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チュニジア(Tunisia)の旅 編
JTB旅物語 E962-80 (2003.1.10〜1.17)
「チュニジア物語8日間の旅」
イスラム圏の旅が続いている。これ程奥が深く面白い旅はない。
政情の不安定さはすぐそこまで来ているのだが・・・。
周囲の人々が心配するほどの危機感はない。
案ずる間があれば旅は充分に出来るのである。
このチュニジアのバルドー博物館には世界一のモザイクタイル画が収蔵されている。
併せて40,000年前の人骨が展示されているのだ。これはこれは驚きであった!
また地中海に面した街々は、青い空、蒼い海、立ち並ぶ白壁の家々、
チュニジアンブルーの扉や窓枠、ブーゲンビリアやハイビスカスの赤い花・・
これらのコントラストは実に美しい! お洒落な・・素晴らしい所だ。
想像しただけでも目に浮かぶが・・行って見ないとこの感激は得られないだろう・・・
やはり旅は楽しい!
Tunis/Tozeur/Matmata/Sousse/Hammamet
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Hammat/地中海の蒼
この景色!地中海の蒼い海・・
晴れた日、丘に立つと潮の薫りが漂う
静かな、しずかな 長閑な時空。
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Sidi Bou Said/カフェ・デ・ナット前
映画に出てきたシーン!
白い壁、チュニジアンブルーの扉、窓の枠・・
一杯のコーヒーを飲みながら静かな時間を過ごす。
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ファーティマの手
イスラム圏ではお馴染みのファーティマの手。
悪魔から身を守ってくれるお守り!
慈悲深い彼女の手が救ってくれる。イスラムの五行にも・・
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チュニジアンブルーの扉と白壁
美しいこのコントラスト!
ブーゲンビリヤやハイビスカスの赤い花・・
落ち着いた雰囲気を醸し出してくれる。
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チュニジアの旅 総括:
チュニジアと聞いて、その場所を正確に答えられる人はそう多くはなかろう。まさかアフリカだと・・・
でも名前には微かな記憶があるだろう・・そう!昨年のワールドカップサッカーで日本と同じHチームで戦
った国である。それはそれとして・・
今回のチュニジアの旅は私の予想を遥かに超える意外性があった。イスラム圏と聞けば中東などと同じ雰
囲気を想像できるが、アフリカと聞けばモロッコなどと同じようにも想像する・・。
しかし、チュニジアは全く違った印象であった。 一口で言えば、地中海に面した美しい国、おしゃれな町
であった。特にシディ・ブ・サイドやハマメットなどは他では見られないほど、とても美しい町であった。
シディ・ブ・サイドは白壁にチュニジアンブルーの扉や窓枠の家並み、入り口には赤やピンクの美しい
花、晴れ渡った青い空、澄み切った蒼い地中海、白い砂浜・・・などこれらのコントラストが実に美しく
強烈な印象であった。
また食事がとても美味しかったこと。イスラム圏では一般には「ナン」が出てくるが、ここでは毎日「フ
ランスパン」であったことも意外であった。料理の味付けも日本人受けであったし、サラダも地中海なら
ではのタコやエビなど海鮮をふんだんに混ぜたもので美味しかった。さらにナツメヤシの実やオレンジな
ども食後の果物として付いていた。
ここチュニジアには世界一のものが2つあった。何れもバルドー博物館に収蔵のものである。一つはモザ
イクタイル絵である。チュニジア国内の遺跡から発掘された主要なものが集められ館内全面に展示されて
いる。絵に描いたようなモザイク。小さなタイルを貼り合せて出来たものだとは信じられないようなもの。
数といい、質といい、これだけのモザイクタイル画は他では見ることは出来ないだろう。全く凄い!と
唸る。モザイクタイルに興味をお持ちの方には是非お勧めである。
も一つは40,000年前の人骨の発掘である。4万年前と聞いて耳を疑った!紀元前38,000年ということにな
る。ほんとに人間の骨だろうか?今まで見てきた古いものではヨルダン考古学博物館の紀元前8,000年
の偶像であったのだが・・。ほんとだろうか・・これも驚きであった。しかし人類学的には、人類の起源は
400万年から500万年前といわれ、しかも発祥の地はアフリカとの説があるので・・・更に進化した人間の骨
かも知れない。アフリカ各地から古い人骨が多数発掘されているようだ。もしほんとだとすればこんなに
古い人骨を見るのは初めてである。
逆に残念に思ったことを一つ紹介しておく。スベイトラの遺跡である。ここは7世紀繁栄を極めたローマ
軍最後の建造物であるが、広い遺跡はそれなりに迫力がある。しかし崩れた遺跡の修復作業が無造作にセ
メントを塗りたくってやっていることである。折角の歴史的遺産を近代に引き戻し価値をなくしてる。遺
跡を見に来た人はガッカリ!である。古いものと新しい物がごちゃ混ぜである。それだけで価値を失して
いる。古いものは古いままにそのままの形で見てこそ価値があると思うのだが・・残念に思った。
チュニジアは観光立国である。年間500万人程度。一番多く訪れているのはドイツ人で年間約100万人、
次いでフランス人、日本人は僅か約10,000人だそうだ。日本人にはまだまだ馴染み薄い国である。イスラム
圏の中では比較的その匂いの少ない国だと思う。酒は自由に飲めるし、街中の女性もチャードルを着た姿は
少ないし、イランのように観光客にまでそれを強いる風情はないのである。イスラム圏といってもその戒律
の厳しさに差を感じる。しかし世界遺産が8つあるというのも楽しめる国である。
チュニジアでの生活感覚について触れておく。毎日観光で歩いて食事時のビールは欠かせない!一口の
ビールは生き返る心地である。イスラム圏でビールが飲める国はありがたい。しかし他の生活物資に比べ 、
ビールは観光価格になっている。チュニジアでは国産の「セルティア・ビール」しか出てこない。缶と
瓶があるが瓶ビールの方が美味しい。味は軽くて頼りないが、無いよりはましである。日本で言えば小瓶〜
中瓶程度であるが2.0〜3.5DN(ディナール=\90)で結構高い。市中では0.5DN程度だからホテルでは4倍
から7倍の値段である。逆に日本までの絵葉書は0.6DN(\54)程度でこちらは安い!
サラリーマンの平均月収は\32,000程度、最低\22,000程度である。中学校の先生で\50,000〜
60,000、大学教授で\12〜13万程度とのこと。従って日用品/食料品などは安いので普通の生活は出来る。
アパートの家賃は\2〜3万程度。しかし酒やタバコは贅沢品と言うことで高い税金が掛けられている。
教育制度は6,3,4年制の義務教育で、勿論授業料は無料。大学は試験があり、入学すれば授業料は無料。
自動車は小型\100万、中型\200万、パリダカールラリーで優勝した三菱パジェロは流石に高い\700
万程度だそうだ。ガソリンは産油国にしては高い、リッター\65程度。日本車ではトヨタ、いすゞ車に
人気がある。
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JTB旅物語 旅程マップ ( 写真左 )
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成田→パリ経由チュニス→ケルアン(アグラビット貯水池/グランドモスク/シディ・サハブ・モスク/スペイトラの遺跡)→トルーズ(シェピカ/タメルザ/ミデスオアシス/塩湖エルジェリッド)→ドウ-ズ(サハラ砂漠でラクダの散歩)→マトマタ(穴倉住居/エル・ジェム円形闘技場)→スースー(グランドモスク/メディナ)→チュニス(カルタゴ遺跡/バルドー博物館)→パリ経由成田。
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シディ・ブ・サイド(Tunis) ( 写真左 )
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チュニジアンブルーと真っ白な壁が映える街・・と紹介されている。チュニジアの中で最も美しい町だ。チュニジアの北部、地中海に面した処にあり、首都チュニスから北東に約17Kmの岬の丘の上にある。石畳の坂道を歩き、白壁の家並み、チュニジアンブルーの窓枠や扉、赤いブーゲンビリヤやハイビスカスの花が咲いて、実に美しいコントラストだ!イスラム圏、アフリカ・・というイメージから程遠い、おしゃれな街という感じである。
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ハマメット(Hammamet) ( 写真右 )
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此処ハマメットはチュニジアの中で最も古いリゾート地であり、多くの作家や画家、芸術家などが愛した町。よく知られたところでは女優のソフィアローレンが別荘を持っているそうだ。首都チュニスから東南に約60Km、ボン岬の根元に位置する。地中海に面した美しい町である。青い空、蒼い海、白い砂浜、緑の木々・・長閑な雰囲気を持っている。この町の歴史は古く、ローマ時代の179年には植民市が建設され、その後アラブ、スペイン、フランスなどの植民地であった。
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カルタゴ遺跡(Carthage) ( 写真右 )
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チュニジア発祥の地。紀元前814年フェニキアの王女エリッサにより町が建設された。この町はカルト・ハダシュトと名付けられ、これはフェニキア語で「新しい町」という意味で、ラテン語のカルタゴはここに由来する。此処は海上貿易や農業を中心に繁栄したが、ローマとの戦いは避けられず、第一次ポエニ戦争、第二次、第三次・・と繰り返し遂に陥落。その時のローマ軍による破壊は凄まじく町は廃墟となった。その後復興しローマ帝国第三の都市にまでなったが、7世紀にアラブ侵入後は再び廃墟となった。
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カルタゴ博物館 ( 写真右 )
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1890年に建設された。カルタゴからの出土品が多く展示されている。1階には巨大なモザイク壁画やローマ時代の彫刻、さらにポエニ時代の彫刻や出土品が展示されている。2階にはポエニ時代の仮面や土器、アクセサリーなど。また石棺の人骨もみられる。
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バルドー博物館(Bardo) ( 写真左 )
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此処は凄い!モザイクタイルのコレクションでは世界一を誇る。「チュニジアのルーブル」とまで言われている。3階建てで30室以上もの展示部屋があり見応えがある。建物はオスマン帝国時代の宮殿であった。ローマ時代の彫像も多数展示されている。モザイク画の中では「ネプチューンの勝利」「ヘラクレスの苦難」「バッカスの勝利」の3点が最高傑作。一般にモザイクは幾何学模様が多いが、此処には人間や動物が描かれた作品が目立つ。この博物館には国内の各遺跡から重要なモザイクや彫刻を集めている。
モザイクタイル絵のへ
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驚くべき! 4万年前の人骨 ( 写真右 )
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同じバルドー博物館の中に展示されていた。発掘された場所は内陸中央部で泉のほとりにあったそうだ。4万年前と聞いて一瞬耳を疑った!本当か? 紀元前38,000年前と言う事になる。今までB.C 8,000年のもので驚いていたのだが・・・。展示品はその場所の土石と混じった砕けた状態である。最もそんなに古いものが綺麗な形で残っている方がおかしいかも知れない。驚いた!驚いた! 一応信用しておこう・・。
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スベイトラ遺跡 ( 写真左 )
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チュニジアに残る一番新しいローマ遺跡。言い換えればローマ時代の最後の建築物。7世紀の半ばイスラム教布教を目的としたアラブ軍によって追い出され当時のビザンチン帝国は終結した。新たにアラブ時代が始まった。ビザンチン時代の最盛期には此処に1万人以上の市民が住んでいた。余談だが現在修復作業が進められているが、下手糞なセメントを塗りたくって、古い遺跡を台無しにしているのは誠に残念である。古いものは古いままに・・それが価値を生む!
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山のオアシスツアー ( 写真左 )
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オプションで山のオアシスツアー。4駆のジープでシェピカ、タメルザ、ミデスを回る半日ツアーである。サハラ砂漠はアフリカの1/4の面積を占めている。チュニジアもサハラに含まれていると言っても・・。此処トズールはサハラ砂漠の入り口にあり、一寸走れば砂漠。荒涼とした感じで、乾燥した土や石ころ、砂埃にまみれた潅木・・オアシスに近づいてやっとナツメヤシやオリーブの緑に出会う。神の恵みを実感する・・
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サハラ砂漠・ラクダで散歩 ( 写真右 )
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ドウーズはサハラ砂漠の大砂丘への入り口となる町。一番砂漠のオアシスとして描くイメージにぴったりだ。町から数キロ出ればサハラの最初の砂丘が見られる。ラクダに乗って砂漠を散歩できると言うので楽しみにしていた。途中エル・ジェリッドの塩湖を走っている時は大雨だったので、心配していたが、近づくにつれ雨も上がり薄日すらさして来て大喜び!精進のよい人達のグループであることを証明!ラクダに乗るのは初めてと言う人もいて大変・・立ち上がる時、歩く時大揺れするので必死でしがみつく人もいた・・・
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マトマタ穴倉住居 ( 写真左 )
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マトマタとその周辺には変った住居形態を持つベルベル人が住んでいる。このベルベル人は北アフリカの先住民族だが、過激なアラブ民族に追われて、身を隠すためにこのような穴倉に住むようになった。横穴はさらに掘り進められ、地下に部屋がいくつも造られる。夏は涼しく、冬は暖かい地下の特性をうまく利用している。
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エル・ジェム円形闘技場 ( 写真右 )
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ローマ時代に剣闘士の戦い、奴隷や罪人と猛獣との戦いなど、残忍な闘技が頻繁に行われていた。このコロセウムは2世紀頃ローマ皇帝により着工。現在世界に残っている物の中では一番保存状態がよいとされている。サイズは縦149m、横124m、高さ36m、直径65mである。このエル・ジェムの地は1世紀頃には人口4万人を抱える交易都市として栄えた。1979年世界遺産に登録された。
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グランド・モスク ( 写真左 )
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640年に建立されたアフリカ最古のグランド・モスクである。四方を土色のレンガで強化された要塞を思わせる外壁。ゲートをくぐると大理石が一面に敷き詰められた中庭。中央の排水溝に向けて緩やかな傾斜がついており、地下には貯水槽がある。回廊にはビザンチンの遺跡から流用された列柱が並んでいる。ミナレットの高さは31.5mで、最下段は728年に造られ、イスラム世界で最も古いものだ。
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シディ・サハブ・モスク ( 写真右 )
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聖者アブ・ザマエル・ベラウイが眠る霊廟。7世紀に建てられたもの。マグレブで最も美しい霊廟といわれ、壁、床、天井と至る所に色鮮やかなアラベスク模様が見られる。回廊に並ぶ馬蹄形のアーチや彫刻も独創性に富んでいる。
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街角のスナップ ( 写真左 )
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街中の風景を集めてみた。イスラムの雰囲気があちこちに見られるのが面白い。メディナ、スーク、お菓子屋さん、お肉やさんなどなど・・
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その他の見どころ・・
( 写真右 )
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色々あちこち見て歩いたが、見るところが多い。ザグーアンの水道橋やアグラビットの貯水池、など入れている。
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My Photo ( 写真左 )
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一人で旅行していると自分の写真を撮る事が少ない。ビデオのファインダーを覗き風景など一生懸命脳裡に焼き付けているが、よく人から「こんな風景がありましたか?」とか「見物が充分できましたか?」とか聞かれる。本人は結構普通の人より物をよく見ていると思っているのだが・・。せいぜい数枚の写真であるが貴重なものである。
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最後までご覧頂きありがとうございました。如何でしたか・・?
皆様の声を参考に、よりよいページを作って行きたいと考えています。
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