキナ〜マリへの道中風景!!
今日はブルキナファソから国境を越えマリのモプティに向かう。およそ450kmはあろう。ブルキナファソのワガドウグは見るところなし。マリへ向けて走るのみ。トイレストップは粟の畑。途中池があり蓮の花。畑ではみんな一生懸命に働いている。牛、羊など家畜を追いかける子供たち。マリに入りコロ村のモスクに立ち寄る。厳つい顔をした男が出てきて追いやるが赤ちゃんを抱いたお母さんと出会う。子供たちが寄ってくる。干し草を積んだロバ車が行く。みんな畑でよく働いている・・


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現地ガイドの話!

[ MALI・マリ概況 ]
マリの面積は1240,000平方q(日本の約3.3倍)、人口は1,270万人(2008年)、首都はバマコ。民族はバンバラ族(約25%)、フラニ族(11%)、セヌフォ族(10%)、ソニンケ族など23の民族。公用語はフランス語、宗教はイスラム教65%、伝統宗教が30%、キリスト教5%。一人当たりの国民所得は230$。通貨はCFAフラン(0.19円、1E=655.95CFAフラン)。西アフリカの内陸国で、北部はサハラ砂漠で乾燥地帯が広がる。アフリカ最貧国の一つでしばしば干ばつやイナゴによる被害に襲われる。主要産業は、綿花と金。経済成長率は5.6%(2008年)、失業率はNAである。物価上昇率は13.6%(2008年)。在留邦人25人、在日国人122人・・・・・・・




世界遺産バンディアガラの断崖風景!
バンディアガラの絶壁は、マリの首都バマコの北東480km、モプティ地区に聳えるバンディアガラ山地のニジェール川に面した独特の景観を誇る標高差500mの花崗岩の断崖で250km続く。この地に1300年頃に住みついたドゴン人は、この絶壁の上下に土の要塞ともいえる集落を作って外敵から身を守った。トウモロコシ、イネ、タマネギなどの作物を納める紅い粘土で造られた穀物倉を設け、絶壁の中腹にはドゴン族の壮大な宇宙と「ジャッカル占い」などの神話の世界を造り、先祖の霊を祀る。また神聖なる伝統的儀式は動物、鳥、オゴン、など90種にも及ぶ美しい仮面が用いられる・・


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世界遺産トンブクトウの観光風景!
モプティから国内線空路でトンブクトウへ飛び、一泊してまたモプティに戻る小旅行をした。トンブクトウでは4WDに分乗し3つの古いモスクを回った。「大きなモスク」と言う意味を持つ町で最古のジンガリベリ・モスクはスペイン人のエッ・サヘリによって造られた。彼は13世紀にマンサムーサ王がメッカに巡礼に行った時連れて帰った。巡礼に行った時ラクダ100頭に各35Kgの金を積み帰途それをばら撒きトンブクトウが金の都として有名になった。次いでヤヒヤモスク、サンコーレモスクと回った。サンコーレモスクはには当時25,000人の学生がいたそうだ・・



トンブクトウの町中風景!
トンブクトウは金と奴隷の取引で16世紀初頭にはアフリカ最大の文化都市であったと言われている。現在は周辺が砂漠化し「危機に曝されている世界遺産リスト」に登録されているが、欧米や中近東から多くの観光客が訪れている。町中は砂漠が近いだけあって砂埃りが舞っている。日中は相当に気温が上がり汗を掻きながら観光するようである・・


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トンブクトウの市場風景! 
トンブクトウの市場は規模は小さいが他の市場と同じように賑わっている。野菜や穀物、干し魚、肉類、日用雑貨品など何でも揃うが、住民の着ている衣類などカラフルでなかなかお洒落である。男の子は何処でも相変わらず可愛いガキ大将風で回りを取り囲んで動こうとしない。顔などは砂埃で白く汚れているが平気である・・



トンブクトウのホテル風景!!
Colombeというホテルでこの地では比較的大きいホテルのようだ。表側は幅が小さい古い建物であるが奥に向けて増設したようで、長細く奥にはプールがある。部屋は古くてシャワーだけの設備であるが、お湯は出ずまたトイレと同じ場所にあり使い勝手はよくないが場所柄贅沢は云えない・・・


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コロ村のモスクの風景!
ブルキナファソからマリに入国し最初に見たモスク!小さな村にしては比較的大きな立派なモスクである。マリには同じような泥で造った伝統的なモスクが彼方此方にあるようだが、外観を見るだけで内部構造がどのようになっているか見たいものだ。丁度訪問した時に礼拝中であったのか厳つい顔の人が出てきて早く立ち去れと追いやったが如何なものか・・



ラクダに乗って村の訪問風景!
モスクを回った後ホテルで小休止して、夕方からラクダに乗ってトウアレグ族の民家を訪問し沈みゆく夕陽を鑑賞した。ラクダには付き人がいて乗り方の要領を指示しながら約30分ばかり楽しんだ。ラクダは思ったより楽ではない!登りになると体重を前側に掛け、下りでは後ろ側に掛けるなどの配慮が必要だった。村と言ってもテントが一張りあるだけ、数名が住んでいたが、砂漠の住心地よさは他には代えられないと言っていた。夕日の沈む速さはアッと言う間だった ・・


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ジキボンボ村の風景!
この村にはトンガリ帽子の独特な屋根の形をした小屋が並んでいたが、これは穀物倉庫だそうで、一夫多妻の習慣があるこの地では奥さんが一人増えるごとに必ず1つの小屋が建つそうで、その数により男の財力が示されるそうだ・・。倉庫の形は男性用と女性用と2種類あり、男性用は背が高く少し大きくドアの数や窓も2つあり食料や穀物用。一方女性用は内部が細分化され女の所有物が入っており、ドアの数は1つである。マリは80%がイスラム教徒であり一夫多妻の家族の様子が伺える・・。特異な屋根の形からイタリアのアルベロベッロを思い出す・・



ドゴンの金曜マーケットの風景
モプティへの途中立ち寄った金耀マーケット。道路の両側に店を広げてここも沢山の人で賑わっていた。今回は各国各地で市場を見る機会が多かったがこれも旅の楽しみの一つである。どんな人が集まってきて何を売り何を買っているかそれぞれの生活風景が見られる。その土地の産品を見ることができてなかなか面白い。ただ余りにも沢山の人には驚くばかり・・


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モプティの町中風景!
モプティはマリ第2の都市でニジェール川とその支流のバニ川との合流点に位置している。人口12万人程度の水の都でアフリカのヴェニスとも云われている。空路、陸路、水路と交通の要衝である。近年は世界遺産を巡る観光の中継地点として観光客も増えている・・



モプティのホテル風景!
モプティのホテルはKANAGA。ここで延べ2泊した。ホテルの前はニジェール川が流れており荷物や人を運ぶ小舟が行き来しており、岸辺には小舟が繋がれている。内部はフロントを入ったところにプールとレストランがあり、これを中心に部屋の棟が分散している。通路が何本もあり一つ間違えば部屋に行けない。プールの近くには茶色のゲートが立っておりそれが存在感を示している・・


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モプティからトンブクトウへの風景! 
モプティからトンブクトウへは17-8人乗りの双発セスナ機であった。窓に沿った2列シートで外を見ることが出来る。僅か45分ばかりの空の旅。飛び立って砂漠の光景と思っていたが意外にも眼下には緑の草地が多いと思った。パイロットはドイツ人だそうで、何故此処で仕事をしているのかの質問に「給料がいいから・・」との答えが返ってきた。小さい飛行機なので1泊分の荷物のみで余分な荷物はモプティに残してきた・・



モプティからサンガへの道中風景!!
トンブクトウから帰ってきてサンガへはバスで行った。距離にして4-50km位であろうか・・添乗員から到着時間当てクイズが出された。普通に考えれば僅かな時間だと思ったが、そこはクイズの狙い!予想外にも途中から物凄い悪路となり車は45度傾斜、車の下面は道路と接触しノロノロ運転となった。まるで秘境・サンガの旅だ。平均時速10K/H位だ。大方の人は大外れの時間となったが唯一人2Hr15'とピタリ正解者が出たのには驚いた。こんな悪路を予想していたのだろうか? 正解の賞品プレゼントは何だったのだろう・・・
サンガからモプティへの帰途風景!!


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サンガの村の風景!
ガタガタ道をやっと通り抜けてサンガの村に到着した。熱い太陽が照りつけていた。周囲は乾燥し切った茶色の世界に思えた。見る風景は他とは一味違い私が求めていたアフリカの風景であった。日干しレンガを積み上げた茶色の建物、茶色の道、茶色の顔、素朴な住民の姿・・。村の外れから見る広々とした荒野、壮観な絶壁、小さく見える眼下の村など独特な雰囲気を持っていた・・



世界遺産ドゴン族の仮面踊りの風景!
昼食後村の中央広場でドゴンの仮面踊りを鑑賞した。この踊りは元々は宗教儀式で行われていたが、今は観光客向けに随時行われている。兎や牛や野牛などいろんな動物の仮面やカナガと云われる十字架風の仮面をかぶり民族衣装をつけ輪になって踊る姿は勇壮なもの。中でもシリゲという4-5mの長い仮面を付けた踊りや2m近い竹馬に乗っての踊りなどは、他では見られない独特なもので興味を惹いた。伴奏は青い服を着た年輩の人たちが叩く太鼓の音や掛け声。村の人々や子供たちも集まり一緒にリズムに合わせて踊っている ・・


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ドゴン踊りの音楽!



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サンガのレストランの風景!
早朝トンブクトウからモプティに帰ってきてその足で直ぐバスに乗りサンガへ辿り着いたが、トンブクトウからの飛行機が予定通り飛んだので、サンガではレストランでの昼食となった。時間が狂えば当然バスの中で質素な弁当と云うことだったのでラッキー!と云っても大したものは期待できない・・



モプティ〜ジェンネへの道中風景
今日はジェンネの大モスクを見学しセグーまで走る。ホテルからジェンネの渡しまでおよそ2時間ばかり。7:30にホテルを出発しニジェール川に沿って走る。道中見る風景を撮るが、牛を追う男、薪を割る男、薪を運ぶ女、農作業をする人たち・・・・


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ジェンネの渡し場の風景!
ホテルを出発して約2時間でこの渡し場に着いた。着いてみると物凄い人と荷物を積んだ牛車でゴッタ返していた。我先にと船の順番を早く取ろうと喧嘩腰の様相であった。バニ川は僅か10'足らずの乗船であるが、我々は別な船をチャーターしていたのでスムーズに渡ることが出来たが、順番待ちでは何時乗れるか分からない。先を急いでいた牛車には殆どが燃料用の枯れ枝や木材であったが、電気もガスもない状態では炊事をするための火の材料は一番大切なものかも知れない。薪を売り歩く人も多く見かけた・・



世界遺産ジェンネの大モスク&月曜市場!
渡し船を下りて車で約10分でジェンネの大モスクに着く。ジェンネは14-16世紀にジェンネ川の交通の要衝として栄えたところ。大モスクの前は恒例の月曜市が開かれており沢山の人々で賑わっていた。遊牧民フルベは穀物、川の民ボゾは魚、農耕民のバンバラは野菜や味噌など、女たちは首飾りや装飾品など持ち込む。モスクと市場風景を見たり写真に撮るには民家の屋上を借りるしかない。モスクは一辺が100mの正方形、高さが20m以上の世界最大の泥のモスクだ。1,280年頃に創建されたそうだが、その後破壊されたりして現在のものは1,906年に再建されたものだそうだ。モスクの中に入れなかったのは残念だったが周辺の月曜市は充分に堪能した・・・


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ジェンネの町中風景! 
世界遺産・泥の大モスクがある町として有名だが、バニ川に浮かぶ人口約1.5万人程度の小さな町で130km離れたモプティや547km離れたバマコへは渡し船で島を出るしかない。トンブクトウからは川伝いに500km。ジェンネとはボゾ語で「水の精霊」の意味。泥の大モスクは1,280年にイスラムに改宗したジェンネ王が建てたがその後幾度か再建されている。屋根が100本の柱で支えられ、奥行きは75m、高さが20m、1,000人の信者を収容できる。年に一度住民が分担して泥の塗り直しをする・・・・



ジェンネ〜セグーへの道中風景!!
ジェンネの大モスクを見て引き返してセグーまで走る。到着は夕刻になるがセグーでは市場の見学をする。この市場はニジェール河畔にあり、ニジェール川はアフリカ第2の大河でこの内陸部でも川幅は2kmはある。市場から帰る人々が船乗り場に殺到する。その横でゆっくり洗濯をする女、様々な光景が見られる。大きな市場で凄い人たちで賑わっていた・・・


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セグーの町中風景!
セグーは人口約12万人のニジェール河畔の町。かってはソンガ王国の都として栄えた町である。田舎町の素朴な風景である・・



セグーのホテル風景!
セグーのホテルはインデペンデンス。ホテルの周辺は貧民街のよう。建物正面は奇抜なデザインの平屋、中は2階建てで部屋は狭い。フロント横を入れば中庭でそこにもテーブルが並べられており朝食をとった。中庭の奥に入るとプールがあり、花も咲いておりくつろげる。ホテルの前はロバ車やリヤカーなどが往来しているようなところ・・


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セグー〜バマコへの道中風景!
今日はセグーからバマコへ向かい、夜遅い飛行機でセネガルのダカールへ行く。バマコまではセコロ村の訪問やバマコ市内の観光などをする。道中、郊外の風景や町中の風景など・・



セコロ村の訪問風景!
バマコへ向かう途中セコロ村を訪問した。セコロ村は18世紀この地を統治していたバンバラ王国の都であった町だ。先ず村長さんの許可を得るべく家を訪ねた。村長さんは威厳のある顔立ち、奥さんは何人目かとても若いクレオパトラ風の美人であった。最初は初代の王・クリバリの墓を訪ねた。バンバラ族が1,500人住むという広い村ではないがアフリカの村と云う感じで日課である水汲みの風景、洗濯の風景など身近な生活風景があり写真を撮るには面白い村であった・・


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バマコの町中風景!
マリの首都・バマコの町へ。町を一望できる「大学の丘」に上がる。緑の樹木、貫流するニジェール川、白い建物が点在、首都にしてはビルが少ないのがバマコの特徴だという。マリの西南部に位置し、人口約169万人(2006年)が住む山に囲まれた平坦な地で、ニジェール川で南北に二分されている。19世紀にフランスの植民地となるが1,960年に独立し首都となった。マリはバンバラ語で「カバ」の意、バマは「ワニ」、コは「川」の意味を持つ。2002年以降インフラ整備が進んでいる・・



国立博物館の風景!
美しい庭の中に建つ洒落たデザインの 国立博物館。内容は期待したほどでなく、土器の像や木彫りの人形や仮面、ジェンネモスクの模型、バンディアガラで作られた布や装身具、部族の首飾り、綿花で作った布や染め方の種類や手法、子供が出来ない女性が願う像などが展示されていた。記憶を辿ってもなかなか思い出せない程度の展示である。内部は撮影禁止(多くの人に知ってもらうことが出来ない!)にしているが勿体ない話だ。目を惹く人気物は中庭に放置(展示)された屋根の上に一杯物を積んだ過積載の車・・


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バマコの市場風景! 
国立博物館を出てこの市場にきた。ここも人、人、人その人の中にバスは入っていく。道一杯が人と車と、店で埋められる。少し中に入って歩いた。ミナレットが2本見えるがイスラムの町。建物の中に入って自由時間をとる。仮面や木彫りの人形、楽器などが並べてある。建物の外は野菜など食料品。みんなカラフルな衣装、周辺を歩くとイスラムの教典を売ってる店や散髪屋があった。こちらの床屋さんは頭をツルツルに剃り上げている。みんな愛想良く挨拶してくれる・・




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[ SENEGAL・セネガル概況 ]
セネガルの面積は197,161平方q(日本の約半分)、人口は1,270万人(2008年)、首都はダカール。民族はウオロフ族(約44%)、ブル族(23%)、セレール族(15%)、他。公用語はフランス語、宗教はイスラム教95%、伝統宗教、キリスト教6%。一人当たりの国民所得は490$。通貨はCFAフラン(0.19円、1E=655.95CFAフラン)。アフリカ大陸の西端に位置する国で、1,960年フランスから独立。首都ダカールは過酷な自動車レースのゴール地点として有名である。主要産業は、農業と漁業。経済成長率は2.5%(2008年)、失業率はNAである。物価上昇率は7.3%(2008年)。在留邦人187人、在日国人285人・・・・・・・・・・



世界遺産世界遺産・ゴレ島の風景!!
ゴレ島は、首都・ダカールの沖合3kmの大西洋上に浮かぶ島で、1814年フランスで奴隷貿易の廃止が行われるまでは、奴隷貿易中継の島として使用された。島の南北は900m、東西は300mの小さなゴレ島には鎖で繋がれていた狭くて暗い奴隷の収容所や奴隷の売買が行われた商館や一方セネガルで最も古いイスラム教の石モスクや古典主義様式のカトリック聖堂などが残っている。当初ポルトガル人がこの島にやって来た頃は商業基地として栄えたが、その後西アフリカ地方から集められた黒人奴隷、アラビアゴム、黄金、蜜蝋などの交易を巡ってイギリス、フランス、オランダ、ポルトガルが商権争いをし、領有権は転々とした歴史を持つ、1777年頃に建てられた奴隷の積み出し場として使われた「奴隷の家」は現在歴史博物館として一般公開されている・・


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奴隷収容所の風景!
これがゴレ島の残っている「奴隷の家」。16-18世紀奴隷貿易が盛んだった頃、アフリカ各地から集められた奴隷は一部はこのゴレ島に送られ船積みされるまでこの収容所に入れられていた。薄暗い狭い部屋に詰め込まれ鎖に繋がれ糞尿垂れ流しで酷い状態であった。命令に従わない人は独房に、船に乗せられる時の出口は Door of No Return と云われ二度とアフリカに戻ってくることはなかった。此処にはブッシュ、クリントン元米大統領やローマ法王、ネルソン・マンデラなど著名人が訪れている・・・



ダカールの町中風景!!
恒例の朝散歩に出たが何時もと町の様子が変わっていた。町のあちこちから羊の鳴き声が聞こえ、羊を引き連れて歩いている人や家の前の路上で羊を綺麗に洗っている人もいた。どうしたのかなーと聞いてみると、イスラム圏では明日11月18日の犠牲祭に羊が生きにえに捧げられるのだ。 年に1回メッカ巡礼が終わった後に神に感謝して動物を犠牲にして神に捧げ、その肉をみんなで食べるという。貧しい人もこの日は肉にありつける。イスラムでは一つのお祭りの日なのである・・・


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感謝祭に羊の生きにえ!



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ダカールのホテル風景! 
ホテルは AL AFIFA という。下町の中にあり周辺は余りきれいではないが、ホテル内部は1階の奥にプールがありその周辺はブーゲンビリアなど美しい花が沢山咲いておりその横で朝食を取るようになっている。雰囲気は素晴らしく美しい花々をみながらゆっくり朝食が取れるのは最高である。プールの横で1匹の猫ちゃんに出会ったがどうした訳か闘志をむき出しにしていた・・・・



アフリカ最西端の地!
ヨーロッパ大陸の最先端はロカ岬で有名。「ここに地終わり海始まる」の一節を刻んだ碑が建っている。アフリカ大陸の最先端はさらに西側にあるセネガルのヴェルデ岬である。そのヴェルデ岬の中でも一番西だという地点が此処にある。個人の所有地の外に石を積み上げてここだと云っている。別に何でもないところだが、物好きが最先端を見たいと云えば土地所有者にお願いし庭を通って行くしかない。誰でも自由に見られるものではないのだ・・・・・・


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[ COTE D'IVOIRE・コートジボアール概況 ]
コートジボアールの面積は322,436平方q(日本の約0.9倍)、人口は2,110万人(2008年)、首都はヤムスクロ。民族はセヌフォ族、マンデ族、バウレ族、など約60の部族。公用語はフランス語、宗教はイスラム教30%、伝統宗教60%、キリスト教10%。一人当たりの国民所得は630$。通貨はCFAフラン(0.19円、1E=655.95CFAフラン)。国名はフランス語で「象牙の海岸」を意味し、多くの象牙がこの海岸から運ばれたことを意味する。1,960年にフランスから独立。主要産業は、農業、カカオの生産は世界一。コーヒーの輸出も盛ん。経済成長率は3.8%(2008年)、失業率はNAである。物価上昇率は1.0%(2008年)。在留邦人55人、在日国人99人・・・・・・・・



コートジボアールのホテル風景!
コートジボアールの最大の都市・アビジャンのIBIS HOTEL。この日はセネガルから移動してきてホテルに着くのも21:00を回り遅くなった。明日はまたガーナへ移動する。この所スケジュールが厳しくなり睡眠時間が不足気味だ。このホテルは大きいようだが周辺の環境は余りよくない所だ。朝食もフロント横の狭いところでムードもなくゆっくりくつろいで食べるようなところではない。セネガルとは格段に落ちる・・・・・・


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コートジボアールの町中風景!
15世紀にポルトガル、イギリス、オランダなどの貿易船が奴隷と象牙の売買にやってきて、黄金海岸、故障海岸、奴隷海岸などと共にこの地には象牙海岸と云う名がつけられた。1,893年にフランスの植民地となり、1,904年にアビジャンが建設された・・



聖パウロ教会!
よく目立つとてもユニークな建物である。大きな2本のコンクリートの柱と建物の屋根を吊っているワイヤーが結ばれた構造をとっている。正面から見ると建物の上に大きなコンクリートの十字架が見える。また横から見る角度によっては十字架を背負ったようにもみえる。正面右側には聖パウロの白い像が建っている。中に入るとかなりの人数を収容できる広さがあり、正面と両側面には美しいステンドグラスが飾られている。このステンドガラスは美しくアフリカの人や動物や風景が描かれている・・


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国立博物館の風景! 
コートジボアールの国立博物館。国立と云っても殆ど中身がない博物館。15m平方の小さなワンフロアーの周囲に展示してあるだけで、マスクや楽器や部族のトーキングドラム、象牙など位であろうか・・・



コートジボアールの市場風景!!
最初この市場は観光予定にはなかったが、現地ガイドのコーヒーさんが是非見せたいと云ってわざわざバスを回してくれた。車窓からの見物になったが、「これが市場だっ!」といえる凄い混雑ぶり、人の数や店の並びなど他とはまた違った光景であった。兎に角人の数や喧騒とした町の雰囲気など想像以上のものにただ驚くばかり・・・


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象牙海岸の町中風景!
今はオフシーズンで観光客も少ないが、こんな静かな長閑な村もまた賑わうことだろう・・



象牙海岸のレストラン風景!
昼食を取ったリゾートホテルのレストランで美しい海辺にあった。時期的にはシーズンを過ぎたのか我々以外にはお客の姿は見られなかった。しかし食事を終える頃には何時の間にか海辺には沢山の物売りが集まってきて手を振って招いていた ・・


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中継地・ローマの風景!
成田から西アフリカへの直行便はない。ヨーロッパか中東経由の便が多い。今回はローマが中継地となり一泊した。ローマの郊外に宿泊したが、町中の樹木は秋の紅葉が美しく目を楽しませてくれた。翌朝のホテル周辺の散歩も時間は短かったが清々しいひと時であった・・・・。この時はこれが梁瀬流の得意技とは知らなかったが、西アフリカに入ってからもこの早朝の散歩は日課となり参加者から好評であったことは言うまでもない・・




西アフリカの人々の表情!
西アフリカでもそれぞれの国で民族構成が多少異なる。多民族国家であり、宗教も異なり、言語も異なり多様である。我々には皆同じように見えるが、丁度彼らが日本人を見ても中国人、韓国人と区別がつかないのと同じことである。しかし、彼らには顔は勿論名前を聞けば国や出身地まで判別できるそうだ。ナイジェリアではハウサ族でイスラム教が多く、ベナンではフォン族で伝統宗教、トーゴでは南部はエウエ族、北部はハム系コトコリ族で伝統宗教、ガーナではアカン族でキリスト教、ブルキナファソではモシ族で伝統宗教、マリではバンバラ族でイスラム教、セネガルではオロフ族でイスラム教、コートジボアールではセヌフォ族で伝統宗教など代表的なものである。目つき、肌の色もまちまちである・・


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可愛い子供たちの姿!
何処の国に行っても子供は可愛い!何といっても表情がよい。無邪気で汚れを知らない瞳の輝きが素晴らしい。好奇心旺盛ですぐに近寄ってきて何かしゃべりたそうな顔をする・・。しかし、最初は少し警戒しているが、何か話しかけると途端に表情が変わり嬉しそうな親しみのある顔をする。彼らにとって我々旅人は白人であり今まで余り見かけない異星人かも知れない・・



西アフリカに咲く美しい花々!!
赤道直下の熱帯性高温多湿気候!お花にとってはよい条件だと思うが・・暑すぎてそうでもないのか、あまりお目にかかれなかった。一番多いのは何と言っても南国の花でお馴染みのブーゲンビリアである。この花はどこの国でも咲いているポピュラーな花だ。この他にも見かける花は日本でも馴染みの花ばかりだ。名前も知らない、見たこともない花に出会えばこれは旅の楽しみの一つであるが、今回はその期待は裏切られた。


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素晴しい旅のサポーターたち
今回は、日本から同行の添乗員・梁瀬 昌宏さんと現地ガイドは前半&後半はコーヒーさん、運転手はアイザックさん。中間(ブルキナファソとマリ)はアブダラさん、運転手はジャッカルさん、サポートはシャカさんでした。ドライバーさん、皆さんに大変お世話になった。バスのドライバーさんはベテランドライバーで、長距離を安全に運転していただき楽しい旅ができた。皆様には大変お世話になりました。感謝!感謝!・・・・・



その他のスナップ
数多くの写真を撮っていてもなかなか気に入ったものが少ない。此処ではちょっと変わった風景や珍しいものとかその土地の雰囲気を表している物などを選んでいる。一枚の写真にふと驚くものや心が癒されるようなものがあれば嬉しいのだが・・。今回は西アフリカ8カ国の旅。その国らしいものがあればいいのだが、目に付いた面白いものを紹介しよう・・


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お気に入りショット
町を歩いていると何気ないところに面白い場面が転がっていることがある。その土地の臭いを感じられるものや非日常的な面白いものを撮りたいと何時も思っているのだが、なかなか思うような写真が撮れない。一枚の写真はいくら優秀な100行の文章よりも数百倍の情報量を持っていると思っている。写真は素晴らしい!私のお気に入りのショットを選んだ。少しでも土地の雰囲気が感じられると嬉しい・・



お気に入りの絵葉書( 写真右 )
何処に旅しても、絵葉書を必ず買うことにしている。美しい絵葉書は友人に雰囲気だけでも・・・と出すことにしている。大体、絵葉書の値段と切手の値段でその国の物価水準が判断できるのである。高いところは我々観光客にとって日常品が高いということになる。単なる風景のものより、主張を感じる絵葉書が面白いと思っているのだが・・・。今回の西アフリカのマリでは絵葉書1枚が24SFA(@\48)、切手は405SFA(\81)、絵葉書1枚日本へエアメールで\130だからまあまあかなー・・ 今回は無事2週間で日本に届いた!


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My Photo ( 写真左 )
今回もひとり旅であった。最近はホームページ用の写真をデジカメ一本で4,000枚以上も撮るので自分を撮る暇がないと言うのが本音である。ホームページ用の写真は欠かせない。被写体は風景や自然物などが多いが、最近はその土地の人物を撮ることに興味が湧いてきた。今回の西アフリカ8カ国の旅では 4,600枚の写真を撮った。正直、写真を撮るのに夢中で、自分の写真は数枚しかなかった。帰ってから写真の整理が大変だ!




最後までご覧頂きありがとうございました。如何でしたか・・?
皆様の声を参考に、よりよいページを作って行きたいと考えています。
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